ローカル紙に上松町主催で福沢桃介の名前から一文字取って約100年前に建設された桃山発電所の見学会の案内が載っていたので、申し込んであった。
木曽川水系の発電所は日立や三菱の機械が多いので、他社の機械を見る良い機会と出かけたら、関電さんから、桃山発電所の意外な技術遺産、100年近く前の芝浦製作所の先輩達が作った、日本で初めての大規模周波数変換機の数奇な運命を教えていただいた。
商才にたけた福沢桃介は桃山発電所の完成後すぐに、西日本向けに作り出された60Hzの電気を50Hzに換えて、東日本に売ることを考えた。今では半導体の進歩でインバーター/コンバーターを使えば周波数変換ができるのだが、100年前は24極の同期電動機で20極の発電機を回すことで、60Hzを50Hzに変換していた。で、桃介は1923年に発電所の横に、日本で初めての大規模(と言っても1万5千kVA)の周波数変換機を設置したのだという。
この機械は戦争中、50Hzと60Hzの発電機が混在し、電力不足の著しかった九州に移設されたのだが、戦後は九州の発電機も60Hzに統一され、不要の設備として打ち捨てられていたのだそうだ。
所が、1964年のオリンピックに合わせ新幹線を建設することが決まったのだが、神奈川の新幹線の実験線で新幹線を走らせるのに、大きな問題があった。実験線に来ている電気は50Hz、でも新幹線は60Hzの交流で走らせることで設計が進んでいた。60Hzの電源をどうしようと考えた時、桃山から九州に移設され、打ち捨てられていた周波数変換機の登場となったのだそうだ。
製造後40年経った所で60Hz→50Hzの変換機だったのを、50Hz→60Hzの変換機に大改造するという困難を乗り越え周波数変換機は突貫工事で完成、その結果もあり、新幹線の試運転も大成功、オリンピックの10日前に開業できた陰には、この桃山発電所の周波数変換機があったのだそうだ。
しかも、物語はここでは終わらない。この変換機はまだ4度目のお勤めをしている。国立の鉄道技術研究所で周波数変換/短絡発電機としてまだ現役で働いているのだそうだ。
4回も生まれ変わって、使われている100年近い前の機械。こんな機械を設計/製作できれば技術者冥利に尽きるだろう。
さらに、最近は静止型のインバーター/コンバーターに性能で負け、よほど特殊な用途にしか使われない。例えばローターの慣性を使ってエネルギーを貯め、パルス大電力を発生する短絡発電機として、瞬時だけ巨大出力が必要な鉄道研や核融合研究に使われるだけ。
電気科の実験授業で行いました。
北陸新幹線は、50Hz60Hz兼用なのですね。
交直両用機関車は聞いた事が有りましたが。
北陸は関東50⇒長野60⇒新潟50⇒富山60と目まぐるしく変わるのと、インバーター/コンバーターが進歩したので、両周波数対応にしたみたい。でもこれのおかげで随分コストアップし重量も重くなってしまったらしいです。