朝、寝ぼけ眼で新聞を眺めている時は、オービチュアリを見事に見落としていた。だって、見出しが山田洋次監督の「幸福の黄色いハンカチの原作者 死去」だったんだもの。8/5に亡くなったのをネットニュースで見て初めて気が付いたしだい。
「幸福の黄色いハンカチ」と言えば、私には有名な日本の映画より、ジョン・フォード監督の西部劇「黄色いリボン」だった。劇場で?、TV放映で?、いつ見たのか、内容も定かではないのだが、主題歌(実は、古い民謡らしいのだが)が子供の耳に残っていた。
さらに20歳台によく聞いたドーンのこの曲は70年代の刑務所帰りのベトナム帰還兵の物語として、耳に残っている。
この曲は、Pハミルが1971年に書いた”Going Home"にプロットがソックリで訴訟騒ぎにもなったらしいのだが、そんなことは後に知ったこと。
彼の本をよく読んだのは、1990年代。せっかく米国の大学を苦労して卒業したのに、1987年のココム事件のおかげで、おぼろげながら抱いていた米国で仕事をするという願望は、東芝に務めている限り遠い夢となってしまった。転職すると言うオプションもあったのだが、学費を出してもらったという一応の恩義もあり、国内の工場で生産管理、製造技術の中間管理職の職務を黙々とこなしていた私の1990年代、米国への憧れと共に読んでいた本の一つがニューヨーク・スケッチブックだった。
常盤新平訳のアーウィン・ショー「夏服を着た女たち」も素敵に思えたが、やはり時代が少し前。それに比べると、Pハミルには同時代性を感じていたのかもしれない。バブル真っただ中で、ひょっとして、10年遅れで東京もNYのようになるのかなどと思っていたら、東京スケッチブックが出た。短い物語で、1話読むごとに、ニューヨークや東京の一コマが鮮明に思い浮かばせるこの作家はどんな人なのだろうと思っていたら、「イラショナル・レイビングス」が店頭に出た。
これを読んで、なぜ私がPハミルに惹かれたのかが分かった。行き場の無い怒り、理不尽なモノ、コトに対する怒り、そういったものを内に秘めながら、周りの人々に対する暖かい観察眼を持ち続けた彼に惹かれていたのだった。
本棚から取り出したこの3冊を再読して、また興味を掻き立てられた。図書館で彼の著作を探してみよう。