逆風に抗して Against the wind,♪ we are running against the wind.♪
ここではないどこかへ。モモンガーの旅
2018年に横浜から信州にUターン
自転車と日々の生活を
綴ります。
 



核リスクへの最善の準備は核シェルターを作ることである。但し時間もお金もとてつもなくかかるので普通は手が出ない。
住んでいるのは郊外だし軍事目標からは離れているので、核爆弾の直撃は受けないだろうし、北朝鮮のブースト型水爆は冷戦時代に心配されたメガトン級の水爆の数十分のⅠの威力なのだから、本物の核シェルターは不要だろうと思う。(想定する被害予測はこちら参照) 
ただ、核爆発時の放射線輻射、熱爆風、さらにはその後1ヶ月程度の放射能汚染による被害を最小限にする為には、「なんちゃって自作核シェルター」はあった方が良いと判断した。

幸いなことに、坂道の途中に建つ我家には半地下部分がある。オープンな部分は屋根を付けて自転車置場に、茶色のドアの向こう側のクローズ部分の4畳ほどの広さの地下室は、今まで私の秘密基地/工作室として使っていたが、ここを「なんちゃって自作核シェルター」に改造することにした。

 

最初の問題は、入口のドアをどうするか。ガラスを外して、アルミ板か鉄板を入れることも考えたが、普段使っている時に外光を取り入れられることも重要だ。入口の左右側は厚いコンクリート壁である。また地下室の入口正面側は、想定される爆心方向ではない、北西を向いているし、その前には、塩ビ板のドアとアルミの門扉/コンクリート門構えがある。

 

この為、爆風の直撃は少なそうなので、分厚い金属製のドアは不要と判断し、入口ドアの内側に塩ビ板をネジ止めし、万一爆風でガラスが割れてもドアの気密が保たれ、飛散したガラスで怪我をしないようにして、なんちゃって核シェルターの入口とすることにした。



まあ、ドアが壊れても、べニア板やビニールシートで塞げばよいから、入口ドアの強化はこんなもんでOKとしよう。



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前立腺ガンマーカー数値が高めで推移しているので、半年毎に血液検査をしており、今日がその検査日。朝早く病院に行き、血液採取、1時間半後に医師の面談。で、出てきたPSA数値は6.2


PSA値4~10は前立腺癌のグレーゾーンでガンの確率30%程度。グレーゾーン内でも少し数値が上がってしまった。私は2年半前に生体検査をやっていて、その時の検査でガン細胞は発見されなかったので、定期的にPSA値を経過観察となっていた。

今回少しPSA数値が上がっているのでどうしようか?となったのだが、もう一つの検査方法であるCTやMRIによる前立腺の観察が私の場合、骨盤にあるチタン板のおかげで、鮮明な像が得られない可能性ありとのこと。


仕方がないので、6ヶ月後ではなく、3ヶ月後に再度PSA検査をすることにした。

と言う訳で、またまたグレーゾーン、しかも数値増加の生殺し状態が続くことになった。

検査後、どこで食事しようか大井町の暖簾街をぶらついたら、この行列の中華の店。



タンメンをいただく。美味しくはあったが、チョット化学調味料の味が舌に残ったので、店名とタンメンの写真は無しで。



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まだ足先は痛むけれど、脚を使わないと筋肉が弱くなってしまうので、一ヶ月半ぶりにKayoチャンに乗ることにした。海岸から20km程度離れた鴨居辺りでも、時々カモメを見かける。



定点の新横浜運動公園前で、


電チャリやジジチャリのGJと異なって、Kayoチャンの軽いこと。逆風にも拘わらず、軽く漕いで鶴見川CRの終点近くまで。



レアールつくののタンゴでカキのチーズ焼きランチをいただいて、



さあ、追い風で鶴見川CRをもどりましょう。再度新横浜まで戻って、


ここからは調子に乗って寺家まで。ようやく稲刈りも全部終わったようで、コンバインをトラックに載せているところだった。



まだ、あまり紅葉は進んでいないが、、、、



一山越えて、恩田川CRに移り、鴨居帰着。60km丁度の回復ランだった。



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以前友人から、この展示が面白いよとの助言にも拘わらず、重い腰が上がらなかったのだが、11月7日の朝日新聞夕刊一面の記事を見て、佐倉の国立歴史民俗博物館の「1968年」を見にいくことにした。(いくら朝日でも、一面にこの記事はあり得無いと思っていたのだが、深読みするとボルシェビキの暴力的政権奪取/ソ連成立からピッタリ100年が11/7だったんだね)


この記事のせいかどうかは不明なるも、結構な数の見学者が首都圏とは言え、遠い佐倉にやってきていた。



見学者の多くは私よりも少し上の、1958年に大学生だったと思われる世代。但し若い人も20%位居たのには驚かされた。また、ギャラリートークと称して、学芸員が説明するだけでなく、その現場に居合わせた人が状況を説明してくれていた。日大の卒業者の説明は50年後の今という時間を感じさせない迫力があった。

展示の内部は撮影禁止なので、多くの興味深い資料をUPすることはできないのだが、買ってきた図録には、展示内容のほとんどすべてが載っており、読みがいが有りそうだ。



色々見ようと、朝一番に家を出たが、展示が思ったよりも多かったので、見終わって外に出ればもう日がだいぶ傾いていた。予定していた佐倉市美術館の自転車展とかベアトの写真を見ることはできなかったが、すっかり満足。

しかし、「国立」と名の付く施設で、このような展示ができるリベラル/寛容な社会が続くかどうか、非常に心配な世の中ではある。



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数年内に関東大震災級の地震が来る確率は多分数%である。注意深く報道を見て居ないと気が付かないが、米国民の過半は米国にミサイルが届くようになる前に、日本人を含むアジア人が死ぬのは構わないので、早く北朝鮮を爆撃して欲しいと思っている。しかも、米国の産軍複合体がもうかり、日本の貿易黒字が減り、憲法改悪への道が開けるので、日米両政府は戦争が起こるのは仕方ない、悪いのは北朝鮮なのだからと言った態度だ。

また、CIA前長官のブレナン氏は戦闘が起こる確率は20~25%と言っている。戦闘が起これば、いくらトンマな北朝鮮軍とは言え、ミサイルが防衛網を破って飛んでくる確率は、10~20%はあるだろう。とすると、広島型の10倍程度の威力の150キロトン級のブースト型水爆が撃墜されずに飛んでくる可能性は数%と、新関東大震災と同じ位の確率だということになる。地震対策を準備する人は多いのに、核戦争対策を準備しないのはなぜだろうか? 日本人は戦争なんて起こりっこないとでも思っているのだろうか?  

と言う訳で、色々な自主的な対策活動を行っている。その一つが安定ヨウ素剤の入手。

死の灰や黒い雨と言った固体や液体の放射性物質はフィルターやマスクで防げるが、気体の放射性物質である放射性ヨウ素は防ぎようがない。そこで事前にヨウ素を体内に満たしておいて、放射性ヨウ素の体内蓄積を防止する。その為の安定ヨウ化カリウム丸(日医工)は、薬事法上の薬局医薬品に分類され、処方箋なしでも買えるはずなのだが、薬局では買いにくいらしい。でも、アマゾンで米国からなら簡単に買うことができる。注文して10日程で無事我家に到着した。



早いとこ、信州の山奥に逃げ込みたいのだが、まだ当分は関東に居なければならないようだ。我家のなんちゃって核シェルターに保管しておこう。

【参考】原子力災害時の放射線障害予防薬 
非放射性のヨウ素をカリウム塩にしたもの(要するにヨウ化カリウム)を「安定ヨウ素」製剤として用いる。動物の甲状腺は、甲状腺ホルモンを合成する際にヨウ素を必要とするため、原子力災害時等の放射性ヨウ素を吸入した場合は、気管支や肺または、咽頭部を経て消化管から吸収され、その10~30%程度が24時間以内に甲状腺に有機化された形で蓄積される。放射性ヨウ素はβ崩壊により内部被曝を起こしやすく、甲状腺癌、甲状腺機能低下症等の晩発的な障害のリスクが高まる[1]。そのため、非放射性ヨウ素製剤である本剤を予防的に内服して甲状腺内のヨウ素を安定同位体で満たし、以後のヨウ素の取り込みを阻害することで放射線障害の予防が可能である。この効果は本剤の服用から1日程度持続し、後から取り込まれた「過剰な」ヨウ素は速やかに尿中に排出される。また、放射性ヨウ素の吸入後であっても、8時間以内であれば約40%,24時間以内であれば7%程度の取り込み阻害効果が認められるとされる
ウム)を「安定ヨウ素」製剤として用いる。動物の甲状腺は、甲状腺ホルモンを合成する際にヨウ素を必要とするため、原子力災害時等の放射性ヨウ素を吸入した場合は、気管支や肺または、咽頭部を経て消化管から吸収され、その10~30%程度が24時間以内に甲状腺に有機化された形で蓄積される。放射性ヨウ素はβ崩壊により内部被曝を起こしやすく、甲状腺癌、甲状腺機能低下症等の晩発的な障害のリスクが高まる[1]。そのため、非放射性ヨウ素製剤である本剤を予防的に内服して甲状腺内のヨウ素を安定同位体で満たし、以後のヨウ素の取り込みを阻害することで放射線障害の予防が可能である。この効果は本剤の服用から1日程度持続し、後から取り込まれた「過剰な」ヨウ素は速やかに尿中に排出される。また、放射性ヨウ素の吸入後であっても、8時間以内であれば約40%,24時間以内であれば7%程度の取り込み阻害効果が認められるとされる



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体を動かさないと体調が低下するので、本日はジーサンの体操教室へ向かった。体が硬くなっていて、従来出来ていたストレッチが思うようにできない。そればかりか、いつになく疲れが激しい。

底の固い靴/フラットペダルで電チャリには乗っていたのだが、今日は骨折後1ヶ月なので、そろそろ本格的自転車活動を再開しようと、SPD靴/GJで体操教室に出かけた。その後、予約してあったカズオ・イシグロの「遠い山なみの光」が入庫したという連絡があったので、港北図書館へ。


電チャリ、フラぺの力点は足の中心に近いのだが、SPDではつま先の方に近い力点である。この為、強く漕ごうとすると、親指がまだ痛く、力強くペダルを踏み込むことができない。それに足の筋肉はこの一ヶ月でかなり弱くなっているし。クロスバイクの爺さんやら、3速通勤チャリの学生に抜かれるも、追いつけない。

このままでは足の快復は追いつきそうもないな。残念ながら秋の紅葉ライドはなしかな。



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我家の防災体制はかなりしっかりしていると自負している。太陽光、風力発電機があり、プリウスからも電気は取れる。


その上HondaのHippoEB550発電機、新品石油ストープ、コンロ、寝袋、飲用水(100ℓ)、灯油(20ℓ)、ガソリン(10ℓ)、多量の保存食料、、、等々は地下ガレージに保管してあり、万一家が無くなっても、地下ガレージで半月位は籠城できるようになっている。おかげで3/11の停電騒ぎの時も慌てずにすんでいた。


東日本大震災に続くFukushima原発メルトダウンの際、春の偏西風を考えると関東への影響は少ないと高を括っていたのだが、数日後の強風降雨で汚染雲が南下して、実際は関東の東半分もかなり汚染されたことが記憶の隅にある。

やりたくは無いのだが、でも自分でできることを少しづつ準備していこうと思い、簡易線量計を購入した。



買ったのはエステーのエアー・カウンターS。検出部はGM管ではなく、ガンマー線による蛍光物質の発光=シンチレーションをフォトカウンタで数えるもののようなので、アルファ線やベーター線は検出しないが、手軽に使うにはかえって便利だろう。

我家の「なんちゃって核シェルター」である半地下倉庫に防塵マスクと除染用の手袋、ビニールカッパと共に非常用の備品箱に入れて置いた。


まあ、防災用品というのは99%使われずに、古びていくのが運命であり、かつ、その方が良いのだが、これ以外にも少しづつ準備を進めて行こうと思う。



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今を去ること43年前、在学中の政治活動が祟り、就職には苦労した。「入社試験の成績は宜しいのですが、、、、。X月〇日のデモ申請人ですね、、、、自治会では役員をされていたそうで、、、、」幸いにして、某衆議院議員のコネで入社し、なんとか勤め始めた。仕事を始めたのが、このビルの3階の西から4番目の窓のあたり。



どうしようもないグウタラ社員だったので、毎日図面描きに飽きると、窓の外に広がる海を眺めていた。その頃はまだ、隣の製鉄所からの煤煙が酷かったし、埋め立て地や2つの橋もなく、殺風景であったのだが、今では素敵な光景が広がっている。



今日、工場のOB会があったので、午前中に工場の見学をして、午後は大桟橋ホールでの懇親会に出た。現役時代は1000人を超えるOBが訪れて、対応に苦労したものだが、今日の出席者は500人足らず。会社の苦境も続いているので、このOB会がいつまで続いてくれるか心配ではあるが、皆さん明るく万歳三唱をしていた。


OB会も終わって、大桟橋の上に出て、赤レンガ倉庫の向こうにかすかに見える富士山を眺めていたら、ここから富士山を見られるのも今年限り、来年はアパホテルの高層ビルに阻まれて見えなくなると、ご近所の老人の方から教えられた。



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サンルーム計画に伴って、勝手口への既設階段がデッキ3で隠れてしまった。この間、仮設のブロックを重ねただけの不安定な階段を使っていたが、恒久的でガタツキの無いしっかりした階段に作り替えることにした。
まず3段の階段の骨組みを2X4で作り、コンクリ基礎に固定する。まともな振動ドリルが無かったので、コンクリに穴を開けるのにチョット苦戦。


階段の色は庭の紅葉と同じ黄色。



コンパネ用の12mm合板で板張りし、SUSコースレッドで固定して出来上がり。


チョット色は派手だが、耐水性があり、かつ既にペイントされているので、土足で上がっても泥汚れが簡単に除去できるコンパネ製は正解だったと思う。



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2年ほど前に自転車置き場の屋根は作ったものの、入口ドアは無いまま、道路から丸見えで不用心だと思っていた。思い立って、ドアを製作することにした。

 

まずは材料調達。戸板フレーム用の45mm角材、4mm厚のポリカーボネートハーモニカボード。

 

角材の中央に、丸鋸を使って、幅5mm深さ15mmの溝を作る。

 

この溝にポリカ板が10mm嵌まるようにフレーム角材を調整切断し、ドアパネルを組立る。

 

ドア枠、蝶番、取っ手、鍵などを取り付けて完成。既製品とまでは行かないが、まあまあの出来映えになった。

 

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 その後の自転車小屋の姿
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一週間前にやったばかりなのに、また高校の同窓会。先週は在京同窓会で、今週は在郷同窓会。たまたま帰省していたので、今後の事もあり出席した。

 

まだ働いている元気な奴が多くびっくり。数十年ぶりに会えたやつもいて、楽しい時間を過ごす事ができた。



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自民党の圧勝で選挙も終わり、最近のきな臭い動きが気になる。

  • B1,B2,F35の配備や西大西洋での米空母3隻体制
  • 韓国からの非軍人退避訓練の実施
  • ロシア疑惑などのトランプ政権の失敗を、遠い極東の紛争で目をそらそうとする動き
  • 安倍首相の祖父、岸の夢をかなえる憲法改悪には国民投票で過半の賛成が必要

を考えると、この冬に北朝鮮で小戦闘が起こる可能性が数パーセントはあると思っている。
一旦戦闘が起こると、戦争へと拡大する可能性はかなり高く、そして一度始まった戦争は止めるのが大変難しい。

北朝鮮のミサイルも従来の10kトン程度(広島級)の原爆であれば、被害は山手線の内側のみで、直撃を食らうか、風向きがよほど悪くない限り、自分に重大な被害がおよぶとは思われなかった。(とは言え、数十万人が死ぬ!!)
参考 (http://nuclearsecrecy.com/nukemap/ から計算した東京に10キロトン原爆の被害予測図。
    緑色の丸が500レム致死放射線被ばく範囲、黄色の丸が致死重度火傷を負う範囲、
    黄色の楕円がその時の風で死の灰が降る範囲)


東京への水爆で、横浜も壊滅的被害が出る予測がネットに溢れているが、それはソ連の10メガトン級水爆での予測で過大評価である。

北朝鮮が開発したのはブースト型の小型水爆。その規模は最大で150キロトンと100分の1でそれ程大きくてはないが、広島原爆の十数倍はある。東京におとされると、放射線、熱線とか爆風での直接の被害は山手線の少し外側程度(死者数百万人)で、横浜までおよばない、ただ風が北東から吹いていると、分裂生成放射能=死の灰が我が家の方向に降って来るので、対策が必要である。




また、もしも近くの米軍基地のある横須賀、厚木や座間を狙われると、爆風により我家の窓は割れ、家は居住不能となる可能性大で、死の灰の影響も大きいと考えられる。


さらに核ミサイルも心配だが、韓国や日本の原発への中距離ミサイル攻撃や海上からの自爆攻撃もありうると考えるべきで、その場合は原爆の数百倍の死の灰への対策が必須である。

北朝鮮で戦争が起こるとすれば、冬の間が濃厚なので、あと一ヶ月の間に少しずつ色々な対策を準備し、我家に「なんちゃって自作核シェルター」をDIYで準備することにした。

「平和を願うなら、戦争が起きた時の準備をせよ」だと思う今日この頃である。



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