逆風に抗して Against the wind,♪ we are running against the wind.♪
ここではないどこかへ。モモンガーの旅
2018年に横浜から信州にUターン
自転車と日々の生活を
綴ります。
 



昨日、タングルウッドの下見に訪れた時はもう閉門時間だった。ただプレシーズンではあるものの、日曜日なので、1つだけコンサートがあったらしい。


今日は月曜日、平日なのでタングルウッド自体は朝早くから開場しているのだが、シーズンは6月中旬から。コンサートなどはやっておらず、シーズンに向けての改修工事の追い込みの最中であった。

まず訪れたのは、シェッドと呼ばれる屋外コンサート会場。



20数年前訪れた時よりずっと屋根が広くなり、音響板なども設置されて大規模になっていた。セイジ・オザワ松本フェスティバルも、この数分の一の規模で良いから、屋外コンサート会場があると一般客や市民が楽しめると思うのだが、、、、日本では無理かなぁ、、、、


プレシーズンの早朝でだれも居ないと思ったら、所々に設けられた幾つかの小ホールでは、室内楽の練習などがやられていた。


以前来た時は無かった、小澤征爾ホール。


小規模なコンサートやオペラの上演に使われるのだろうか?桟敷席のある、オペラハウス的作りだ。


これを作ったのは、私の勤めていた東芝の競争相手の社長もした大賀さん。経営者としては毀誉褒貶のある人だが、軽井沢の大賀ホールと言い、ここと言い、後世に残る仕事をしている。


広いタングルウッドを痛い脚を引きずって歩けば、芝生の向こうに湖水が広がっている。こんな所でピクニックがてらコンサートを聴ければ、最高だね。


続いて訪れたのは、近くにある、ノーマン・ロックウェル美術館。



ナショナルギャラリーで古典芸術は数年分見たので、今度は極めてアメリカ的な、マスプロではあるものの、その中にキラリと光るもののある絵画/イラストへ。
これがロックウェルさん。


私の好きな、「家出少年」。 保護した警官がダイナーで昼飯をおごってやっている所。


これも有名な「言論の自由」。FDルーズベルトの4つの自由から題材を取っているのだが、下の欄の戦時公債を買いましょうは余計だなぁ。


復元したアトリエに行ったら、ボランティアのおばさんが、次から次へとロックウェルの逸話を話してくれる。


で、ロックウェルが住んでいたストックブリッジには寄ったのか?と聞かれる。いや未だだよと答えると、是非行きなさい、ロックウェルが描いた通りの町だからとのたまう。

 

お腹も空いてきたし、昼食に丁度良いと町に寄ってみた。まあ、痕跡はあるものの、だいぶ観光地化していたので、食事をして、小散歩のみ。



昼食後、高速に乗るも、方向を間違えてLeeに戻る方向へ。インターを降りたらプレミアム・アウトレットに捕まってしまい、散財。なんとか、次の目的地、NY州の州都、オーバニーに向かう。でも見たのは州議会堂を遠く眺めたのみ。


今日の宿泊地、サラトガへ向かうべく高速に乗ったのだが、NYの片田舎なのに渋滞している。20分後、その原因発見。2車線を使って、家の移動中。



予定より遅れて、サラトガ・スプリングスへ到着。ここを宿泊地に選んだのは、カーリー・サイモンのYou are so vain の歌詞、♬ Well I hear you went to Saratoga. And your horse, naturally, won. ♬が気になっていたから。 でもね、ここもまだプレシーズン。日本と違って、夏にならなきゃ競馬場は開かない。伝染病を嫌って、休場中の競馬場は柵の外から眺めるだけ。

なら、もう一つの名物、泉巡り。ここでもちょっとした目論見違い。避暑地でSpringsと来れば、温泉か?痛い脚を癒すPublic Bath でもあると良いなとおもったのだが、あるのはちょっと硫黄くさいが、冷たい飲泉のみ。


でも、少し場所を移動しただけで、苦い硫黄泉から、単純泉、そして、炭酸ガスがブクブク湧いている炭酸泉まで、色んな種類の飲泉を楽しむことができた。


温泉はダメだったが、今日泊まったB&Bも部屋は豪華。お風呂は猫脚の深いバスタブだったので、痛い脚を労われた。

 

今日走ったのは、マサチューセッツ州バークシャー地方からNY州の上部。どちらも都会のボストンやNYから離れた山の中の田舎。

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今日も300km近く走らなくてはいけない。今回のドライブ旅行のナビゲーションは縮尺大の概略の地図をガーミンで示しておき、詳細の道案内はスマホのグーグルマップで行う方式。スマホはすぐ取り外せるようにゴムバンドとベルクロで固定してある。
グーグルマップには前日調べた今日行きたい場所をSaveしてあるので、簡単にナビしてくれる。


昨日泊まったQuality Innの前庭には、ハイウェイからよく見えるように電車が置いてある。何か展示もしてあるのかと覗くと、何もなし。単なる目印らしい。


昨日間違えた、橋の分岐をニューヨーク方向へ。



今日の一番目の訪問先はブリッジポートという、何の変哲もない工業都市。米国の工場でブリッジポートと言うと、小型の縦型フライスを差す。


30数年前、このマシンのコピー機を中国から買って、米国でレトロフィット、NCを付けて売っている米国の工作機械会社のコンサルタント実習を数人の学生グループでやったことがあった。会社の重役に何回かインタビューし、市場調査を行い、事業計画を立てると言うプロジェクト。今でこそ中国で作るのは当たり前だが、文革が終わってようやく対外開放にむかっていた中国から機械を買ってくるなんて、トンデモない事業計画である。そんな話を実現し、商売にしている米国の会社があることに驚いたものだ。その原型機を作っていたのがブリッジポートマシン。その故郷、もはや痕跡も無いだろうけど、ブリッジポートが近くにあるというので、懐かしさから寄り道してみたもの。
中心街は荒れてはいるものの、ニューヨークに近いので、駅の周りは再開発されている。

 

ただ、かっては優秀な機械工が、まっとうにお金を稼ぎ、中流の生活をしていたと思われる、狭いけれど、小ぎれいだったと思われる住宅街は、半スラム化していた。

 

工場の廃墟や、荒れた事務所を眺めて、次の目的地、ハートフォードに向かう。
ハートフォードでまず見たのはマークトウェインの家。


内部は撮影禁止だったので、ブログには適さないが、非常に興味深いこった作りの家だ。
別館のマークトウェインの記念館の方にはいろんな遺品なども展示されていた。



マークトウェインの家の横にはアンクルトムの小屋を書いたストウ夫人の家がある。



こちらの家の見学はディスカッション方式で、説明者が見学者に色々質問しながら、ストウ夫人と奴隷制廃止運動に関して説明していく方式。
リンカーンが言った、「あぁ、こんな小さなあなたが、南北戦争を始めることになった本をお書きになった方か!」だとか、


マルコムXなどの「白人上流階級のストウになにが解かるんだよ。」、、、、まで、色々な人々の言葉や歴史が展示されている。

確かに、家の内部は、ニューイングランドの上流階級そのもの。


当時のアンクルトムの限界から現在の公民権->ダイバーシティーまでをカバーする展示で、これも心に残るツアーであった。


ニューハンプシャーからマサチューセッツのバークシャー地方に入り、高速道路を外れ、田舎の道を走ってみた。道は狭く、曲がりくねって緊張するが、これも楽しい数時間のドライブの後、今日の宿泊地、リーの町に到着。
5時頃、情報を求めて、タングルウッドまで足を延ばしてみたが、丁度門を閉める所だった。明日は朝から開場すると言うのが唯一得られた情報。

さて、今夜の宿はここ、シャンベリー・イン

 

1885年に建てられたカソリックの学校を改装して、宿にしたもの。
教室を一部屋にして、お風呂はジェットバスの豪華版。百年以上前の建物だが、アレクサが有ったり、TVもネット接続だったり、そして、何より広い。従業員は親切!(ランドリーは無いかと聞くと、たまった洗濯物を宿の洗濯機で洗わせてもらった)今回泊まった宿の中で、一押しだね。



夕飯は豪雨が降ってきたので、通りの向こうのエクアドル料理屋へ。串焼きにしたが、これも量が多くなく美味で当たりだった。


走った距離が長かったので、見学場所は少なかったが、楽しめた一日。

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イーグルスのホテルカリフォルニアのアルバム最後の意味深な曲、Last Resort の冒頭に
 ♪ She came from Providence, the one in Rhode Island.  ♬
 ♪ Where the old world shadows hang heavy in the air. ♬
と言う歌詞があり、全米で一番小さい州のRIに行って見たいと思っていた。
泊まったニューポートのあるロードス島(Rohde Island)?から本土に渡る橋。


観光案内に良い景色だと書かれていたのでコルト州立公園に寄ったのだが、朝霧の影響で遠くまで見通せない、残念。


プロビデンスと言えば、日本ではあまり有名ではないが、アイビーリーグのブラウン大学(国谷さんが卒業した大学)。


卒業式も終わり、週末かつ学期末休みのキャンパスは人もまばらで生協は開いていない。文化人類学博物館が開いていたので、眺め、中庭で日光浴。


ブラウン大学を出て、2ブロックほど走った所で、車窓を見ると、何かやっている雰囲気の館が有ったので、車を降りてみる。これが大当たり、ブラウン大学の名の元になったブラウン一族のマンションが、年に一度の無料公開日だ。


階段を上がり、



奴隷貿易や中国貿易で財をなしたブラウン家のダイニングの陶器類。


寝室。



窓の外を眺めると、庭に人だかりが。


300年前の衣装をまとってクリケットの原型に興じる女性。


お茶の後ではボーリングと言うか、ペンタクというかをやっている。


写真のお婆さんは年に一度のこの日の為に、ミシンを使わず手縫いで衣装を作り、遠くNYから参加したのだとか。
昔の子供用遊び道具を展示していたので、米国式けん玉?に挑戦。痛い脚をかばったのが良かったか、2回目で成功。


と、散々 ♬Where the old world shadows hang heavy in the air ♪  を楽しみました。
時間も押してきました、ロードアイランド州議会を遠くから眺めて、次の目的地に向かいましょう。


100kmほど走って、ミスティックシーポートへ。ミスティックの港に残る建物にさらにその当時の建物を移築してテーマパーク化した施設。週末なので家族連れが多い。

ニューイングランドと言えば捕鯨船。動態保存されている184年に建造された捕鯨船チャールズ・モーガン号。


ただ、脚が痛いので、先ずは休んでサンドイッチとサラダで昼食。


船鍛冶場でハンマーを振るう女性。


帆船と言えば、ロープは必需品。その昔のロープ工場がそのまま残っていた。何十本の紐をより合わせ、向こう側に引っ張っていく仕組み。


1時間に一本の観光船が出て行ってしまった。


と眺めていたら、湾の入り口の跳ね上げ可動橋が開き、ヨットなどが入港してくる。


元の場所に戻ってくれば、さっきまで広がっていたモーガン号の帆を声を合わせながら、たたんでいる。


また100km走ってニューヘブンへ。まずモーテルにチェックインして、まだ日が長いので、今日2つ目のアイビーリーグ、イェール大学へ。
ビジネススクールは列柱はあるものの、ガラスと鉄の超近代的な校舎。


リベラルアーツ系の本部校舎はイギリス風。


どういう経緯かは知らないが、Bフランクリンカレッジはイェール大学の一部門らしい。中庭でフランクリンと一緒に。


ニューヘブンの町から、モーテルに戻るのに、高速分岐のレーンチェンジが間に合わず、行き過ぎ2回。暗くなった中、宿に戻る。途中の米国の平均的と思われるレストランに飛び込み、ジャンバラヤとチキンパイで夕食。しかし、量が半端なかった。



天気も良いし、260km走って、New England のOld Worldをたっぷり観光した一日。

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