逆風に抗して Against the wind,♪ we are running against the wind.♪
ここではないどこかへ。モモンガーの旅
2018年に横浜から信州にUターン
自転車と日々の生活を
綴ります。
 



ウッドストックフェスティバル50周年の今年、ウッドストックの町から2時間かかると言われても、何も無いよと言われても、やはりフェスティバルの現場に行って見たい。はやる心を抑えきれず、ガソリン補給後、町(下図の黄緑色)を出た。後知恵で考えると、もうすぐランチ時間なのだから、ウッドストックの町で昼食を取っていれば、大惨事は避けられたのだが、、、。


Rockの聖地、ウッドストックフェスティバル会場を目指して、湖畔の平な道から、急な山道を登っていく。車は少ないが、前に白い車が見え隠れしているのを追って走る。登りが終わって、下りに入った途端、道路の真ん中に茶色い物体。動物かとブレーキを掛けたが、間に合わず。茶色の物体は岩(Big Rock)だった。車体の下に入った岩で、車をバウンドさせ、通過する。 やっちまったと、車を停め、タイヤの横から車体下を眺めると、油が漏れ始めている。携帯は? 山の中でアンテナマークは立た無い。マズイ、マズイ。パニックになりそうな表情を連れ合いに見せないようにして、エンジンに負担を掛けず、電波の届く所まで、坂を下ろう。と走りだして、数百メーター走ったろうか? 前を走っていた白い車もエンジンフードを開けて、停車しているではないか。(地図の黄色の地点)
慌てて、白のジープチェロキーの前に車を回したところで、Pポジションにしたら、ウォーニングランプ点灯、エンジンが止まってしまった。しかし、少なくとも、自分たち二人のみでは無くなったので、パニック状態は少し収まる。

先行していたチェロキーも岩に乗り上げたがものの、四駆で車高が高く、エンジンに異常は無さそう。ただ駆動系から異音がするとのこと。我々の車を押してもらい、路肩に停めてもらう。彼らは携帯電話の通じる所まで戻り、さらに自動車修理工場を見つけて、車をチェックしてもらうつもりとのこと。「そっちの車は動かないのだから、貴重品だけ持って、チェロキーに乗って町に戻ろう。」となった。



で、戻った先が上の地図の水色地点、Walt’s Auto。チェロキーの前で、車を眺める、修理工場のWalter Grabowskiさん、そして、真中の二人が私たちを助けてくれたRichard と John Repetti兄弟。 



車をリフトで上げてみると、アルミのアンダーカバー兼前トランスアクスル支え?に割れが入っている。



前を走っていた車がジープチェロキーだったので、エンジンが壊れずに人里まで帰ってこれたが、もし単独事故だったら、麓の携帯が通じる場所まで、10km以上歩かねばならなかった所だった。

ハーツに電話して事情を話すと、先ず事故報告書を警察から取れとのたまう。参ったなと思っていたら、Repetti兄弟も保険求償の為、事故報告書必要なので、警察を呼んだという。



ほどなく、所轄のOlive Policeがやってくる。私の車はここには無いので、ちょっと心配したが、パトカーの中でチャッチャと報告書を作ってくれる。


で、できた簡易報告書がこれ。正式報告書は上司の承認後、ウェブに載るのだそうだ。


警察が事故証明を作っている間、ウッドストックフェスティバルの会場目指して走っていたんだという話をしたら、なんと、助けてくれた、John Repettiさん、50年前、ベトナム戦争から無事に帰って2ヶ月後、退役して次の仕事を探している時、ウッドストックの話を聞き、3日間のコンサートに参加したのだそうだ。今回ウッドストックの現場には行けなかったが、事故のお陰で生き証人に会えて光栄だと冗談を言いながら自分を納得させたのであった。
よく見ると、アンダーアーマーの同じ色のフリースを着ている、John Repettiさんと一緒に記念撮影。


事故が11:30で、報告書ができたのが13:30。思ったより早く手続きが進んでいく。この分なら、レンタカーの交換もスムーズに行くと期待したのが、間違いのもと。

助けてくれたRepetti兄弟に散々お礼を言い、ジープのディーラーへと向かう、彼等を見送る。そしてハーツに再度連絡し、事故証明書はできたから、レッカーを派遣してと頼む。

で、待つこと2時間、15:30にAAAのマークを付けた、レッカーが来た。よし是で貴重品を持って、次の段階だと思ったのだが、、、


な、なんと、このレッカー車、車のある位置を聞いたら、そこは山の向こうで、我社の管轄外とか言って、我々を残して帰ってしまう。
ハーツの事故係につながりにくい電話を何度もして、レッカーが帰ってしまったが、一体どういうことだ、我々を見捨てるつもりか? 、、、、、
電波の届きが悪く、切れ切れで要領を得ない応答が30分ほど続いただろうか?突然ハーツの事故係から、事故車の傍らに借りた人間が居ないのがレッカー車が帰った原因だ、これから再度レッカー車を手配するので、レッカー代金$800必要だとのたまう。
携帯の繋がらない山の中で、レッカー車を待てと言うのか? いったいハーツの事故対応はどうなっているのか? こういう時の常套句、上司を電話に出してくれとしつこく要求するも、それには答えず。携帯の電池は無くなってくるし、、、、で、一旦電話を切る。

連れ合いからせっつかれ、もう少しで$800にOKしそうになったが、冷静になって考え直した。そうだ、JAFカードを持っている! ハーツでなく、AAAに電話して、レッカーが一度来たけど、ハーツとの契約か何かで問題があるようで、帰ってしまったが、私はJAFの会員、米国ではAAAのレッカーサービスを受ける権利があるはずだ。海外クラブコードは、、、。会員番号はXXX。ハーツと話しをして、壊れた車を引き取りに来てくれと申し込むと、何回かの堂々巡りを経た後、ようやくAAAがレッカーをだしてくれることになった。
その後、ボイスメールで、レッカーが出発しましたというメッセージが入るも、1時間待ても、2時間待ってもレッカーが来ない。

さすがに、この時は、困った顔をしていたら、Walt's Auto の Grabowskiさんが、タダと言う訳には行かないが、規定の距離料金なら$250位だから、私のレッカーで車を回収して、近所のKingstonにあるハーツまで運ぼう。Kingstonで宿を取り、明日、代車を入手しなさいとアドバイスされる。修理工場も閉める時間だし、暗くなり始めたので、仕方ない、そうしようと、Grabowskiさんのレッカーに乗って、山を目指した。
で、数分走っただろうか?あれ、青い現代車を乗せたレッカーがこちらに向かってくる。慌ててUターン。工場に戻ると、私の車がAAAの別のレッカーの上に載っている。


レッカーの運転手に聞くと、車のキーが無いので、山の中で載せるのに苦労したとのこと。だから、キーは私が持っているので、Walt's Autoに迎えに来いと、電話で言ったのに、、、、。で、どこまで車を持って行くのか聞くと、オーバニー空港のハーツデポだとのたまう。(もう地元のハーツは営業終了、ニューアークかオーバニー空港しか開いていない)そこまでついて行って、代車を受領して、またこちらに戻ったら、深夜を越えてしまう。さすがに、その体力、気力が無い。ハーツに電話して、キングストンで代車を用意してと頼むも、コンピュータ上ではキングストンに代車となりそうな車はある。ただ営業所はもう閉まっているので、確約はできない、、、、。

爆発しそうになる私を見かねて、Grabowskiさんが、俺が送って行ってやるから、Kingstonに宿を取り、明日朝、ハーツの営業所に行きな。あそこなら、ホテル、ハーツ営業所、レストランは2マイル圏内に全てあると助言してくれる。レンタカーからすべての荷物を取り出し、Grabowskiさんの車で、Kingstonに着いたのは夜の8時過ぎ。彼へのお礼、別の宿を取ったので宿のキャンセル代、、、は掛かったが、大Rockに邪魔されてRockの聖地は中断となった一日は暮れて行ったのだった。

Richard と John Repetti兄弟、そしてWalter Grabowskiさんという、本当に親切な米国人に助けられ、大惨事から脱出した一日だった。(あっ、Graboskiさんは18歳でポーランドから逃げてきたから半分のみ米国人か?)

一部走行軌跡は無いが、今日の走行記録は下記をダブルクリック。

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昨日はクラッシク音楽の聖地の一つタングルウッドを訪れたので、今日はロックの聖地の一つウッドストックを訪問し、最後にFDルーズベルト邸とバンダービルド邸まで行ければという計画だった。
脚の痛みも大夫収まり、ロキソニンなしでも動けるようになった。スプリングウォーターB&Bの朝食。出来立てのスコーンとか、モーテルの朝食と違い楽しく頂けた。

 

天気も良いし、昨日泊まった2階の部屋を後にさあ出発。


ハドソン川の支流を渡って、さらに高速を走り、先ずは聖地その1、ウッドストック近くのディランとバンドが合宿所兼録音スタジオにしていたビッグピンクを探し出しましょう。


高速を降り、ナビの言う通り、走っていたら、車もすれ違えないような、山の中の砂利道へ。本当にこの道で良いのかと不安が募る頃、


右を見ればジャケット写真で見慣れた建物が。知っている人は知っているビッグピンク。


The Bandの Music from Big Pink のジャケット写真にあるピンク色の建物の通称がビックピンク。


周りの木が茂ったのを除き、建物の雰囲気は50年前と変わっていない。
ここの地下室でボブ・ディランのBasement Tapesが録音されたんだ。学生の頃、ディランフリークが海賊版が出たと言って、買ってきたLPを聞いたっけ。その後出た正規版がこれ。



ロックの聖地とは言っても、私のような酔狂な奴が時々来るだけなので、目印も表示も何もない。ひと気も全くない辺りを少し散歩すると、少し離れた林の中に、70年代ヒッピー文化を引きずるような、トレーラーハウスとガラクタ置き場があった。


ビックピンクはウッドストックの町から少し離れた所にあるので、町へと向かった。で、町に着いたのだが、何か違う気がする。


50年前の1969年8月にウッドストックフェスティバルが行われ、その時のフィルムに近くの町が写っていたが、本当に小さな町だった。でもこの町は随分大きい。記憶の底に、フェスティバル会場はウッドストックからすごく離れた場所だというのを40数年前に読んだ記憶もおぼろげながらある。
街角の人に、ウッドストックフェスティバルの会場はどこなんだ?と聞くと、ずっと遠い所、車で2時間弱かかる。それに行っても何もないから、この町で遊んで行ったらとのたまう。
あれ、まぁ、ここで、ぐずぐずしていると、日が暮れてしまうと、すぐさま走り出したのが、間違いの始まり。ゆっくりランチでも食べて出かければよかったのに、、、、

と、大惨事の顛末は長くなるので、次のエントリーで。

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