江戸時代に遊郭が客寄せに初めて大当たりしたのが起源という「長野えびす講煙火大会」ですが、季節外れの大きな花火大会でもあり、ハイレベルな煙火師が集まる大会として全国の花火マニアから注目されています。全てを見たわけではありませんが、今年は竹の姿を現した実に高度な技術の花火があり、それは見事でした。形を模した花火というのは結構あって、まあそう見ようと思えば蝶に見えなくもないねというレベルのものが多いのですが、これは違いました。驚きました。しかも美しい。
冬の花火というのは、空気が澄んでいて映えますが、日本では花火はお盆の精霊を弔う行事として定着したので季節外れであり、清少納言にいわせれば「すさまじきもの」になるやもしれませんが、欧米ではむしろニューイヤーの花火など冬に打ち上げられることも多く、必ずしも夏のものではありません。ウディ・アレンの名画「マンハッタン」のオープニングでニューヨークの摩天楼に打ち上がる無数の花火のシーンが有名なように、真夏のイメージとリンクしません。
Manhattan (Opening)花火のシーンは、ガーシュインのラプソディ・イン・ブルーのサビとともに最後に出てきます。
花火の始まりは狼煙だそうですが、花火大会を最初に見たのは、天正9年(1582年)4月にイエズス会が最初だとか、天正17年(1589年)7月の伊達正宗が最初だとかいわれていますが、戦国時代ですから庶民が楽しめるようなものではなかったでしょう。本格的に花火大会が行われる様になったのは、慶長18年(1613年)8月に明の商人によって持ち込まれた花火を見た徳川家康からだといいますから、平和になった江戸時代からということです。いわゆる打揚花火は、1751年に開発されたとされているようです。それまでは、いわゆる大筒から火の粉が吹き出すような花火だったようです。長野は花火の生産地で、妻女山の山向こうにもあったそうですが、爆発して廃業したそうです。
信州では、イベントや運動会の合図に盛んに花火が打ち上げられます。これは東京から来た人には信じられないことなのですが、当の信州人は子供のころからそれが当たり前に思っているので、不思議には思いません。ところで妻女山にも麓の小学校で打ち上げた花火の丸い殻がよく落ちているのですが、この「音花火」は非常に危険なんだそうです。「花火情報館」の「花火の威力と危険度」に詳しく書かれています。火薬がたくさん詰まった花火が、こんなにたくさん一般商店で売られているのは、中国と日本ぐらいじゃないでしょうか。欧米ではあり得ないことです。武器が作れますからね。子供の花火だって実は危険なんです。手持ち花火の温度は1200~1500度だそうです・・。昔、よく花火を分解しましたが、絶対やってはいけないと言われていた意味が、これを読むとよく分かります。
昨年のブログで書きましたが、遠花火というのは夏の季語ですが、切なさや郷愁を誘うものでもあるようです。無常や祖先を弔う日本人の文化や感性とよく合うのでしょう。
「しずかさや 外山の花火 水をとぶ」
「大名の花火そしるや江戸の口」小林一茶
「音もなし 松の梢の 遠花火」正岡子規
「死にし人 別れし人や 遠花火」鈴木真砂女
「遠花火 人妻の手が わが肩に」寺山修司
「遠花火 歓声もなく 温もなく」
「遠花火 記憶の底に 散る夜かな」
「君の名を 呟いてみる 遠花火」 林風
まあ、色々な想いが交錯する遠花火ではあります。
★虫倉山のトレッキングルポは、フォトドキュメントの手法で綴るトレッキング・フォトレポート【MORI MORI KIDS(低山トレッキング・フォトレポート)】にアップします。北アルプスの大パノラマや山座同定を掲載する予定です。現在製作中。
冬の花火というのは、空気が澄んでいて映えますが、日本では花火はお盆の精霊を弔う行事として定着したので季節外れであり、清少納言にいわせれば「すさまじきもの」になるやもしれませんが、欧米ではむしろニューイヤーの花火など冬に打ち上げられることも多く、必ずしも夏のものではありません。ウディ・アレンの名画「マンハッタン」のオープニングでニューヨークの摩天楼に打ち上がる無数の花火のシーンが有名なように、真夏のイメージとリンクしません。
Manhattan (Opening)花火のシーンは、ガーシュインのラプソディ・イン・ブルーのサビとともに最後に出てきます。
花火の始まりは狼煙だそうですが、花火大会を最初に見たのは、天正9年(1582年)4月にイエズス会が最初だとか、天正17年(1589年)7月の伊達正宗が最初だとかいわれていますが、戦国時代ですから庶民が楽しめるようなものではなかったでしょう。本格的に花火大会が行われる様になったのは、慶長18年(1613年)8月に明の商人によって持ち込まれた花火を見た徳川家康からだといいますから、平和になった江戸時代からということです。いわゆる打揚花火は、1751年に開発されたとされているようです。それまでは、いわゆる大筒から火の粉が吹き出すような花火だったようです。長野は花火の生産地で、妻女山の山向こうにもあったそうですが、爆発して廃業したそうです。
信州では、イベントや運動会の合図に盛んに花火が打ち上げられます。これは東京から来た人には信じられないことなのですが、当の信州人は子供のころからそれが当たり前に思っているので、不思議には思いません。ところで妻女山にも麓の小学校で打ち上げた花火の丸い殻がよく落ちているのですが、この「音花火」は非常に危険なんだそうです。「花火情報館」の「花火の威力と危険度」に詳しく書かれています。火薬がたくさん詰まった花火が、こんなにたくさん一般商店で売られているのは、中国と日本ぐらいじゃないでしょうか。欧米ではあり得ないことです。武器が作れますからね。子供の花火だって実は危険なんです。手持ち花火の温度は1200~1500度だそうです・・。昔、よく花火を分解しましたが、絶対やってはいけないと言われていた意味が、これを読むとよく分かります。
昨年のブログで書きましたが、遠花火というのは夏の季語ですが、切なさや郷愁を誘うものでもあるようです。無常や祖先を弔う日本人の文化や感性とよく合うのでしょう。
「しずかさや 外山の花火 水をとぶ」
「大名の花火そしるや江戸の口」小林一茶
「音もなし 松の梢の 遠花火」正岡子規
「死にし人 別れし人や 遠花火」鈴木真砂女
「遠花火 人妻の手が わが肩に」寺山修司
「遠花火 歓声もなく 温もなく」
「遠花火 記憶の底に 散る夜かな」
「君の名を 呟いてみる 遠花火」 林風
まあ、色々な想いが交錯する遠花火ではあります。
★虫倉山のトレッキングルポは、フォトドキュメントの手法で綴るトレッキング・フォトレポート【MORI MORI KIDS(低山トレッキング・フォトレポート)】にアップします。北アルプスの大パノラマや山座同定を掲載する予定です。現在製作中。