明けまして御目出度うございます。旧埴科郡や旧更級郡の旧家では、元旦の朝に雑煮ではなく、伝統料理の「おしぼりうどん」を頂く風習があるのです。太く長くということでしょうね。今回は、友人が作った幻の小麦、伊賀築後オレゴン(通称イガチク)をブレンドしたうどんを、小野式製麺機で作りました。前々日から足で踏み込んでのして熟成させてきたものです。これを、ねずみ大根などの辛味大根の絞り汁に味噌を溶いた汁につけて頂きます。この食べ方は、醤油がまだ無かった頃の、最も古典的な麺類の汁と言われています。旧埴科郡と旧更級郡は、麺類の故郷なのです。
左はうどんを茹で上げているところ。中は、昼に作った野沢菜のカブのおやき。野沢菜のカブをついて、人参、キャベツ、海老、アサリ、ホタテを出汁、牡蠣ソース、XO醤、信州味噌、酒、味醂で炒めた具を、イガチクの生地で挟んで焼いたものです。馬鹿旨です。右は、大晦日に二十歳になった次男のお祝いに生まれた時に頂いたワインです。94年もののシャンベルタン。
そして、元旦の午後に粉雪舞う中を初詣に出かけました。八幡の信濃国二之宮の武水分神社に向かったのですが、凄い人なので諦めて、上の姨捨駅に向かいました。写真は駅のホームからの棚田と五一山脈。間には千曲川が流れています。
日本3大車窓駅とスイッチバックで有名な姨捨駅のホームから。鉄オタが撮影に陸橋の上やホームに来ていました。別に鉄オタではありませんが、近所にJR東日本に勤めて電車を運転したり車掌をしている美人の娘さんがいたり、息子達も小さな頃から京王線が好きだったので、鉄道は好きなのです。京王線のCMソングを千曲市出身の熊木杏里さんが歌っていますしね。ここから見る夕暮れの景色や夜景は本当に素晴らしいものです。
中の写真。左の線路は長野から松本への直通線路で、姨捨駅に停まらない特急や貨物はここを直進します。右にある二本の路線が姨捨駅に入るスイッチバックの線路。右は、その姨捨駅。この線路の向こう側は行き止まりです。右下に篠ノ井線の本線が見えます。
長野から松本行きの二両編成の列車が雪の中を3分遅れで登ってきました。スイッチバックしてバックで駅に入り停車中が中の写真。右は、その後4分遅れで雪煙を立てながら入ってきた松本発長野行きの普通列車。
右、松本行。左、長野行。雪が激しくなり、善光寺平は見えなくなって来ました。ワンマンカーなんですが、二人乗車していました。降雪と、先日この下で車とワイドビューしなのが衝突する事故があったためでしょうか。それとも運転実習中でしょうか。サービス業というのは、人が遊んでいたり休んでいる時に仕事をしなけらばならないわけで、大変な仕事です。鉄道は人の命を預かっていますしね。まあ、それは普通の見方です。これらの列車に乗っている人には、それぞれの事情があるわけです。新年早々から仕事に行く人。やっと実家に帰る人。彼女と初詣。中にはお悔やみにに行く人もいるかもしれません。様々な人生を運ぶのが公共交通機関なのです。
まず、長野行きが出て行きました。バックで先に進んで、左下の線路を下って長野に向かいます。その間、この前にある踏切はずっと閉まったままです。ちなみに、この時の気温はマイナス5度でした。次第に雪も激しくなってきました。
両方の列車が去ったので、その下にある名月の里信濃三十三番札所第14番、姨捨山長楽寺に向かいました。写真は雪に煙る観月堂と姥岩。
「おもかげや 姥ひとりなく 月の友」松尾芭蕉
「わが心 慰めかねつ更級や おばすて山に 照る月を見て」古今和歌集
棄老伝説というのは、実はその起源は日本ではなくインドだと言われています。老人や子供を大事にしない社会は、いずれ滅びます。
「正月は 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」一休さん(妻女山里山通信)
左はうどんを茹で上げているところ。中は、昼に作った野沢菜のカブのおやき。野沢菜のカブをついて、人参、キャベツ、海老、アサリ、ホタテを出汁、牡蠣ソース、XO醤、信州味噌、酒、味醂で炒めた具を、イガチクの生地で挟んで焼いたものです。馬鹿旨です。右は、大晦日に二十歳になった次男のお祝いに生まれた時に頂いたワインです。94年もののシャンベルタン。
そして、元旦の午後に粉雪舞う中を初詣に出かけました。八幡の信濃国二之宮の武水分神社に向かったのですが、凄い人なので諦めて、上の姨捨駅に向かいました。写真は駅のホームからの棚田と五一山脈。間には千曲川が流れています。
日本3大車窓駅とスイッチバックで有名な姨捨駅のホームから。鉄オタが撮影に陸橋の上やホームに来ていました。別に鉄オタではありませんが、近所にJR東日本に勤めて電車を運転したり車掌をしている美人の娘さんがいたり、息子達も小さな頃から京王線が好きだったので、鉄道は好きなのです。京王線のCMソングを千曲市出身の熊木杏里さんが歌っていますしね。ここから見る夕暮れの景色や夜景は本当に素晴らしいものです。
中の写真。左の線路は長野から松本への直通線路で、姨捨駅に停まらない特急や貨物はここを直進します。右にある二本の路線が姨捨駅に入るスイッチバックの線路。右は、その姨捨駅。この線路の向こう側は行き止まりです。右下に篠ノ井線の本線が見えます。
長野から松本行きの二両編成の列車が雪の中を3分遅れで登ってきました。スイッチバックしてバックで駅に入り停車中が中の写真。右は、その後4分遅れで雪煙を立てながら入ってきた松本発長野行きの普通列車。
右、松本行。左、長野行。雪が激しくなり、善光寺平は見えなくなって来ました。ワンマンカーなんですが、二人乗車していました。降雪と、先日この下で車とワイドビューしなのが衝突する事故があったためでしょうか。それとも運転実習中でしょうか。サービス業というのは、人が遊んでいたり休んでいる時に仕事をしなけらばならないわけで、大変な仕事です。鉄道は人の命を預かっていますしね。まあ、それは普通の見方です。これらの列車に乗っている人には、それぞれの事情があるわけです。新年早々から仕事に行く人。やっと実家に帰る人。彼女と初詣。中にはお悔やみにに行く人もいるかもしれません。様々な人生を運ぶのが公共交通機関なのです。
まず、長野行きが出て行きました。バックで先に進んで、左下の線路を下って長野に向かいます。その間、この前にある踏切はずっと閉まったままです。ちなみに、この時の気温はマイナス5度でした。次第に雪も激しくなってきました。
両方の列車が去ったので、その下にある名月の里信濃三十三番札所第14番、姨捨山長楽寺に向かいました。写真は雪に煙る観月堂と姥岩。
「おもかげや 姥ひとりなく 月の友」松尾芭蕉
「わが心 慰めかねつ更級や おばすて山に 照る月を見て」古今和歌集
棄老伝説というのは、実はその起源は日本ではなくインドだと言われています。老人や子供を大事にしない社会は、いずれ滅びます。
「正月は 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」一休さん(妻女山里山通信)