前回は妻女山から鞍骨山(鞍骨城跡)までの登山道整備をしたのですが、今回はその先の御姫山までをしました。なんていうか寒の戻りのせいか腰の具合がもう一つでギクシャクしながらゆっくりと登りました。途中、早々と鞍骨から下りてきた千曲市の男性と邂逅。色々話をしましたが拙書を見せると、これは凄くいいですねと。やはり地形図が載っているのがいいということです。国土地理院の地形図をダウンロードして、斜体でジャギっている山名を消して等高線を引き直して新たに山名を記入したことには大変驚かれていました。滅茶苦茶手間のかかる作業でした。地形図を図と文字のレイヤーに分割して欲しいです。
二本松峠から笹の道を抜けると鞍骨山が姿を現します(左)。最近は歴女も全国から訪れますが、途中の天城山(てしろやま)周辺が非常に迷い易いので、ぜひ拙書を携帯してください。鞍骨城跡の本郭の石積み(中)。上杉景勝時代のものといわれています。北条氏直を牽制するために、ここに駆け上がり御旗を立てたという逸話が残ります。鞍骨城跡(鞍骨山山頂)の本郭(右)。今回もバラを100本以上切りました。普通に登れる現状を当然と思っているかもしれませんが、以前はヤマガシュウやエビガライチゴの藪が塞いで、とても歩ける状況ではありませんでした。除去に何度も通って現在の状態にするのに2年かかりました。
今回は鞍骨城跡から東へ痩せ尾根を進みます。まず最初の西展望岩(左)。次に小さな堀切を越えてすぐに東の展望岩(中)。松代(海津)城跡が眼下によく見えます。いつもはここで引き返していたのですが更に先へ。かなり深いコル(右)。地元の古老の話では、昔は石段があったとか。これも自然地形を更に削って作ったものの様です。
明るい尾根を進んでほんの少しの急登(左)。鞍骨山と北の象山からの尾根と、南の鏡台山からの尾根との稜線出合(中)。標高は約825mです今回はここから南へ尾根を進みます(右)。すぐにアンテナの鉄塔。前方に御姫山のシルエット。以前はこの尾根は酷い灌木林の藪でしたが、森林組合の人が伐採してくれたお陰で清々しました。環境破壊の元になるテーピングを回収しながら進みます。若い登山者はしません。環境問題に疎い自分勝手な老人がするのです。老害です。自分のためにした場合は回収すべきです。余計なお節介は不要。公のコンセンサスもありません。山は自己責任で登るべきです。
明るい尾根を進むとすぐに石を積んだ山の神(左)。御姫山までの間には二つの小ピークがあります(中)。最初の小ピークに「お姫山」の標識がありますがこれは間違い。御姫山はここではありません。拙書で確認してください。二つの小ピークを越えると御姫山への急登(右)急登ですが距離は短いので頑張りましょう。
標高約930mの御姫山山頂(左)。山頂は特になにもありません。越冬したヒオドシチョウがたくさん舞っていました(中)。ここで絶品の野沢菜炒飯と大根の酢辛子漬けで昼食。いずれも私の自作。山頂から南には、戸神山脈の続きの大嵐山とその先の鏡台山が見えます(右)。御姫山から鏡台山までは1時間半から2時間。
御姫山から赤松林越しに見える左に根子岳と右に四阿山。拙書では、真田信繁と四阿山について記しています。山頂には真田家が尊崇した山家神社の奥宮があるのですが、その歴史も記しています。
手前は保基谷岳への尾根。今年は積雪が少なく、根子岳も木々の緑が見えます。麓から長野市の正午のメロディー、子鹿のバンビが流れます。昔はエリーゼの為にだったような記憶。
昼食後戻ります。赤松林の混合林の急坂(左)。登山道に出た枝を切ったり、ヤマガシュウを切除します。左手(西側)には、千曲市の倉科の里が見えます(中)。尾根から右に鞍骨山、左に天城山(右)。これから鞍骨、天城経由で妻女山まで下ります。そのヤマガシュウですが、曲がりをちゃんと見ておかないと、切った瞬間にこっちへ跳ねてくるのです。今回も迂闊に切って顔に直撃。悲鳴をあげました。登山道脇は切りますが、その奥は切りません。彼らにも生存権はあります。人間の都合だけで考えてはいけません。
鞍骨山への尾根には、南面にはヤマナラシ(左2点)、北面にはシラカバ(右2点)の群生地があります。尾根上にはネズミサシやチャボガヤも。中腹にはないアブラチャンも見られます。
帰りの鞍骨城跡の東にある展望岩からの善光寺平(川中島)の眺め。ここは本当に展望がいいのでお勧めです。左に妻女山(赤坂山)。右に象山。中央の森が八幡原(はちまんぱら)。先日、友人の医師が初めてここを歩いたのですが、川中島の全貌や、旧千曲川の流れを想像したり、非常に面白かったと言っていました。歴女、歴史マニアにはお勧めのコースです。ぜひ拙書をご持参ください。
帰りは南面から下ります。通常はこの郭から右へ行くのですが、今回はそのまま南へ(左)。ちょっと急ですが、慎重に下ります。郭が続いています(中)。下りると左手(東)に道があります(右)。これは鞍骨城跡の昔の南面の巻道です。コルまで続いていたのですが、現在は崩壊しています。亡父はこの道を歩いて何度も鏡台山までキャンプに出掛けたと言っていました。
陣馬平に立ち寄ると、貝母が更に成長していました(左)。蕾も見えます。これはタネツケバナの一種でしょうか(中)。あまりに小さくて見落としがちです。ヨモギの若葉も出始めました(右)。草餅は絶品ですが、この天ぷらも美味です。今日は小雨の予報が酷い降雪になってしまいました。信州の本格的な春は、まだまだ先の様です。
ところで陣馬平に寄ったら、オフロードバイクの轍がありました。とんでもない事です。山林は全て私有地です。他人の畑や敷地を無断で走るのと同じ違法行為です。跡を見ると希少植物が踏み荒らされていたり、知り合いのヒノキ林は枝が折れていたそうで、植林地を走ると根が傷みます。所有者の依頼で看板を立てましたが、続くようなら警察に通報するしかありません。林道以外の走行は違法行為です。登山道ももちろん駄目。そんな当たり前の事も分からない馬鹿な大人がいるのは本当になさけない。
今回のコースは下記の拙書でも詳しく紹介しています。地味な里山ですが、静かな山行が楽しめます。健脚であれば鏡台山へも行けます。武田別働隊の経路を想像しながら登るのもいいでしょう。川中島合戦については、右上のこのブログ内で「妻女山」「斎場山」「川中島の戦い」「川中島合戦」など。古代史がお好きならば、「科野国」「会津比売命」などで検索をしてみてください。色々出てきます。
◉川中島合戦と山名についての考察。斎場山と妻女山まとめ。(妻女山里山通信)
既存の歴史書では読めない内容が書かれています。
◆『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。陣馬平への行き方や写真も載せています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。その山の名前の由来や歴史をまず書いているので、歴史マニアにもお勧めします。
★本の概要は、こちらの記事を御覧ください。
★お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左上のメッセージを送るからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
二本松峠から笹の道を抜けると鞍骨山が姿を現します(左)。最近は歴女も全国から訪れますが、途中の天城山(てしろやま)周辺が非常に迷い易いので、ぜひ拙書を携帯してください。鞍骨城跡の本郭の石積み(中)。上杉景勝時代のものといわれています。北条氏直を牽制するために、ここに駆け上がり御旗を立てたという逸話が残ります。鞍骨城跡(鞍骨山山頂)の本郭(右)。今回もバラを100本以上切りました。普通に登れる現状を当然と思っているかもしれませんが、以前はヤマガシュウやエビガライチゴの藪が塞いで、とても歩ける状況ではありませんでした。除去に何度も通って現在の状態にするのに2年かかりました。
今回は鞍骨城跡から東へ痩せ尾根を進みます。まず最初の西展望岩(左)。次に小さな堀切を越えてすぐに東の展望岩(中)。松代(海津)城跡が眼下によく見えます。いつもはここで引き返していたのですが更に先へ。かなり深いコル(右)。地元の古老の話では、昔は石段があったとか。これも自然地形を更に削って作ったものの様です。
明るい尾根を進んでほんの少しの急登(左)。鞍骨山と北の象山からの尾根と、南の鏡台山からの尾根との稜線出合(中)。標高は約825mです今回はここから南へ尾根を進みます(右)。すぐにアンテナの鉄塔。前方に御姫山のシルエット。以前はこの尾根は酷い灌木林の藪でしたが、森林組合の人が伐採してくれたお陰で清々しました。環境破壊の元になるテーピングを回収しながら進みます。若い登山者はしません。環境問題に疎い自分勝手な老人がするのです。老害です。自分のためにした場合は回収すべきです。余計なお節介は不要。公のコンセンサスもありません。山は自己責任で登るべきです。
明るい尾根を進むとすぐに石を積んだ山の神(左)。御姫山までの間には二つの小ピークがあります(中)。最初の小ピークに「お姫山」の標識がありますがこれは間違い。御姫山はここではありません。拙書で確認してください。二つの小ピークを越えると御姫山への急登(右)急登ですが距離は短いので頑張りましょう。
標高約930mの御姫山山頂(左)。山頂は特になにもありません。越冬したヒオドシチョウがたくさん舞っていました(中)。ここで絶品の野沢菜炒飯と大根の酢辛子漬けで昼食。いずれも私の自作。山頂から南には、戸神山脈の続きの大嵐山とその先の鏡台山が見えます(右)。御姫山から鏡台山までは1時間半から2時間。
御姫山から赤松林越しに見える左に根子岳と右に四阿山。拙書では、真田信繁と四阿山について記しています。山頂には真田家が尊崇した山家神社の奥宮があるのですが、その歴史も記しています。
手前は保基谷岳への尾根。今年は積雪が少なく、根子岳も木々の緑が見えます。麓から長野市の正午のメロディー、子鹿のバンビが流れます。昔はエリーゼの為にだったような記憶。
昼食後戻ります。赤松林の混合林の急坂(左)。登山道に出た枝を切ったり、ヤマガシュウを切除します。左手(西側)には、千曲市の倉科の里が見えます(中)。尾根から右に鞍骨山、左に天城山(右)。これから鞍骨、天城経由で妻女山まで下ります。そのヤマガシュウですが、曲がりをちゃんと見ておかないと、切った瞬間にこっちへ跳ねてくるのです。今回も迂闊に切って顔に直撃。悲鳴をあげました。登山道脇は切りますが、その奥は切りません。彼らにも生存権はあります。人間の都合だけで考えてはいけません。
鞍骨山への尾根には、南面にはヤマナラシ(左2点)、北面にはシラカバ(右2点)の群生地があります。尾根上にはネズミサシやチャボガヤも。中腹にはないアブラチャンも見られます。
帰りの鞍骨城跡の東にある展望岩からの善光寺平(川中島)の眺め。ここは本当に展望がいいのでお勧めです。左に妻女山(赤坂山)。右に象山。中央の森が八幡原(はちまんぱら)。先日、友人の医師が初めてここを歩いたのですが、川中島の全貌や、旧千曲川の流れを想像したり、非常に面白かったと言っていました。歴女、歴史マニアにはお勧めのコースです。ぜひ拙書をご持参ください。
帰りは南面から下ります。通常はこの郭から右へ行くのですが、今回はそのまま南へ(左)。ちょっと急ですが、慎重に下ります。郭が続いています(中)。下りると左手(東)に道があります(右)。これは鞍骨城跡の昔の南面の巻道です。コルまで続いていたのですが、現在は崩壊しています。亡父はこの道を歩いて何度も鏡台山までキャンプに出掛けたと言っていました。
陣馬平に立ち寄ると、貝母が更に成長していました(左)。蕾も見えます。これはタネツケバナの一種でしょうか(中)。あまりに小さくて見落としがちです。ヨモギの若葉も出始めました(右)。草餅は絶品ですが、この天ぷらも美味です。今日は小雨の予報が酷い降雪になってしまいました。信州の本格的な春は、まだまだ先の様です。
ところで陣馬平に寄ったら、オフロードバイクの轍がありました。とんでもない事です。山林は全て私有地です。他人の畑や敷地を無断で走るのと同じ違法行為です。跡を見ると希少植物が踏み荒らされていたり、知り合いのヒノキ林は枝が折れていたそうで、植林地を走ると根が傷みます。所有者の依頼で看板を立てましたが、続くようなら警察に通報するしかありません。林道以外の走行は違法行為です。登山道ももちろん駄目。そんな当たり前の事も分からない馬鹿な大人がいるのは本当になさけない。
今回のコースは下記の拙書でも詳しく紹介しています。地味な里山ですが、静かな山行が楽しめます。健脚であれば鏡台山へも行けます。武田別働隊の経路を想像しながら登るのもいいでしょう。川中島合戦については、右上のこのブログ内で「妻女山」「斎場山」「川中島の戦い」「川中島合戦」など。古代史がお好きならば、「科野国」「会津比売命」などで検索をしてみてください。色々出てきます。
◉川中島合戦と山名についての考察。斎場山と妻女山まとめ。(妻女山里山通信)
既存の歴史書では読めない内容が書かれています。
◆『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。陣馬平への行き方や写真も載せています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。その山の名前の由来や歴史をまず書いているので、歴史マニアにもお勧めします。
★本の概要は、こちらの記事を御覧ください。
★お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左上のメッセージを送るからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。