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信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

山布施の布施神社と石川流山嵜儀作の木彫。布施氏の須立之城探訪。陣馬平のカモシカの親子(妻女山里山通信)

2016-03-19 | 歴史・地理・雑学
 大彦命を祭神とし、望月氏の後裔(こうえい:子孫)である布施氏を祀る布施(布制)神社は、茶臼山を中心として東西南北に大きなものが四社あります。まだ訪れていなかった東と南の二社への探訪記を、以前記事にしました。今回は山布施の西の社と、村山の北の社を再び訪れてみました。特に山布施の社は、以前参拝した時に木彫が諏訪立川流のものではないかと思ったのですが、特に詳細な写真を撮らなかったので、その撮影が目的です。

 県道86号を登り、茶臼山動物園の入口を過ぎて、信里小の峠を越えて山布施へ。途中のカーブから山布施の集落が見えました。左に見えるのが布施神社。白馬三山が見事です。例年ならばこの時期は最も積雪量が多く、山全体が真っ白なのですが、この冬は降雪が少なかったのでしょう。岩場が見えています。

 山布施の布施神社(左)。鳥居の左手前に「延喜式内郷社布制神社」という石柱が立っています。大きな拝殿(中)。背後に小さな本殿が。布制となったのは、明治政府の蛮行である廃仏毀釈の悪しき名残で、仏教のお布施に繋がるということで変えさせられた様です。今回はこの拝殿の木彫の見学と撮影が主な目的です。左手に御神木の大欅(右)。金毘羅宮ともいわれる境内社と五つほどの小石祠が並んでいますが不詳。これらは南方熊楠も猛反対した合祀令の名残でしょうか。
 創建年代は不詳と看板にもあります。社伝によると、神護景二年(768)高橋朝臣国是之が、更級郡の大領に任じられ、下総国結城布施郷の人民を従えて当地に移住し、この地を開拓。後の宝亀八年(777)に布施氏の祖・大彦命(おおひこのみこと)を勧請したということです。大彦命は、崇神天皇の命を受けて北陸道を東征し、息子の武渟川別命(たけぬなかわわけのみこと)は東海道を東征し、二人が出会ったところが「相津(会津)」と名付けられたと『古事記』にはあります。その後、大彦命は篠ノ井の瀬原田上の長者窪に住んだといわれています。石川の川柳将軍塚古墳、またはその上の姫塚古墳が大彦命の墳墓と地元では伝わっているようです。
 また『信濃宝鑑』には、光仁天皇の御宇(708-782)、宝祚長久国家安全を祈願して、伊勢神宮の分霊を勧請とあります。更に、安和二年(969)佐久の望月氏が移り住み、氏を布施と改めて布施郷を領治し以後、当社は神明宮と称するようになったが、文化七年(1810)吉田家に請うて社号の許可を得て、布施神社と改称したといいます。できれば境内に説明の看板が欲しいですね。

 拝殿の木彫。獅子と象が両側に配置されています。この布施神社の宮司は、代々社の下に住む宮下氏だそうですが、どこかに墨書や古文書が残ってはいないでしょうか。信州人は、神社仏閣にこういう立派な彫り物があるのを当たり前に思っている傾向がありますが、とんでもないことなんです。比類ない宝です。大事にしてください。

 左側の木彫(左)。獅子はそれぞれ少し内側を向いています。風雨に晒されているので、多少風化や傷もありますが、よく残っていると思います(中)。迫力満点の象(右)。友人に宮彫りの研究家がいるので聞いてみようと思います。
 後日、彼からの見解では、社殿は棟札から明治3年の建造。木彫は石川流の山嵜儀作(やまざきぎさく)の木鼻ということです。彼が送ってくれた山嵜儀作の作品を見ても、その傾向ははっきりと分かります。いずれにせよ大事にして欲しい木彫です。

 山布施の平成23年に山村山総代会が立てた神社の説明看板(左)。こちらは元の布施神社と記しています。善光寺地震で社殿が流出とあるのは、山布施の社ではなく、犀川沿いにあった社のことでしょう。その犀川沿いに再建された村山の布施(布制)神社(中)。小振りな拝殿の奥に本殿があります(右)。

 山布施に戻って、今度は布施氏の「須立之城」へ(左)。しかし、この看板ではどの道を行けばいいのか全く分かりません。ちょうど畑仕事をしていたお婆ちゃんと話をしていたご婦人がいたので尋ねると、行き方を詳しく教えてくれました。神社の右横の道を登ると、右手に中尾山の尾根と夜交の集落(中)。よまぜとルビがないと読めない地名ですが、高社山の麓にある夜間瀬の土豪、夜間瀬氏と深い関係にあるようです。私の妄想ですが、秀吉の国替えで景勝と会津へ行くことを嫌った一族が、名を変えてここに隠れ住んだのではないでしょうか。
 右には茶臼山(右)。いつもは妻女山から見ているので、南峰と北峰の位置が逆です。

 山道を500mほど登ります。中央の赤松のあるところが城跡の様です。昔は畑だったのでしょう。今は耕作放棄地ばかりです。廃屋も何軒かありました。城跡へ登る入口から振り返ったところ(中)。左の場所は、犀川へ下る峠ですが、昔は堀切があったのかも知れません。南へ巻くように登って本郭へ(右)。笹薮で二の郭、三の郭は分かりません。笹薮から動物がこちらへ登ってくる音が。猪でしょう。激しく足踏みをして追い払いました。

 看板にもある様に、本郭の上はそう広くはありません(左)。北面の笹平ダムのある犀川へは、急斜面で一気に落ちている様ですが、藪で見えません。須立之城沿革の看板なんですが、消えかかっていて読めません(中)。なんとか新しい物を作っていただけないでしょうか。その際にはぜひ城跡の全体図もお願いします。
 築城は1400年代中頃の文明年間で、築城者は布施忠頼(直頼とも)と伝えられています。後に忠頼の後継をめぐって長男・正直が成人後に家督を譲ることで忠頼の弟・直長に継がせますが、これが内紛になり、長男は上尾に入り、弟は有旅へと出奔。結局、布施氏は忠頼より6代にわたってこの地を支配しました。やがて須立之城は上尾城の支城となり、平林氏の支配となります。平林氏は武田方でしたが、武田氏滅亡後は秀吉による国替えの命により上杉景勝の家臣として会津へ随行し、白河小峯城主となりました。平林氏が去ったことで須立之城は廃城となり、以後ひっそりと山中に埋もれ続けたというわけです。
 戻る途中に、お彼岸の墓参に来られた今は他で暮らしているご夫婦と出合い、色々話をしました。社の木彫についてはご存じなかった様です。そんな凄いものですかと驚かれていました。旧家の畑でニホンミツバチを養蜂しているということです。それは非常に貴重なことですねと。妻女山山系でも普通に見られたのですが、松枯れ病の空中散布で、全く見られなくなりました。拙書も紹介させていただきました。
 その後戻って、茶臼山へ(右)。茶臼山の山頂は、茶臼ケ城跡、または茶臼山城跡と呼ばれる布施氏の山城です。有旅へと出奔した弟の直長の山城と推察されますが、詳細は不明です。

 茶臼山の北アルプス展望台から山布施の集落と仁科三山。左に山布施の集落と神社が見えます。右の小高い小山が須立之城。先のご夫婦によると山布施の奥に見える杉林の山の頂上に山城の跡ではないかと思われる石積みがあると言っていました。キノコ狩りで見つけたそうです。長野市の遺跡データにも載っていないので、未確認のものかも知れません。
大彦命と布施氏の布制(布施)神社詣でと茶臼山ラッセル(妻女山里山通信)
茶臼山の茶臼ケ城、修那羅城、篠ノ城探索。布施氏の山城は想像以上に大規模でした(妻女山里山通信)

 その後、時間があったので妻女山奥の陣馬平へ。ダンコウバイが満開になってきました(左)。貝母(編笠百合)の成長具合を見ようと陣馬平に上がると、ニホンカモシカの親子に遭遇(中)。妊娠中のシロです。まだ冬毛が抜け落ちていない様子。その奥には子供が(右)。これは5年前に生まれた子供ではなく、2年前に生まれたものらしい。なんだか母親にそっくりです。分からなくなってきました。もう二回出産しているのでしょうか。そう思って2014年3月のシロの写真を見返してみると、確かに妊娠しています。この年の初夏に出産したのでしょう。

 おそらくこの5,6月にはまた出産するでしょう。オスメス共に角があるため、ニホンカモシカの個体識別は本当に難しいのです。メスは排尿の時にお尻を低く下げるので分かりますが。楽しみな半面、子供が増えて、またわけが分からなくなりそうです。シロはニホンカモシカの中でも特に多産系なのでしょうね。収穫は、今回の遭遇でやっと彼らの採食歩行の行動パターンが読めたということです。

 妊娠中のカットを三枚載せましたが、これでは妊娠していない時がどうなのか分かりませんね。ということで上のカットは、2011年7月の出産を終えたシロの姿です。冬毛が抜け落ちて夏毛になると痩せて見えますが、やはり出産は大変なんですね。しかも双子でしたし。顔もかなり痩せています。この後、なかなか遭遇するチャンスがなかったのですが、冬に出会った時には、冬毛になったせいもありますが、ずっとふっくらしていました。
妻女山でニホンカモシカのシロと邂逅。オメデタか!?(妻女山里山通信)

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本の概要は、こちらの記事を御覧ください

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