基左衛門の独り言

坂東の風上毛の空と風景をブログで皆様へ、八十爺

心意気

2009-04-04 18:39:29 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日の朝刊の天声人語に久しぶりに心意気なる言葉を見て、又その言わんとする文章を見て心意気を大いに感じたところである。

 我々おじんはもう奮い立つなどと言うことは無いと思っていたがそうではなかった。かっては若いなりに大いに心意気を感じた物だった、例えば地方自治とは誰のものかなどと議論をしたり、労働は賃金は世界の平和はなどなど尽きることの無い議論に沸いた物だった。

 そんな議論を忘れて何年何十年経ってしまった、その間にアメリカナイズされた人達が政治や経済をかき回して金至上の世を造ってしまった様だ。おなじ経団連にしても朝食も質素にめざしの鰯のおかずで、かっての土光臨調を指揮して国の行く末まで考えた土光会長と、資産何百億円の経営者で何千人の派遣社員を使いさんざ儲けた末、この不況でバッサリ首切りをするような会長では大分資質が下がってしまった様だ。

 記事によると、入社式で「変革期こそチャンス」と言うアサヒビールの社長の挨拶、また同志社大の浜矩子教授の「グローバル化の時代、仕組みだけ整えても運営は出来ない、精神論ですが、心意気、魂、人間らしさが出てこないと輝きはましません」とのこと、ようやく人間らしさ日本人らしさで物を考える時と言っているように思える。

 もう昔々に成ってしまったが、伊勢崎祭りに市が積極的にかかわることになった頃、祭り補助をもっと出せと言うような意見があったが、「市も出すが皆で盛り上げる物だろう、祭りは市民の心意気だ」と、当時の市助役が言ったことを思い出す。それから四十年あまり経ったが余り行政頼りは変らないのではないか、市民性か?

 立派な山車屋台が無いのは、昔から金の出し手の大店が無かったのか?不思議な気もする昨今である。