基左衛門の独り言

坂東の風上毛の空と風景をブログで皆様へ、八十爺

戦国北条氏五代読了

2012-06-18 18:42:40 | 日記・エッセイ・コラム

 標記の件読了申し候、か。我が家の苗字(名字)相模と云うけれど元碓氷郡烏渕村水沼だというと皆不思議がった。元郷土史家で群馬の苗字の佐波郡地方を担当した橋田友治さんは健在のころ「サガミ君の家の苗字は珍しいね何時かよく調べて見よう」などと云っていたが、その後脳梗塞になり其のままに終わってしまっていた。

 そう言われると気に成るもので新聞に連載されてもう四-五十年に成るか、ずうっと気になりぱなしであったが先日新聞広告で戎光祥出版の中世武士選書8巻黒田基樹先生の「戦国北条氏五代」が載っていたので有名書店と云われるところへ電話してみたがなかった。

 そこでいよいよインターネットかと調べたが見つからず、楽天書店で漸くあって購入、昨日日曜から読みはじめ先ほど読了、

 

001 いわゆる後北条と云われる時代の歴史で

                    戦国乱世の坂東の話でなんとも大変な時でした

 読むほどに史実としての記録の大変さが分かりこの道の研究者としての先生の研究努力に頭が下がりました。

 自分では多分このころ松井田城にいて負けて隠れ住んだのが三つの尾根を越えた烏渕村だったのだろう位に思っていたが、この記録によると小田原城は秀吉軍に包囲されていて、北陸軍の前田・上杉・真田らは碓氷峠から攻め寄せ三月二八日に松井田城を攻撃、城将大道寺政繁はよく戦い四月二十日まで二二日も守り抜き降伏するという事に成る。以後前田軍に従軍案内役となり坂東の城は次々に降伏することとなる。

 でもこの合戦で小田原城の人達も城主の切腹で名跡を安堵される人達が多く、源平のころの悲惨さは無いのが今見ると救いであり良さであると思う所である。