今日は西からの秋風が吹きこの時期としては凌ぎよい日だった、町や村では夏祭りの盛りで新聞の地方版を賑わしているし、甲子園では高校野球が開幕、そこへ今年はロンドンオリンピックと来て賑やか賑やか、まさに夏本番と言うところ。
だがしかし六十七年前の八月六日広島、九日長崎とあの忌まわしい原子爆弾が投下され日中戦争から続いた太平洋戦争は終わった。その原爆忌の慰霊祭も、今年は昨年の東京電力福島第一原子力発電所の事故以来、さらに原子力の平和利用の難しさ、核分裂のコントロールの不可能さを見せつけている。まさに不戦と核の放棄を語る夏と云っても過言でない夏である。
一方一九五〇年代やっと朝鮮動乱の戦時景気により息を吹き返した日本経済も、「これからの日本は無資源国で資源は人間だけである、国民は物作りに専念して日本経済を立て直さなければならない」とがむしゃらに働いた。
当時地銀や民間企業で働き、故あって地方公務員になった八十爺はその低賃金に驚いたのだった。この頃は今日八月八日が来るのを楽しみにしていた、人事院勧告の出るのはいつもこの頃で、実施は年末に絡むことが多かった。
我々若者は何千円かのベースアップに一喜一憂したものだ、何時も民間給与の後追いでやっと食いつないで来たのだった。それが最近の有り様は値下げの後追いか?、大阪衛都連や一部の景気の良い都市を除けば地方公務員など今だ安月給である。官僚と云われる人たちは別だが。
まあそんな夏もあったっけ。