老舗飼料肥料商「中澤豊七商店」の社長だった啓二さんが亡くなった、伊勢崎市でいや町時代か北小学校を五年生で繰り上げ卒業して当時の前橋中学校へ、またまた旧制中学四年生で繰り上げで終了してこれも当時の新潟高校へ入り順調な人より二年早く、京都帝大の冶金科へ入り卒業して、当時の神戸製鋼?へ入ったという当市では伝説的の秀才だった方だったが、病には勝てず亡くなってしまった。享年九十歳だった。
遠い存在だったこの方と、偶然数年間商工会議所で副会頭と専務理事ということでお付き合いする機会に恵まれた、欲のない平らな方で「なんで大学は冶金科を選んだのですか」などと聞くと、「高校を卒業の頃のんびりしていたら空いてる科が冶金きり無くなっていてね、それで入ったんだ」といっていたが、旧制高校は卒業すれば当時帝国大学はどこかに入れたそうだが、いづれ自分の会社へ戻らなければならなかったので気楽だったのかどうか、欲がなかったのか、また商売も「農家の搾取の上に成り立った様なものでね」というような物言いをする様な処がある方だった、当たり前の商行為なのに。
今のようになんでも儲ければいいと言うような風潮の時代には、一服の清涼剤のような方だった。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
今はブラック企業というような経営をする企業がふえているが、従業員を搾取というか残業代も払わず見せかけの管理職としたり,サンザ使って整理退職を迫り、きかないと系列企業の変な部署に配置替えというか出向と言うかなどひどい世の中になっているようだ。アメリカナイズも酷いものだ、日本本来の労使協調の時代に戻そうよ、変な経営をするような企業はなくそうよ。皆んなで。