8・9・10

2006-12-16 19:17:03 | Weblog
雲の上には天国など無いと喝破した男が天に召されたのは今から26年前の12月8日であった。

今から65年前の12月8日
その日は父達の世代にとっては日米戦争の泥沼に引きずり込まれた悪夢の始まりの日であったはずだ。
否、当時悪夢の始まりと感じた人間は居らず日本中が歓喜の渦に飲み込まれたはずである。
対するアメリカ側はこの緒戦の大敗北を日本の奇襲として「リメンバー・パールハーバー」を合言葉に米国民の戦意高揚に役立てたといわれる。
「宣戦布告なき奇襲」
「宣戦布告が手違いでアメリカ側に伝わっていなかった」
「アメリカは日本が攻めてくるのを承知で旧式軍艦をずらりと真珠港(真珠湾は誤訳だとか・・・)に浮かべていた。宣戦布告もわざと受け付けなかった。」
等々諸説あるのもすべては自国に都合の良い解釈をしたがるからなのだろう。

今から22年前の12月9日
ハワイにいた。
その前の年に知り合った女性と新婚旅行である
・・・中略・・・

今年の12月9日
地区の忘年会でご機嫌なむじなさんがご帰還すると玄関には鍵がかけられていた
某所に予備の鍵があるのだがあえて呼び鈴を押す。
ほどなく妻が鍵を開けてくれた。
「結婚記念日に飲みに出かけたから締め出されたかと思った・・・」
「ごめんね~、うっかり忘れてたわ
心配する事はなかった。
すでにその程度の存在なのである

12月10日
結婚記念日が忘年会であったので家族で(爺ちゃんはゲートボール)映画を見に出かけた。
あのクリント・イーストウッドが監督した硫黄島二部作の「硫黄島からの手紙」を見てきた。
渡辺謙が演じる将校が最後の決戦を前に「天皇陛下万歳」を三唱する目が凄かった。
もちろん機銃照射や爆撃、海を埋め尽くす米海軍が上陸してくるシーン。
追い詰められた日本軍が火炎放射で焼き殺されたり自決するシーンもある。
肉片や血飛沫の飛び交う凄惨な光景が次々と現れる。
しかし、渡辺謙の目であった。

米国駐在武官として米軍の圧倒的な物量を知る立場にあり、連合艦隊も壊滅した事を知っていながら硫黄島を死守する任に付いた彼の境地は如何許りであったのだろう。
あの「天皇陛下万歳」は誰に捧げられたものだったのだろう。

米側の視点から作られた「父親達の星条旗」はまだ見ていないのだが、妻や子供達は封切直後に見ている。
「父親達の星条旗」を見た妻の感想
「人間てバカだね・・・」