安倍総理は、戦争中の他国軍を後方支援する新たな恒久法案と、集団的自衛権を行使できるようにする安全保障法制の関連11法案を閣議決定した後の記者会見で、「米国の戦争に巻き込まれるのではないかという漠然とした不安をお持ちの方もいるかもしれない。そのような事は絶対にあり得ない」と述べられた。
漠然とした不安なのですか。絶対にあり得ないのですか。本当ですかとお尋ねしたい。このことばにはたして責任をお取りになられますか。
知りうる限り、この世の中に「絶対」ということはあり得ない。身近には、絶対安全と言われてきた原発神話が、津波のために脆くも崩れさった福島原発事故。今なを罪なき何万人の方々が避難生活を送られている。
これまでの総理の発言を見ると、簡単に、それもオブラートにつつむかのような、いかにも軽い、無責任とも思われる発言が目に着く。「確信となる意図する言葉」は後ろに隠れ闇の中。言葉は重い。一つ一つの言葉には必ず責任が伴うもの、それを取り消すことはできない。特に過去の戦争責任に関する発言にはより慎重さが求められる。総理の一言一句に、中韓両国は神経をとがらせている。このことは一触即発の危機とも言える状態を招きかねない。
言葉は重い。西ドイツのワイツゼッカー大統領が述べた言葉を書きとめておく。いみじくも安倍総理に向けた言葉ではなかろうか。。
「過去に目を閉ざす者は現在にも眼を閉ざすこととなる」
「後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはならない」。
「取り消す」とは「いったん述べたり、決めたりしたことを、なかったことにする」ということ。
安保法制の難解さについて、麻生財務相の「政府高官から安保関連法案の説明を受けた自民党国会議員の妻が“全然わからなかった”」といったエピソードを、民主党の榛葉賀津也参院国会対策委員長が「評価した」と新聞に出ていた。提出された法案の一つ一つの条文の難解さは相当なものだ。その言葉の意味を理解できない人は国民のほとんどと言ってよいのではなかろうか。
榛葉議員は、「お茶の間のお母さん、お父さん、おじいちゃん、おばあちゃん、投票権のある18歳の若者を含め、国民が『なるほどこういう法案なんだ。だから私は賛成。だから僕は反対』と思ってもらえる議論をしないといけない」と強調された。さらに「国会議員でも分かっていないと思う。私も理解するのに苦労している」と述べておられる。
まったくそのとおり。拙速は避け慎重な審議を求めて行きたい。