3月末に書店の棚に見つけた時は驚きのあまり、え?と声が出そうになった。
1937年発表の埋もれた犯罪小説が、この21世紀に本邦初訳で刊行されるか。
本作は1948年に鬼才ニコラス・レイが初監督作として映画化し、さらに1974年にはロバート・アルトマン監督、キース・キャダイン主演の名コンビでリメイクされている。
後者の邦題は「ボウイ&キーチ」だ。
何度か書いているとおり僕は書斎仕舞いの最中で、なるべくもう書籍は買わないことにしている。
それでもフラフラ書店に行ってしまうのだから、活字中毒はなかなか治るものではない。
この本も、購入すれば書棚のニコラス・レイの「文脈棚」に貼り付いて引きはがすことは困難になる。
実を言えば、昔神田で見つけたボロボロのペーパーバックの原書がすでに評伝「ニコラス・レイ:ある反逆者の肖像」や監督作のビデオテープなどとともにきっちり並んでいるのだ。
処分しなければならないものを、これ以上強化してどうする。
「夜の人々」はヒロイン、キーチ役のキャシー・オドネルが最高だ。
地味なジーン・ティアニーといった風情の彼女だが、ヒチコック映画出演時と同様に線の細い相手役のファーリー・グレンジャーへ「ボウイー」と呼びかける独特の口調は耳から離れない。
アマゾン・プライムだと無料視聴できるので、ぜひぜひどうぞ。
西部劇「シェーン」はハリウッド映画史上に燦然と輝く名作として名高いが、アラン・ラッドのやや古めな早撃ちヒーローは、冷血非道な悪役ジャック・ウイルソン(ジャック・パランス)の存在があってより引き立っている。悪役良ければ映画良し、の典型だ。
北部から来たウイルソンに挑発され、銃を抜いてしまう農夫役の小男、名前をイライシャ・クック・ジュニアという。
とにかくたくさんの映画に出演している息の長いバイプレイヤーで、ウイリアム・アイリッシュ原作の「幻の女」の中で演じた神経症気味のジャズ・ドラマ―役などは強く記憶に残っている。ちなみにヒロインは名花エラ・レインズ。先日書いた「容疑者」(1945年)と同じくロバート・シオドマク監督による1本前の作品だ。
それから、やはりアラン・ラッド主演の「暗黒街の巨頭」(1949年)、これは「ザ・グレート・ギャツビー」の二回目の映画化なのだが、クックはクリップスプリンガーを演じていて、ピアノを弾くシーンもある。この作品は驚いたことに老いたニック・キャラウエイとジョーダン・ベイカー夫妻の回想から始まり、いきなりギャツビーの正業も明かされる。クリップスプリンガーもギャツビー邸の居候ではなく、大邸宅へ入居する以前からの手下的なキャラクターになっていて、もしF・スコット・フィッツジェラルドが存命中だったら(1940年病没)、この改悪について弱々しく抗議したかもしれない。
予告編。軍服はブルックス・ブラザーズ製か?クックは29秒に顔出し。
シャツのシーンもある(51秒)。マートル役はシェリー・ウインタースだ。
去年の暮は映画を何本か観た。
繰り返し観てしまう「容疑者」(1945年)は、名優チャールズ・ロートンと、ジョン・ウエインの西部劇「拳銃の町」で光り輝いていたエラ・レインズが主演のサスペンス映画。冴えない中年男が困窮した若い女性への情にほだされて、トラブルに巻き込まれて行く。
およそラブストーリーとは無縁の容貌のロートンがとにかくチャーミングな佳品だ。
(上のジャケット写真を見て欲しい。)
映画史上、最も役に恵まれた俳優は、女優だとジェニファー・ジョーンズとジャンヌ・モロー、男優はこのロートンではないかと個人的に思っている。
主な作品と役柄は、
1932年「暴君ネロ」のネロ、
1933年「獣人島」のモロー博士(ドクター・モロー)、
同年にはアカデミー主演男優賞を受賞した「ヘンリー八世の私生活」もある。
1935年「噫無情」(レ・ミゼラブル)のジャベール警部 、
同年「戦艦バウンティ号の叛乱」では追放されるブライ船長。
1936年「描かれた人生」のレンブラント、
1939年には以前紹介した「ノートルダムの傴僂男」でカジモドを。
1948年「凱旋門」でのサディスティックなゲシュタポ役も忘れ難い。
悪役良ければ映画良し。
同年「大時計」も見事な悪役。ケヴィン・コスナーでリメイクされ、ロートンの役柄はジーン・ハックマンが演じている。
1953年「情炎の女サロメ」ではヘロデ王、
1957年「情婦(検察側の証人)」の老弁護士、
1960年「スパルタカス」ではローレンス・オリヴィエとの権力闘争に明け暮れるグラッカス役だった。
「情婦」。マレーネ・ディートリヒと。
ハイ・ソサエティ・カリプソ
(作詞作曲コール・ポーター)
空からの眺めはとっても素敵
オイラはロード・アイランド州ニューポートへと向かってる
オイラこれまで長いこといろんな場所で演奏してきたけどさ
今からニューヨークっ子になろうってわけ
ハイ、ハイソ
ハイソ、上流社会
昔からの親友のために演奏してやりたいんだ
そいつは地元でジャズフェスティバルを開くんだって
名前はデクスター、いいヤツだよ
けどさ、聞くところによると、そいつ何やらブルーらしい
ハイ、ハイソ
ハイソ、上流社会
そいつを悲しませている、前の奥さん
明日から新生活を始めようとしてる
彼女ったら最近新しいロマンスに出会って
あさはかにも堅物と結婚しようとしてるんだって
ハイ、ハイソ
ハイソ、上流社会
堅物とはよく言ったもんだ
ハイ、ハイソ
ハイソ、上流社会
けどさ、親友デクスター、このサッチモを信じてくれ
結婚はご破算、最後は勝利だ
オイラがトランペットを吹いて、愉快にする
彼女がきみの元へと戻ってきたくなるように、楽しくするよ
ハイ、ハイソ
ハイソ、上流社会
サッチモおじさんのお話、わかってくれた?
素敵な上流社会でスイングしてる
歌はおしまい、
物語のはじまりだ
ミュージカル映画「上流社会」(1956年)は、グレイハウンド・バスに乗って物語の舞台へと向かっているルイ・アームストロングの楽しい歌で始まる。
もともとこの作品は1940年に作られた傑作ロマンティック・コメディ「フィラデルフィア物語」のリメイクで、キャサリン・ヘップバーンのためにあて書きされたキャラクターを引退直前のグレース・ケリーが、その年のアカデミー主演男優賞に輝いたジェームズ・スチュアートのキャラクターをフランク・シナトラが、それぞれ演じている。
こう一つ書いただけで非常に不利なのだが、この「上流社会」はなんというか、僕には古過ぎて。
唯一、オープニングでサッチモに物語の背景とこれからの進行を歌わせる趣向だけが面白かった。いや、シナトラの相棒のカメラマンを演じたセレステ・ホルムもいいので、もし機会があれば、注目していただきたい。
「フィラデルフィア物語」(1940年)。手足がひょろひょろ長いスチュアートがとにかくチャーミング。
「上流社会」より、同じシーン。
初めてのパリ旅行で泊まったホテルは、セーヌ川にかかるビル・アケイム橋近くのオテル・ニッコー・ド・パリ(日航パリホテル)だった。
たまたまだが、「太陽がいっぱい」の続編にあたるパトリシア・ハイスミスの小説「贋作」をヴィム・ベンダースが映画化した「アメリカの友人」に登場する。
設計は故黒川紀章大先生だ。
カーテンを開けると、セーヌ川を挟んだ対岸に巨大な円形の建物がそびえている。
あれがゴダールの「アルファヴィル」の舞台となったラジオ・フランス(国営ラジオ局)か。
訳もなく高揚してきた僕はひとり薄暮の街に出た。
少し歩くと、小さな書店があった。
面白そうな表紙の本が並んでいたが、当然中身はフランス語で、セルジュ・ゲンズブールの上下2巻の歌詞集だけ買って出ようとした僕は、出口近くに置かれた大判の本に目を奪われた。
「ローラ殺人事件」(1944年)のヒロイン、ジーン・ティアニーのフィルモグラフィー(作品解説書)だった。
まだインターネットは普及しておらず、もちろん、アマゾンもなかった。こういった本に出くわすのは、まさに運だと言ってよかった。
特に、ジーン・ティアニーは日本未公開の出演作が多く、80年代半ばに突如再評価のブームが起こったエルンスト・ルビッチ監督の「天国は待ってくれる」(1943年)や日本未公開だったのがやはり突然劇場公開されたジョン・フォードの「タバコ・ロード」(1941年)、あとは「地獄への逆襲」(1940年、主演ヘンリー・フォンダ)、「剃刀の刃」(1946年、タイロン・パワー)、「幽霊と未亡人」(1947年、レックス・ハリソン)、「街の野獣」(1950年、リチャード・ウイドマーク。デ・ニーロ主演でリメイクされている)といった、名優の相手役としての出演作がちらほらと観れる程度だった。
それがこのフィルモグラフィーによって彼女のキャリアの全体像を俯瞰することが可能になったのだから、本当に嬉しかった。このあとどれほど役に立ったことか。
時は流れ、現在、毎日弱々しくため息をつきながら書斎の処分を進めているのだが、たぶんこの本は最後の一握りにまで残るのだろうな。
「アルファヴィル」(1965年)
1988年公開時のパンフレット(日比谷シャンテ)
南部のプア・ホワイトの娘役。