まだVHSもベータもなかった頃、僕は映画「駅馬車」の全セリフを収録した二枚組LPというものを繰り返し聴き過ぎて、そっくりそのまま暗記してしまった。それだけなら別になんてことはないのだが、たまにテレビにかかっている「駅馬車」を観たりするとSE(効果音)を含む登場人物全員のセリフが勝手に口をついて出てくるのだ。イタコ、あるいは人間レコード。これは本当に困る。他人に見られたら即、病院行きだろう。
さらにもう一枚、珍しいものがある。ラジオ・ドラマ版「駅馬車」のレコードだ。ジャケットに記されたクレジットによれば、映画から十年後の1949年1月9日にオリジナル・キャストのデューク(ジョン)・ウエインとクレア・トレヴァーが"NBCシアター"という番組で演じたもので、二人に加え、前口上をジョン・フォード監督が担当、"フォード一座(フォード・ストック・カンパニー)″の大番頭であるワード・ボンドがブーン医師に扮している(レコード化されたのは76年)。
まず当時監督協会の会長だったジョージ・マーシャルが登場し、彼がフォードを紹介する。 上機嫌らしい"パピイ"(フォードの愛称)が歯切れ良く口上を述べると、物語はすぐに始まった。場面構成はほぼ映画通り。短時間の番組なのでストーリーがテンポ良く展開して 行く(細かく書きたいところだが、省略) 。
本編が終わると再びマーシャルに紹介されたパピイが主演の3人を伴って現れ、4人でしばし当時の思い出を語る。実に和気あいあいとした雰囲気である(アメリカの芸能人はこのへんがとてもうまい)。
「とにかくほこりがひどくて、髪を洗うのが大変だったわ」とトレヴァー。それではみなさん、おやすみなさい、と彼女がしめて番組は終わった。
トレヴァーは初め清純派としてデビューしたものの鳴かず飛ばずの状態が長く続き、「駅馬車」のダラス役で鉄火女・悪女型に転身した。それからはA級とB級映画の間を行ったり来たりしながら演技に磨きをかけ、48年(このラジオ・ドラマの直前)にはハンフリー・ボガートとローレン・バコール夫妻主演の「キー・ラーゴ」で演じたヤク中・アル中の元歌手役で、見事アカデミー助演女優賞を獲得している。
デューク・ウエインも十年の間に押しも押されぬ大スターとなっていた。49年といえば、ホークスの「赤い河」 、フォードの「黄色いリボン」、初めてアカデミー賞にノミネートされた「硫黄島の砂」と続々傑作を生み出し、気力充実していた頃である。ともに帰り新参として謙虚な気持ちで出演した「駅馬車」から十年後―全盛期・円熟期を迎えた2人の声は深く、エモーショナルで、目を閉じて聴くとキャラクターの動きと表情がはっきり見えるようだ。
もう少し続きがある。この番組はレコードのA面にすっぽりと収録されていて、B面には46年にランドルフ・スコット主演で作られた「駅馬車」(もちろんこれもラジオ番組)が収録されているのだ。ダラス役はやはりクレア・トレヴァー。このLPは、彼女にとってダラスが(自他ともに認める)一世一代の当たり役だったことをはっきりと裏付けている。
ジョン・ウエインは1907年アイオワ州ウインターセットに生まれた。
本名マリオン・マイケル・モリソン、父はアイルランド系の貧しい薬剤師だった。
1913年、破産したうえ体をこわした父の転地療養を兼ねて一家はカリフォルニアヘ移住する。
マリオン少年は“デユーク(公爵)”と名付けた大きな犬を連れて学校へ通った。
そのうちに少年の方が犬より背が伸び、デュークは少年のニックネームに変わった。
南カリフォルニア大学へ進学し、フットボールのスタープレイヤーとなったデュークは、夏休みの間、近くの撮影所で大道具係や雑用係のアルバイトを見つけた。
そこで知り合った新人監督のジョン・フォードと意気投合、エキストラとして映画に出演するようになる。
とはいえまだまだパイ卜気分でフットボールの方が第一だったのだが、ある日サーフィンの最中に波にさらわれて肩を痛め、選手生命を断たれてしまう。
夢を失ったデュークは仕方なく映画の仕事に本腰を入れることにした。
再びフォードのセッ卜で働き出したデユークヘ、次作の主演男優を探していたラオール・ウォルシュ監督が目をつけた。
当時としては破格の製作費をかけた超大作西部劇「ビッグ・トレイル 」(1929年)はデュークにとってスターヘの輝かしい第一歩となるはずだった。
ジョン・ウエインという芸名もついた。
ところが、間の悪いことにアメリ力全土を大恐慌が襲う。
70ミリの新方式で撮影された「ビッグ・トレイル」を映写するには大スクリーンと専用の特殊レンズを必要としたのだが、不況で経営の苦しい映画館はそれを導入する余裕がなく、「ビッグ・トレイル」は作品の出来とは関係のないところで興行的に大失敗しまった。
これによりデュークのキャリアは大きくつまづき、以後十年間の長きに渡ってB級映画出演を余儀なくされてしまう。
もちろん、30年代後半までにはヒット・シリーズを持ってそれなりの人気と地位を獲得、名誉回復の機は熟しつつあった。
そんななかジョン・フォードが彼に「駅馬車 」(39年)主演の話を持ち込む。
フォードの厳しい指導のもと、帰り新参のデュークは孤独なアウトロー青年、リンゴ・キッド役に無心で取り組んだ。
結果、「 駅馬車」は誰でも知っている通り、驚異的なヒットを記録したのだった。
(この項つづく)
リンゴ・キッド見参!
「リバティ・バランスを射った男」(1962年)がどうしてこんなにももの悲しいのか、初めて観た時から考え続けていた。
ピーター・ボグダノヴィッチ(映画評論家・監督)もそう感じていたらしく、大胆にもジョン・フォード監督本人に尋ねている。
あっさり否定されているが。
今はなぜだか分かる。
ジョン・フォード一座(ジョン・フォード・ストック・カンパニー)がみな老いてしまっているからだ。
番頭格のワード・ボンドにいたっては病死して不在。
主演のジョン・ウエインも、ジェームス・スチュアートも、役を演じるには老けすぎている。
ヒロインのヴェラ・マイルズにしたって、「捜索者」(1955年)の娘役の輝きはない。
さらに、恋心を寄せていたマイルズの気持ちが離れたのを感じ取って、未完成の新居に火をかけるウエインの凶暴な失意とジェラシーがひどく胸をこたえるのだ。
「映画の巨人ジョン・フォード」(2006年)ピーター・ボグダノヴィッチ監督
皮肉屋フォードがボグダノヴィッチのインタビューに対してまともに答えようとしない(18分30秒から)
手のつけられない小悪党のリバティ・バランス=リー・マーヴィンの衣裳はイディス・ヘッドがデザインしたものだ。
「風と共に去りぬ」(1939年)でスカーレット・オハラの父ジェラルドを演じたアクの強い中年男優トーマス・ミッチェルが、この年フランク・キャプラ監督の代表作「スミス都へ行く」、ジョン・フォード監督の「駅馬車」(アカデミー助演男優賞を獲得)、ハワード・ホークス監督の「コンドル」、それに「ノートルダムの傴僂男」へ出演して大忙しだったことは以前書いた。
「風」については、もう一つ書いておきたい。
それは、ミッチェル以外にも、「ジョン・フォード一座(ジョン・フォード・ストック・カンパニー)」と呼ばれるフォード作品の常連俳優たちが多数出演していることだ。
まず、北軍将校役で一座の番頭格のワード・ボンド。
それから、翌年の名作「怒りの葡萄」でヘンリー・フォンダの母親役を演じてアカデミー助演女優賞に輝いたジェーン・ダーウェルが、ピティ・パット伯母さんの友人役。
さらに、アトランタ炎上シーンでクラーク・ゲーブルの代役として馬車を操った元ロデオ・チャンピオンのヤキマ・カナットは、「駅馬車」のスタントを担当していることでその名前が広く知られているのだが、面白いことに彼は馬車に乗ったスカーレットを襲う薄汚れた北部人役で、作品中に再登場している。
彼らはオーディションがあったのだろうか。
いずれにせよ、ゲーブルとともにぬっと玄関ドアから顔を出しているひげ面のワード・ボンドの写真を見るたび、ぷっと笑ってしまう。
右は撃たれたアシュレ・ウィルクス(レスリー・ハワード)。「ピグマリオン」のヘンリー・ヒギンズ教授役の方が似合ってる、と後年思った。
ワード・ボンド。
ジェーン・ダーウェル
ヤキマ・カナット
トーマス・ミッチェル
「駅馬車」の翌年にフォードがユージン・オニールの海洋劇を映画化した「果てなき航路」より。左からトーマス・ミッチェル、ジョン・クオーレン、ジョン・ウエイン、イアン・ハンター、ワード・ボンド、ジャック・ペニック、バリー・フィッツジェラルドと、フォード・ストック・カンパニー総出演だ。
キャプラの「素晴らしき哉!人生」(1946年)より。左から2人目、アコーディオンを持った主人公の幼なじみの警官がワード・ボンド。右から3人目、大切なお金を紛失するトンマな伯父さんが、トーマス・ミッチェルだ。
一番好きな映画は?と尋ねられてもその時の気分によって違うのだけれど、「荒野の決闘」と答えた回数が一番多いかもしれない。
1881年アリゾナ准州コチーズ郡トゥームストーンで保安官であるワイアット・アープ兄弟と牧場主クラントン一家が果し合いをした。西部史上に名高いOKコラルの決闘である。普通“OK牧場の決闘”で通っているが、正確にはコラルとは家畜置場のことだ。
この決闘をクライマックスにした「荒野の決闘」の原題は「マイ・ダーリング・クレメンタイン」、主題曲に日本語の歌詞がつけられ「雪山讃歌」として愛唱されているのは御存知の通り。元々は西部の民謡で、1849年にカリフォルニアでのゴールドラッシュに群がった男たち[フォーティナイナーズ]の一人にクレメンタインという娘があったのだが、まもなく病のため亡くなってしまった彼女を悼んだ歌だという。
3人の弟たちと東部まで牛を運ぶ途中、トゥームストーンの街へ立ち寄り旅の垢を落としている隙に牛を盗まれ、末弟を殺されたワイアット・アープ(ヘンリー・フォンダ)は、もめごとを解決した際に要請された保安官の職を受ける。町で幅を効かせていたのは乱暴者のクラントン一家と悪名高いギャンブラー、ドク・ホリデイ(ビクター・マチュア)。ワイアットとドクの間には初め激しい火花が散るが、徐々に友情が芽生え出す。
腕のいい歯科医だったのが肺病を悲観して東部へ出たという過去を持つドクを探して彼のフィアンセ、クレメンタイン・カーター嬢が町へやって来る。一目で彼女に魅了されてしまったワイアットだが、彼女を邪険にするドクをたしなめたり、と無骨な紳士ぶりをみせる。
ドクの女チワワに横恋慕したビリー・クラントンによって牛泥棒はクラントン一家と判明した。ビリーを深追いした二人目の弟まで殺されたワイアットは、一人残った弟(ワード・ボンド)とドクを伴い夜明けと共にクラントン一家の待つOKコラルへと出向いて行く。
クライマックスの凄絶なガンファイトも見ものだが、この映画の魅力はなんといっても画面からあふれんばかりの詩情であろう。空に流れる雲の筋一本、町の背景の荒涼とした岩山までが詩情を感じさせる。日曜の朝、棟上げなった教会の鐘が鳴る中、ダンス・パーティへとクレメンタインをエスコートするワイアットが板張りの通路をコトリ、コトリと歩くシーン、いつ観ても胸が熱くなる。またワイアットとドクのクレメンタインへの想い、そしてチワワのドクへの想いの美しさ。ドクが“クレム”と愛称で彼女を呼ぶのに対してワイアットが劇中ずっと“ミス・カーター”と呼んでいるのがとても奥ゆかしく、いじらしい。それゆえにラストのセリフが効いてくるのだ。
クレメンタイン・カーター:保安官、わたくし日曜の朝が大好きですの。
空気が澄んでいて。
―なんだか砂漠の花の香りもしますね。
ワイアット・アープ:・・・それは私です。・・・床屋で(香水を振りかけられて)。
かつてはこの場面が見たくて、放映されるたびテレビにかじりついていたものである。