デビューアルバム「プリーズ・プリーズ・ミー」でビートルズがカバーした「アンナ」を歌った黒人ソウルシンガー、アーサー・アレキサンダーは、初期ビートルズ、ジョン・レノンのネタ帳と言っていい。
このオッサンがよくもまあ、と思うほど切ない歌詞やメロディを書いている。
ニック・ロウがシングルCDのカップリング曲としてカバーし、のちにアレキサンダーへのトリビュート・アルバムにも収録されたこの「イン・ザ・ミドル・オブ・イット・オール」(1962年)も、隠れた名曲だ。
In The Middle Of It All
My house is a lonely house
But it was, was a happy house
And the two of us were happy as I recall
But now the rain falls around it
And loneliness surrounds it
And I'm in the middle of it all
オレの家はさびしい家
けれどもかつては幸せな家だった
思い返せばオレたち二人は幸せだった
けれども今は雨が降りしきり
さびしさがあたりを取り囲む
そしてオレはその真ん中にいる
My friends look at me and say
I wonder what made that boy that way
The boy doesn't even smile at all
But I wonder what they would say
If their world just came down one day
And they were in the middle of it all
友人たちはオレを見て言う
何があいつをそんな風にしたのか、
まったく笑顔を見せなくなってしまって
けれども彼らだってなんて言うか
自分たちの世界がある日突然崩れた時に
彼らがその真ん中にいたとしたら
I gave that girl all the love that I had, had to give
And the love that I gave her was real now, really real
オレの愛はすべてあの娘に渡した、持っていたすべての愛を
そしてその渡した愛はほんものだった、ほんものだ
Now I ache, yeah, with heartbreak and pain
And a hurt that I just can't explain
Yes, it looks like my life is about to fall
But, I built a shield around it
But sadness has found it
And me, I'm in the middle of it all
I will sit right here in the middle
いまやオレは傷心の痛みにさいなまれている
そしてこの痛みはうまく説明できないものだ
そう、オレの人生はもはや落ちて行くだけ
けれどもオレは周りに囲いを立てた
それなのに、悲しみに見つけられた
そしてオレは、オレはその真ん中にいる
その真ん中にオレは座っている
ベッドの上で強い痛みにのたうち回っている時、思ったことはたった一つ、明日になったら少しは良くなってほしい、だった。
なんだかそんな歌があったな、と記憶をたどったら、ポール・マッカートニー&ウイングスのデビュー・アルバム「ワイルド・ライフ」(1971年)に収録されている「トゥモロウ」だった。
哀愁をたたえたロッカ・バラード。明日になったら久しぶりに聴いてみよう。
トゥモロウ
おおベイビー、明日はがっかりさせないでおくれ
手をつなぎ悲しみを捨て去ろう
明日は逃げ出すチャンスがあるはずだ
おおベイビー、日曜日は怠惰に過ごしたね
1ポンドあるから、月曜までブラブラできる
だから日曜日にはがっかりさせないでおくれ
バッグいっぱいのパンとチーズを持って
木蔭を探しに行こう
田舎の空気を吸いながら
きみの可愛らしい指で僕の髪をとかしておくれ
明日は悲しみを捨て去ろう
おおベイビー、明日はがっかりさせないでおくれ
一週間は乞うたり盗んだり借りたりして
明日に逃げ出すチャンスのために
ねえきみ、晴天に祈ろう
そうしたら僕はきみの瞳に映る虹に話しかけるから
気象予報士に願おう
気分が晴れ、僕らの計画がダメにならないよう
明日は悲しみを捨て去ろう
おおベイビー、明日はがっかりさせないでおくれ
手をつなぎ悲しみを捨て去ろう
おおベイビー、明日はがっかりさせないでおくれ
TOMORROW
(Paul McCartney)
Oh, baby, don't you let me down tomorrow,
Holding hands we both abandon sorrow,
Oh, for a chance to get away tomorrow.
Hey, baby's got a lazy day on sunday,
Here's a pound, we hang around 'til monday,
Oh, baby don't you let me down on sunday.
Bring a bag of bread and cheese and find a shady spot beneath the trees.
Catch a breath of country air and run your pretty fingers through my hair.
Tomorrow, when we both abandon sorrow.
Oh, baby, don't you let me down tomorrow,
Through the week we beg and steal and borrow.
Oh, for a chance to get away tomorrow.
Honey, pray for sunny skies so I can speak to rainbows in your eyes.
Let's just hope the weather man is feeling fine and doesn't spoil our plan.
Tomorrow, when we both abandon sorrow.
Oh, baby, don't you let me down tomorrow,
Holding hands we both abandon sorrow.
Oh, baby, don't let me down tomorrow.
Oh, for a chance to get away tomorrow.
Baby, don't let me down tomorrow,
baby, don't let me down tomorrow.
Oh, don't let me down,
Baby, don't let me down tomorrow.
Baby's, don't let, let me down tomorrow,
リトル・リチャードが1956年のシングル「のっぽのサリー(ロング・トール・サリー)」のB面に収録したロックンロール・ナンバー。
1955年にアル・コリンズが発表した「I got the blues for you」が原曲で、そのあとエディー・ボーが新たに歌詞を書いて「I’m wise」というタイトルで1956年に発表、それをリトル・リチャードがさらに書き換えている。
ジョン・レノンは1975年に発表したカバー・アルバム「ロックン・ロール」でリチャードのナンバーを「リップ・イット・アップ~レディ・テディ」のメドレー、「センド・ミー・サム・ラヴィン」、それにこの「スリッピン・アンド・スライディン」の計4曲取り上げ、改めて彼のリチャードへの傾倒ぶりを示した。
滑って転んで、のぞいて隠れて
昔から言われてること
滑って転んで、のぞいて隠れて
昔から言われてること
お前が厚かましいのは聞いてるぜ
もうお前にはだまされない
お前は悪だくみが得意で、まさにいい加減な奴
オレはお前の話に乗せられてしまった
お前は悪だくみが得意で、まさにいい加減な奴
オレはお前の話に乗せられてしまった
滑って転んで、のぞいて隠れて
もうお前にはだまされない
マリンダはすごい魅力の持ち主
早めに白旗を上げた方がいいぜ
マリンダはすごい魅力の持ち主
早めに白旗を上げた方がいいぜ
滑って転んで、のぞいて隠れて
もうお前にはだまされない
滑って転んで、のぞいて隠れて
昔から言われてること
滑って転んで、のぞいて隠れて
昔から言われてること
お前が厚かましいのは聞いてるぜ
もうお前にはだまされない
Slipping and a sliding, peeping and a hiding
Been told a long time ago
Slipping and a sliding, peeping and a hiding
Been told a long time ago
I been told, baby, you been bold
I won't be your fool no more
Oh, big conniver, nothing but a jiver
I done got hip to your jive
Oh, big conniver, nothing but a jiver
I done got hip to your jive
Slipping and a sliding, peeping and a hiding
Won't be your fool no more
Oh, Malinda, she's a solid sender
You know you better surrender
Oh, Malinda, she's a solid sender
You know you better surrender
Slipping and a sliding, peeping and a hiding
Won't be your fool no more
Slipping and a sliding, peeping and a hiding
Been told a long time ago
Slipping and a sliding, peeping and a hiding
Been told a long time ago
I been told, baby, you been bold
I won't be your fool no more
(以前も紹介した)カンボジア難民救済コンサートは1979年12月26日から4日間の日程で開催された。
クイーン、クラッシュ、スペシャルズ、ザ・フーなど10組が登場、最終日29日のトリが(ポール・マッカートニー&)ウイングスで、アンコールには出演者たちや特別ゲストによる「ロケストラ」の大合奏もあった。
そこで歌われたリトル・リチャードの「ルシール」は、ポール生涯のお気に入り曲。圧巻の熱唱だ。
ステージ向かって右端で、のちに難病で亡くなるロニー・レイン(元スモール・フェイセズ)が静かにベースを弾いている。
ルシール
ルシール、どうしてきみはお姉さんの言うことを聞かないの?
ああルシール、どうしてきみはお姉さんの言うことを聞かないの?
きみは逃げ出して結婚しちゃったけど、オレはまだきみを愛してるんだ
ルシール、お願いだから、戻ってきておくれ
ルシール、お願いだから、戻ってきておくれ
オレは今までずっときみによくしてきたじゃない
だからベイビー、オレを一人にしないでくれ
朝、目が覚めたらルシールが見当たらない
彼女どうしたんだって友人たちに聞きまわったけど、みなだんまりだ
ルシール、お願いだから、戻ってきておくれ
オレは今までずっときみによくしてきたじゃない
だからベイビー、オレを一人にしないでくれ
ルシール、ベイビー 俺の心を満たしてくれ
ルシール、ベイビー 俺の心に応えてくれ
この曲はきみに捧げるよベイビー、きみの素晴らしい門出を祝ってね!
LUCILLE
Lucille, you won't do your sister's will?
Oh, Lucille, you won't do your sister's will?
You ran off and married, but I love you still.
Lucille, please, come back where you belong.
Lucille, please, come back where you belong.
I been good to you, baby, please, don't leave me alone.
I woke up this morning, Lucille was not in sight.
I asked my friends about her but all their lips were tight.
Lucille, please, come back where you belong.
I been good to you, baby, please, don't leave me alone, whoa
I woke up this morning, Lucille was not in sight.
I asked my friends about her but all their lips were tight.
Lucille, please, come back where you belong.
I been good to you, baby, please, don't leave me alone.
Lucille, baby, satisfy my heart.
Lucille, baby, satisfy my heart.
I played for it, baby, and gave you such a wonderful start.
リトル・リチャードが、5月9日、87歳で亡くなった。骨の癌だという。
1932年アメリカ南部ジョージア州メイコンで生まれた彼(本名リチャード・ウェイン・ペニマン)は、幼いときから教会で歌い始め、14歳で早くもステージに立つ。
50年代初めにはレコード契約を結び、1955年にリリースした「トゥッティ・フルッティ」で全米R&Bチャートの2位を獲得。その後、「のっぽのサリー」、「スリッピン&スライディン」、「ルシール」など立て続けにヒットを飛ばし、スターの地位を確立した。
ビートルズ初期のステージのラスト・ナンバーとして「のっぽのサリー」を好んで歌ったポール・マッカートニーは訃報に接し、つぶやいた。
「『トゥッティ・フルッティ』から『のっぽのサリー』、『グッド・ゴリー・ミス・モリー』、『ルシール』、リトル・リチャードは僕がティーンエイジャーの時、叫び声を上げながら僕の人生に入り込んできた。僕がやっていることの多くは、リトル・リチャードと彼のスタイルに負うところが大きい。彼はそれを知っていた。彼はよく、『ポールがいま知っていることはすべて、僕が彼に教えたんだ』と言っていた」
「彼は正しいと認めざるを得なかった。ザ・ビートルズ初期、僕らはハンブルクでリチャードとプレイし、彼を知るようになった。彼の楽屋でたむろするのを許されていた僕らは、彼の公演前の儀式を目のあたりにした。湯気の上がる洗面器に顔をかざし頭の上にタオルをかぶせる。そして突然、顔を上げ鏡を見て、『たまんねえな、オレはすごくビューティフルだから』って言うんだ。彼はその通りだった。素敵なユーモアのセンスを持つ素晴らしい人だった。彼の死は、ロックンロール・コミュニティをはじめ多くの人たちから惜しまれる。彼が僕に教えてくれたことすべて、そして僕を友人にしてくれたことで示してくれた優しさに感謝する。さようなら、リチャード& a-wop-bop-a-loo-bop」
1964年。