「みなさんごぶさたしております、社会福祉法人千優会理事長の井浦でございます。
今年4月1日を持ちまして、当法人が本施設を引き受けて満1年になりました。
個人的には、赤字施設の立て直しに全力を傾注した1年間で、あっという間だったとの感覚しかありませんが、みなさんは変わらないスタッフと穏やかに春夏秋冬を過ごしていただけたのではないかと思います。
また、それが黒子役の私にとってはなによりのやりがいでもあります。
そのみなさんの日々のご利用があったればこそ、おかげさまで、こうして一周年を迎えることができました。
本当にありがとうございました。
以前もお話しいたしましたが、よくニュースで老舗デパートや鉄道や地域の小中学校が惜しまれつつ閉店したり廃止される映像を目にすると思います。
島内の主要な介護サービス事業所であり、大切なインフラともいえる当施設がそうならないよう、もちろん私も引き続き努力いたしますが、ぜひみなさんには、これからもぽらんのサービスを積極的に使っていただきたい、と本日も再度お願いしてまいります。また、それにより、みなさんとなじみの関係にある職員たちの雇用も維持されます。どうぞよろしくお聞き届けください。
それでは、このあと職員たちによる楽しいアトラクションも準備しておりますので、お楽しみいただけましたら幸いです。」
今春、往年の大物アイドル歌手がC大法学部通信教育課程を卒業したことが、リカレント教育(社会人の学び直し)の好事例として話題になった。
「C大学で法律を学ぶことができた4年間は、私にとって素晴らしい時間でした。」
卒業にあたって発表されたコメントは、ホント、おめでとうよりありがとう、だ。
これを報じたワイドショーのMC役のC大法科大学院教授は、自分も卒業式に出席して同じ空気を吸わせていただきました、と目尻を下げて嬉しそうに話していた。
ちなみに彼は歌手より一学年年下で、函館ラサール高校からC大法学部へ進学したのだそうだ。
下の映像は、1981年、レコード・デビュー翌年のザ・ルースターズがNHKの人気音楽番組「レッツ・ゴー・ヤング」に出演した際のもの。
司会は松田聖子と太川陽介だった。
ここにはないが、同じ北九州から79年に高校を中退して上京し、すでにスターになっていた松田からにこやかに話しかけられたリーダー大江が、ばつが悪そうに照れる珍場面もあった。
東京に出てきて頑張ればなんとかなる、とみなが思い込んでいた時代だった。
ガール・フレンド(ザ・ルースターズ 1981年)
シルクのドレスがよく似合う
あの娘が おいらのガール・フレンド
そんなに美人じゃないけど
とってもかわいく 笑ってみせる
いつでも陽気にはしゃいで
あの娘が おいらのガール・フレンド
そんなにかしこくないけど
いろんなことが わかってる
*G.I.R.L. GIRL FRIEND
G.I.R.L. GIRL FRIEND
G.I.R.L. GIRL FRIEND
Oh GIRL FRIEND
+すっかりおいら 首ったけ
あの娘なしじゃ血も凍る
もしもあの娘が去ったなら
おいら一日 泣き暮らす
*Repeat
+Repeat
*Repeat
今日は市立病院付属高等看護学校の入学式に招かれて参列してきました。
拍手のなか入場してきた新入生徒さんたちの表情が一様に良くて、なんだかとても安心しました。
来賓紹介の際に各人が一言ずつコメントを求められたので、心からの祝詞を述べています。
と、そこまでは良かったのですが、式の後に集合写真を撮られてしまいました。
こっそり会場から抜け出そうとしたところ、旧知の新聞記者に会長さん、どこへ行くのですか、とニヤニヤ笑いながら止められました。
たぶんその写真にはまた、蝶ネクタイを締めたモンゴル人貿易商風の見知らぬ老人が僕の席に座っているに違いありません。
本当に、忌々しいドッペルゲンガーだ!
今年1月に「1976年の新宿ロフト」 (星海社新書)という本が出版された。
ライブハウス、新宿ロフト開設者平野悠の回想録。
収録された写真を懐かしく眺めていた。
僕がロフトに通い始めたのは1980年から。
開設してまだ4、5年だったはずなのに、記憶の中ではもうかなり雑然として、あちこち傷んでいた。
やはり多い時は500名ほどがすし詰め状態になるくらい押しかけるのだから、そうなってしまったのかも。
新宿西口からロフトまでの途中に「餃子の王将」があって、ライブ前の腹ごしらえをしている演者や観客をよく観かけたものだ。
誰も彼も、お金のない、それでいて楽しい時代だった。
これは1986年の写真だそう。
こちらは1978年。左端レック(フリクション)。
階段を下りて行くともぎり役の店員さんが当日券を売ってくれた。
1983年8月13日、ザ・ルースターズ3デイズ二日目。死ぬかと思った。
日本映画と企業のタイアップで最古の事例は、市川崑監督の「私は二歳」(昭和37年)だと思う。ヒ素ミルク事件で企業イメージが地に堕ちていた森永乳業が、その回復を目指してのことだったようだ。
何度観てもぷっと笑ってしまう、ほほえましい演出になっている。
ウッディ・アレン監督の「アニー・ホール」(1977年)、「マンハッタン」とラルフ・ローレンのかかわりはファッション雑誌でも繰り返し取り上げられてきた。
ヒロイン役のダイアン・キートンが私服とラルフ・ローレンから借り受けた服をミックスして作り上げた独特なスタイルは大きな反響を呼び、「アニー・ホール・ルック」と呼ばれるようになった。
時代は下って、2005年にアレンがロンドンで撮った「マッチ・ポイント」にこんなシーンがある。
ラルフ・ローレンの路面店から出てきた主人公。反対側の歩道にいる義兄トムの彼女ノラを見かけて声を掛ける。
ノラ(スカーレット・ヨハンソン):ここでなにしてるの?
主人公:セーターを探しにね。トムが持っているような。あれはカシミアかな?
ノラ:ビキューナよ。
主人公:え?
ノラ:ビキューナ(カシミアより稀少で高価な素材)。
主人公:ああ、ビキューナね。
このシーン、セリフ、要る?
あからさま過ぎて、タイアップなのかな、と思った。
もう一つ、主人公が買い物の途中でかつてのプロテニスプレイヤー仲間に出くわす。
彼は主人公の車を矯めつ眇めつして「いい車に乗ってるな」とうらやましそうに言い放つ。
たまたま自分が乗っていた車なので、ありがとう、確かに美しい車だよ、と思わず礼を言うけれど、これもひょっとすると、ジャガーとのタイアップなのかもしれない。