ミューズの声聞こゆ

なごみと素敵を探して
In search of lovable

このたびの東日本大震災で被災された多くの皆様へ、謹んでお見舞い申し上げます。

大震災直後から、たくさんの支援を全国から賜りましたこと、職員一同心より感謝申し上げます。 また、私たちと共にあって、懸命に復興に取り組んでいらっしゃる関係者の方々に対しても厚く感謝申し上げます。

「ドゥ・ワ・ディディ・ディディ」

2024年05月10日 | favorite songs

 

 ブルース・ウイリスを一躍人気者にしたテレビシリーズ「こちらブルーム―ン探偵社」を観ていて一番びっくりしたのは、相手役のシビル・シェパードの母親役がエヴァ・マリー・セイントだったことだ。

クール・ビューティの母親役はやはりクール・ビューティなのか!と。

 それから、このドラマの見どころの一つは、ウイリスが往年の名曲を歌うこと。のちにアルバムを出し、バンド活動も行なった彼だから、なかなかのクオリティだった。

個人的にマンフレッド・マンの「ドゥ・ワ・ディディ・ディディ」は驚いたし嬉しかった。

 

 

 マンフレッド・マンの、と書いたが正確には、エリー・グレニッチとジェフ・バリーの名ソングライター・チームがドゥワップ・グループのジ・エキサイターズのために書いたシングル曲を、イギリスのブルース色の強いビートバンドだったマンフレッド・マンがいち早くカバーしてイギリス、アメリカ両国で大ヒットさせたのだった(1964年)。

 

 

こちらがオリジナル。

 

There she was just a-walkin' down the street,

singin'"Do wah diddy diddy dum diddy do"

Snappin' her fingers and shufflin' her feet,

singin'"Do wah diddy diddy dum diddy do"

She looked good (looked good), she looked fine (looked fine)

She looked good, she looked fine and I nearly lost my mind

 

Before I knew it she was walkin' next to me,

singin' "Do wah diddy diddy dum diddy do"

Holdin' my hand just as natural as can be,

singin'"Do wah diddy diddy dum diddy do"

We walked on (walked on) to my door (my door)

We walked on to my door, then we kissed a little more

 

Whoa-oh, I knew we was falling in love

Yes I did, and so I told her all the things I'd been dreamin' of

 

Now we're together nearly every single day,

singin'"Do wah diddy diddy dum diddy do"

we're so happy and that's how we're gonna stay,

singin'"Do wah diddy diddy dum diddy do"

Well, I'm hers (I'm hers), she's mine (she's mine)

I'm hers, she's mine, wedding bells are gonna chime

 

Whoa-oh, I knew we was falling in love

Yes I did, and so I told her all the things I'd been dreamin' of

 

Now we're together nearly every single day,

singin'"Do wah diddy diddy dum diddy do"

we're so happy and that's how we're gonna stay,

singin'"Do wah diddy diddy dum diddy do"

Well, I'm hers (I'm hers), she's mine (she's mine)

I'm hers, she's mine, wedding bells are gonna chime

 

Whoa-oh-oh-oh, oh yeah

Do wah diddy diddy dum diddy do, we'll sing it

Do wah diddy diddy dum diddy do, oh yeah, oh, oh yeah

Do wah diddy diddy dum diddy do

 

 

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キャシー・オドネルと野郎ども

2024年05月06日 | ハリウッド

 キャシー・オドネルの話題を続ける。

彼女はスクリーンデビュー間もなく「我等が生涯の最良の年」(1946年、ウイリアム・ワイラー監督)での演技で注目を浴びたのだが、ワイラーの兄(脚本家)と結婚したことによりそのキャリアは思わぬ方向へと転がって行く。

帰還した兵士とガール・ネクスト・ドア(閲覧注意)

 

 

ワイラー監督の「探偵物語」(1951年)での脇役。衣裳はイディス・ヘッドだ。右の後姿は主演カーク・ダグラス。

 

ワイラーの大作「ベンハー」(1959年)での、ベンハーの妹役。母親とともに地下牢に幽閉され、ハンセン氏病にり患してしまう。

 

 オドネルのキャリアで、これらワイラー映画とは別の流れが、前回紹介した「夜の人々」(1948年)だ。座っているのは父親役のウイル・ライト、右はちんけな強盗ジェイ・C・フリッペン。どちらも筋金入りの脇役俳優で、こういったむさくるしい野郎どもの顔と名前を覚えるのがB級映画の醍醐味だ。

 

 「夜の人々」の翌年、再度ファーリー・グレンジャーと「サイド・ストリート」で共演している。

監督はB級映画を撮っていたアンソニー・マン。

この翌年、マンは名優ジェームス・スチュアートとコンビを組み、次々ヒット作を生み出して一躍A級監督となった。

その最後のコンビ作が「ララミーから来た男」(1955年)で、ヒロインにはキャシー・オドネルが起用されている。

前出のジェイ・C・フリッペンはマン映画の常連なのだが、「グレン・ミラー物語」(1954年)は仕方がないとして、なぜか本作にも顔を出していない。たぶんどこか違う組のB級アクション映画で悪役でも演じていたのだろう。

 

 

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こどもの日に(再掲)

2024年05月05日 | 日記

 今日は5月5日、こどもの日だ。

連日テレビのニュースは、コロナ禍が収束していないのにもかかわらず大混雑する観光地の様子を伝えている。

東京は晴れているだろうか。

多摩動物公園、通称多摩動の人出はどうだろうか。

40年たっても、そんなことを思う。

大学時代の4年間、多摩動でバイトしていたことは何度か書いた。

まだディズニーランドの開園前後だったことから、こどもの日が入園無料の多摩動は毎年、殺人的な混雑ぶりだった。

僕は多摩動(都営)直接のアルバイトではなく、アイスクリームを納入していた雪印乳業からハイシーズンのみ派遣される下請バイトで、雨が降ると調整弁として休みになった。

だから天気予報はひどく気になった。

雨で休みが続くと、苦学生には死活問題だった。

詳しく書く気にはならないが、残念なことに、当時の園内での、後者への差別的な扱いはひどいもので、田舎から上京した素朴な学生にとっては理不尽極まりなく思えた。

一方で、雪印のみなさんには可愛がられた。

今だから明かせるが、卒業し就職してからも、慣れてよく気が利くきみがいいからぜひ出てきてくれないか、と懇願されて1年間、日曜日に手伝いに行った。

(今で言うダブルワークは就業規則で禁止されていたけれど。)

翌月曜日、出社すると、上司がにやにや笑いながら、井浦くん、ゴルフ焼け?と尋ねてきたが、いいえ、NTTからヘッドハンティングされた高給取りのあなたと違って僕は新卒の薄給ですからね、と内心嘆いたものだ。

でも、今になってみると、あの経験は反面教師として僕の中でよく活きている。

自分の会社では、正社員もパートもアルバイトも、契約書の範囲内で平等であること、懸命に働く限りは、全ての権利が等しく保証されることを、常に強く意識しているので。

(2022年5月5日記)

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