愛ある節分
「もういいんじゃない」と、ともちゃんに言われた。節分の恵方巻きの海苔が噛み切りづらかったといいうから、「じゃあ来年は違うスーパーの恵方巻きを買ってみようか」と提案したら。豆まきも恵方巻きも、高校生のともちゃんにとっては面倒くさいもの、ということか。そりゃあそうかもしれないなと、ショックを受けつつも冷静に考える。もともと我が家の恵方巻きに特別な意味なんてない。ただ単に食いしん坊の私が、太巻きを一本丸かじりするという贅沢を実現したかっただけだ。とはいえ、もう7~8年は続けているささやかなイベント。ともちゃんと並んで黙々と願掛けをしながら食べる。たった数分間のそれを、私は楽しみにしていたのだ。もうやめようかということを考えた瞬間から、それはどうにもかけがえのないもののように思えてくる。それまでは特別なものなんかじゃなかったのに。
●●● ●●● ●●●
だからきっと私は来年もまた恵方巻きを買ってしまう。優しいともちゃんは結局付き合ってくれるだろう。それを試したい、というママのワガママ。いいじゃない、1年に一度くらい。ともちゃんの健やかな成長と幸せを祈りながら太巻きをかじる。贅沢なのは太巻きの丸かじりじゃなく、こういう時間を過ごせることなのだと、春を迎えた日に思う。
【波風氏談】『言葉のケイコ』も早20回。この頃は、前半と後半の2段落に定まってきた。コメさんは、はじめ、中、終わりの3段落。波風氏はずーうっと3段落。まとまりのある文章表現の時に、各人の体質というか身についたリズムでそんなフォームになるのだなあ イラストは床に散った桜の花びら。これを描いてもうすぐ1年になるのかか。