だいぶシワシワになった顔、深い人生物語るような粋な皺が刻まれますように。白髪が先か毛消滅が先かと思っていたら、両方とも停滞気味。首筋に老いが浮かんでいるのが年相応。1年に1度ぐらい誕生日前後で似顔絵描き、顔つき目つきの怪しさ点検。今回は、穏やかな雰囲気で、ダイエット効果も表現され、エプロンで自立的暮らしも感じさせるお気に入り。少し気難しそうだが、もしもの時の遺影にも使えそう。
本で立ち止まって考える。俺って何も分かっていなあ。「教育改革の、リベラル、新自由主義、道徳保守主義の混在が同時に求められることが先生の忙しさの背景」(※1)、「差別や猥褻や偏見に関する用語を口にすると目の前の奴が分かってる奴かどうか解っておもしろい・・・・陵辱もそれだけだとただの単語。好きって付けると良くも悪くも生き返る」(※2)。「日本での『リベラル』は、保守でも共産主義でもない立場を指す」(※3)。本は予想なしに立ち止まらせ、散らばっている記憶や感情を別の知識に仕立て直す道具だなあ。いくつになっても心ざわざわするのは嬉しい。
その好奇心とは、あることに関心を持つことだが、字のごとく『好き』だからこそ。これをモノやコトだと関心失せること多いが、ヒトだと少し次元が違う。一度好きになったヒトは忘れない。だが、そういうヒトが長い年月の間に何度も人間性への疑問や失望、怒りの対象にまでなってくると、そのヒトへの関心を消すことにしている波風氏。下手すると「勝つまでやる」がモットーの腹ワタ充満暴発的言いがかり発動になりかねないからだ。こういう性分は老いると丸くなり薄れると思っていたがもともと非常識(本日の公式裏ブログ「過去は変えられなくても」参照)だからそうならない。許せないヒトは関心を持たないヒトにしてしまうのが波風氏の平和的制裁。こういうの嫌じゃないなあ、俺ってそういうところがあるのかと関心持ったりして。ヒトって何?自分って何?ここらが老いても失せない好奇心の中心問題かもなあ。
画像『シワシワ波風氏』、こうしてみると哲学者的雰囲気もありなかなか(笑) (※1)『世界』1月号砂田砂鉄・二平典宏対談「最後は教育なのか」から。学校の殺人的多忙と管理主義をこういう視点で整理する鮮やかさ(※2)山田詠美著『肌馬の系譜』(幻冬舎)、際限なき小説世界と思いつつ隠れてエロ本読む気分、大人向け江戸川乱歩作品みたい、山田さん凄いわ『世界』2月号、小熊英次著「戦後日本の『リベラル』と平和主義」、辞書的な意味で無く、外国の使い方で無く、この国での意味の変遷。