前回ブロク記事の『あるはあるは』が気になっていた。寝る前に読み直しやっぱり違和感あって調べたら「あるわあるわ」だった。
辞書に、「副助詞〈は〉からの変化①女性語 自分の主張(判断)などを相手に納得させたり自分で確認したりする気持ちを表す。「知らない-/存じません-」、感動や驚きを表す。②多く男性語 感動したり驚き呆れたりする気持ちを表す。「居る-、居る-、黒山の人だ/電車は混む-、台風にあう-で、散々な旅行だった。/世の中には変わった奴がいるもんだ-」。文法:活用語の終止形に接続する。」(新明解7版)
もとは「は」だったのが「わ」に変わったんだ。昨日買ってきた新明解8版も7版と全く同じ。前回の「なので」は8版が少し詳しく説明していた。
辞書を引く文化が生まれ育った波風家に無かった,そもそも辞書がなかった。ママヨさんは、言葉でも植物でも昆虫でも分からなければ辞書を引く。地図もよく開く。「なんて面倒なことを」と初めは思っていたが、父親から植物図鑑が送られてきて、「家風なんだ」と合点。
ママヨさんの影響と仕事が仕事だったので辞書を引かざるを得なくなったが、習慣とはすごいもので苦にならなくなる。3年前の広辞苑も今回の新明解も机上版にしたので、重くなったが字が大きく嬉しい。
『舟を編む』が映画もTVドラマも面白かったのは、言葉ひとつに徹底してこだわる心意気・仕事ぶりと辞書編纂の過酷だが豊穣な世界を垣間見せてくれたからで、人生を航海する船としての辞書とか、辞書は人生で道を失ったときの羅針盤という井上ひさし氏の言葉を思い出す。
中学校入学して最初の国語授業で先生から、国語辞書と漢和辞書を買って来いと言われた。前者は、金田一京助、後者は角川源樹と表紙にあったのを買った。本屋で買った最初の本、使わなくても還暦記念大始末まで本箱に残したあと3日寝るとお正月。恒例の(こう打ったら「高齢の」と出た)今年も生きることができた、来年はこう生きることにしようを考えてみたい。図書館から借りてきた松下竜一著『豆腐屋の四季』を読み、何度か涙が滲んだ。