波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

映画『PERFECT DAYS』で考えた。

2025年01月14日 | 日記・エッセイ・コラム


(前回記事は映画で感じたこと、今回は映画で考えたこと)
過去は変えられないけれど、過去の意味は変えられる、そうすれば今を機嫌よく生きられる、その先がどうなるかはわからなくても。映画見終わり、少し時間を経て考えたこと。平山(主人公)は、畳に布団を敷き文庫本を読み車で70年代前後のカセットテープを聞く。スマホ持っているが電話連絡用でフイルムカメラで白黒写真を写す。毎朝、鉢植えに水を遣る。こんなアナログなシーンが逆に、デジタル社会でそれなりの仕事していたことを想像させる。姪と妹が出てきて平山の過去を少しだけ匂わせるが、仕事や家族や人間関係は明かされない。「何かあった」のだろうけれど、平山は人間らしく見える。

 

平山の暮らし方が波風氏の好みと重なるところがあり笑う。昔の平山も今と同じ好みを持っていてそれがずうっと続いている、いややっと続けられるようになったとも思う。読書も音楽も写真も仕事ぶりだって、若い時からずうっと変わらない。そう考えると、子どもみたいな楽しみを保ち続けることが機嫌良く暮らす秘訣かもしれない。『大人』とは,「自分の置かれている立場の自覚や自活能力を持ち、社会の裏表もすこしずつ分かりかけてきた意味」「その場の感情や目先の利害などにとらわれず、後々までの見据えた対処が出来る様子」と辞書にあった。自分が責任負える範囲を知る平山は大人なんだけど

 

平山は、鼻の下の髭を毎朝丁寧に切り揃える。「俺は顔にはこの髭の長さと面積が似合うのだ」と彼にしては珍しい自己主張が見えて、ほーっと思う。トイレ掃除着の清潔そうなツナギ、首に巻く白いタオル、白いスニーカーも静かに似合っていて、「これで良いんだよなあ」を感じる。普段着の雨ガッパや自転車姿さりげなくカッコ良い。役者と演出がそうだからと言っちゃあ身も蓋もないが、大人だから子どもらしさが際立つ。平山がほのかに想っている女性(石川さゆり)の元夫と影踏みに興じる場面、唐突だが余計なことを言わず人と人が絡む幸せなシーン。ドギマギする人間を誘って遊べる平山は子どもだ


画像は、家の前の煉瓦道に生えていた苔や鉢植えの植物から切り取ったのに、今朝も霧吹きで水をる 寝床で小説を読むのは素敵だなあと波風氏は喜ぶのであった(笑)平山は浅草の地下街で一杯やる。良いなあ、地下街、最先端の公共トイレとレトロ横溢の地下街の対比面白い。マンガ『おむすびの転がる街』(panpanya)を開こうかな韓国のハン・ガン著『すべての、白いものたちの』、これは小説?詩(散文詩)ではないのか。読んでいて浮遊するような不思議さ。

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