病院で検査し結果を聞きに行く。その前日、新聞にあった短歌(2/20朝日歌壇)に目が留まる。こんなお経なら歓迎だ。2階に上がる居間の階段脇に、未だ読み終わってないのを積んでいる。線香1本分の時間、仏壇の前に坐り、あの人のことを思いながら本を選び毎日静かに読んでいこう。自分も漱石からだな。
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結果にほっとした。今回は前と違い、「もしかしたら」の事態にはならないようだ。教え子に、すぐに病院に行けと言われなかったら行かなかった。何だか少し変、とママヨさんは感じていたらしいが、口にしなかった。その気持ちはとてもわかる。だが、ママヨさんに言われても理由をつけて行くのを伸ばしていただろう。
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鶴見俊輔さんの「教育の再定義」(岩波文庫)を病院の待合室で読む。再読だがその分、いちいち納得し、これまでの仕事が「手をつけたばかり」なことに気づき、気持ちよく自分を恥じていた。老後の読書にはこんな楽しみ方もあるのだ。
家に帰って結果を伝え、遅い朝食を食べ終わったらあの短歌を思い出した。そう遅くないはずの「もしも」の時が来たら、その日にやっていることを次の日もその次の日も淡々と続けていけるような人生を送りたいものだと思った。修行が終わり、奉公も済み、やれやれと思いながら、4月から新しい修行だが、そんな人生の準備なんだな。
ブログを書いていたら、ゴンチチの「楽しみな週末」を聞きたくなった。syuumatuと打ったら終末と出た。ドキッとした。
gontitiカバー T.T.Acoustic ライブ 『楽しみな週末』