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(亀井地蔵尊 07:04am)
2009 9/27 Sun.
*個人的には「お化けトンネル」より怖い場所
亀井地蔵尊をご存知でしょうか。
逗子に住んでいる人ならその存在くらいは知っているかな?
JR逗子駅から逗子海岸へ向かう道は、現在は「逗子銀座商店街」として賑やかですが、民家のないこの一帯は昔はとっても寂しい場所でした。
それもそのはず、あったのはお墓ですから。
1929(昭和4)年に墓地が取り払われ、1970(昭和45)年と1981(昭和56)年に整備され、亀井地蔵尊が建てられました。
何度かこのブログにも書いたことがあるのですが、私、霊感が強かった頃があるのです。
高校生の時がピークで、徐々に薄れていったのですが、その名残で今も時々シックス・センスがざわつく瞬間があります。
逗子・鎌倉界隈は、まあ歴史上色々ありましたから、土地柄いくつかの心霊ポイントなるものが存在します。
でも、実際に身の毛がよだつような霊気を感じる場所はそういくつもあるものではないし、極力避けて通るような知恵もつくものです。
そんな私が未だに怖いのがここ。
理屈抜きでマジ怖いです。
2001(平成13)年の4月に児童公園が造られ、周りの景色が一変したにもかかわらずです。
昨年の5月頃、
食彩堂 から
キクヤ食堂 にハシゴした時、近道をしようとして1本道を間違えたため、この公園に出てしまった時の恐怖感はハンパなかったです。
全身に鳥肌が立ったのは、14年前ニューオーリンズの聖ルイ教会前の広場に足を踏み入れた時以来の体験でした。
ご由来を読んでみると、
田越河原は大昔には死骸の埋葬地でした(ひえぇぇ――! さっきまで歩いていた所じゃん
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)。
中世は処刑場となり、六代御前や三浦胤義の子供達も此処で首を切られました。
吾妻鏡の嘉禄元年9月8日の条には、北条泰時、三浦義村が弁僧正の弟子達と供養のため、八万四千基の石塔を建てた旨が記されています…云々。「今立っている此の場所は大墓といって~」とかサラッと書いてあるんですけど。。。
そいや、公園を造るにあたり直前に発掘調査をした時、びっくりするほど人骨が出たって。墓地を移すのって良くないんだよなぁ。
墓石や閻魔堂の閻魔さまは、近くの寺に移されたとあるけれど、こんなとぼけたお顔(失礼)のお地蔵さまで「大墓」のおびただしい霊を供養出来ているのでしょうか。
賽銭箱に500円玉を奮発し、謹んで合掌してきました。
近所の人はお墓があるよりは公園の方がいいだろうけれど。。。
私はこの近くに住んでいたら、暗くなってから外を歩けないかも。
いわくつきの場所でなくたって、夜の公園って気味が悪いものでしょ。
それにしてもどうして人っ子1人いないの!?
夜じゃなくても怖っ
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!と思ったら、日曜の朝7時でした。
冷静になれ(爆)。
でもでもこの日、さらに怖いモノを発見してしまいました。
ギャ――――ッ!!
こ、こ、怖―――い!!!
誰が何のために作ったんですか?
これ見て子供、泣かないんですか??
写真を撮ろうとデジカメの液晶見たたら、一瞬飛びかかってきそうに見えました。
もちろん一目散に逃げましたよ。
亀井児童公園発掘の報告書って図書館で閲覧可なんだよなぁ。
見てみようかしら。
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市内散策、
さらに続きます。