高校時代に、「角をためて牛を殺す」の意味を聞かれたとき、「象牙のように角を切らずにたくさんためておき、伸び過ぎて牛をころしてしまうこと、やりすぎの意味。」と答えてクラス中からさんざん笑われたことがある。「貯める」と「矯める」の誤解である。
この手の誤用は、ほかにもいくつかあった。たとえば「ぬれ手にアワ」。私はこれを「乾いた手ではシャボン玉も割れてしまうが、濡れた手ならシャボン玉もすくうことができ、用意のいいことを表す。」と考えていた。「粟」と「泡」の誤用である。
理系らしい、きわめて論理的な誤用だとも言えるが、粗忽者の本領発揮と見ることもできる。
読者もこのような失敗があるのではないですか。それとも、こんなまぬけな失敗は、私だけのことなのだろうか??
この手の誤用は、ほかにもいくつかあった。たとえば「ぬれ手にアワ」。私はこれを「乾いた手ではシャボン玉も割れてしまうが、濡れた手ならシャボン玉もすくうことができ、用意のいいことを表す。」と考えていた。「粟」と「泡」の誤用である。
理系らしい、きわめて論理的な誤用だとも言えるが、粗忽者の本領発揮と見ることもできる。
読者もこのような失敗があるのではないですか。それとも、こんなまぬけな失敗は、私だけのことなのだろうか??