新潮文庫で、井形慶子著『古くて豊かなイギリスの家、便利で貧しい日本の家』を読む。生まれ育った家とあちこち転々とした安アパートしか知らないので、著者が批判する日本の家づくりというものを実際にしたことがない。したがって、施主と建築家の力関係だとか、モデルハウスの幻想性というものも、実感としてわからない。
著者が日本の家と言っているのは、どうやら都会の建売り住宅のことらしい。田舎のわが家などは、日本の住宅には入らないのだろう。英国では毎年DIYでドアにペンキを塗るかもしれないが、わが家では毎年春と秋に板戸と細竹を編んだ網戸とを交換し、ぞうきんできれいに拭く。トイレにアポロ宇宙船のような仕掛けはないし、天井までの収納などもなく、便利さで押し潰されそうな家とはほど遠い。今でも井戸があり、裏の畑でポチならぬネコがなく。のんびりした暮らしだ。車がありデスクにはパソコンがあり、妻の机にもLANケーブルが伸びているけれど、それを伝統的な日本の田舎の生活や風景をこわすものだとは思わないけどなぁ。古びた黒板塀ごしに年代物の松が見える家並みも、それほど違和感があるとは思えない。
私もアンテナや電柱が建ち並ぶ街並みよりも、電線を地中に埋設した通りのほうがすっきりしているとは思うけれど、どの家にもテレビのアンテナが林立していた風景は、昭和30年代~40年代の風景として懐かしさを感じるくらいだ。むしろ、80代の老父母が、畳の生活は50代・60代までのもので、年取ってからはベッドがらくだ、と徐々に洋風の生活スタイルに変えてきているのが正直な姿だろう。
ただし、英国のリビングの代表として掲載されている、たっぷりドレープの入ったカーテンやビクトリア朝時代様式のような家具やクッションなど、インテリア雑誌から抜け出たような写真のようには決してならない。年寄りの感性を見ると、さっぱりした空間に麻の端切れをしいて、小ぶりの火鉢ほどの大きさの花瓶を飾る。そして、畑で育てた白い芍薬(シャクヤク)をどさりといけている。生活は質素だが実に豪華だと思う。
著者が日本の家と言っているのは、どうやら都会の建売り住宅のことらしい。田舎のわが家などは、日本の住宅には入らないのだろう。英国では毎年DIYでドアにペンキを塗るかもしれないが、わが家では毎年春と秋に板戸と細竹を編んだ網戸とを交換し、ぞうきんできれいに拭く。トイレにアポロ宇宙船のような仕掛けはないし、天井までの収納などもなく、便利さで押し潰されそうな家とはほど遠い。今でも井戸があり、裏の畑でポチならぬネコがなく。のんびりした暮らしだ。車がありデスクにはパソコンがあり、妻の机にもLANケーブルが伸びているけれど、それを伝統的な日本の田舎の生活や風景をこわすものだとは思わないけどなぁ。古びた黒板塀ごしに年代物の松が見える家並みも、それほど違和感があるとは思えない。
私もアンテナや電柱が建ち並ぶ街並みよりも、電線を地中に埋設した通りのほうがすっきりしているとは思うけれど、どの家にもテレビのアンテナが林立していた風景は、昭和30年代~40年代の風景として懐かしさを感じるくらいだ。むしろ、80代の老父母が、畳の生活は50代・60代までのもので、年取ってからはベッドがらくだ、と徐々に洋風の生活スタイルに変えてきているのが正直な姿だろう。
ただし、英国のリビングの代表として掲載されている、たっぷりドレープの入ったカーテンやビクトリア朝時代様式のような家具やクッションなど、インテリア雑誌から抜け出たような写真のようには決してならない。年寄りの感性を見ると、さっぱりした空間に麻の端切れをしいて、小ぶりの火鉢ほどの大きさの花瓶を飾る。そして、畑で育てた白い芍薬(シャクヤク)をどさりといけている。生活は質素だが実に豪華だと思う。