梅雨とは思えぬ暑い午後、同級生の父君の葬儀に出席した。故人の生前の功績を顕すかのように、おおぜいの参列者であった。あまり大きな寺でないこともあって、本堂左のテントもいっぱいになり、山門入り口まで連なった。90歳の大往生なので湿った雰囲気はなく、故人のエピソードなどが淡々と語られた。
若い頃は、こうした冠婚葬祭のつきあいがわずらわしく見え、田舎はうっとうしいと思っていた。だが、実際にUターンして郷里で暮らしてみると、地元に定着した同級生間の横の連絡が密接で、受付から下足番、連絡までそつなくこなす。しかも同期の卒業生一同の名前できちんと花環が届き、葬儀の後の寺の掃除まで済ましてくれる。最後に喪主に挨拶し、何事もなかったかのように散会していく。特技や向き・不向きなどは考慮されるが、社会的な地位や経済力などは考慮されず、たんに同級生だという扱いしかない。「お互いさま」という原理に基づくかつての村落共同体の名残りだろうが、こういう地域的な無償のつながりというのはいいものだ。
若い頃は、こうした冠婚葬祭のつきあいがわずらわしく見え、田舎はうっとうしいと思っていた。だが、実際にUターンして郷里で暮らしてみると、地元に定着した同級生間の横の連絡が密接で、受付から下足番、連絡までそつなくこなす。しかも同期の卒業生一同の名前できちんと花環が届き、葬儀の後の寺の掃除まで済ましてくれる。最後に喪主に挨拶し、何事もなかったかのように散会していく。特技や向き・不向きなどは考慮されるが、社会的な地位や経済力などは考慮されず、たんに同級生だという扱いしかない。「お互いさま」という原理に基づくかつての村落共同体の名残りだろうが、こういう地域的な無償のつながりというのはいいものだ。