「心ここに在らざれば、見れども見えず」という言葉があります。その由来を知りたいものだと思っていましたら、出典を知ることができました。四書五経の一つ、『大学』だそうです。
「心焉(ここ)に在らざれば 視れども見えず 聴けども聞こえず 食せども其の味を知らず」とでも訳すのでしょうか。
ふ~ん、なるほど。どこかで見たような聞いたような。ほぼ40年前の高校生時代に、漢文の授業ででも出てきたのかもしれませんが、当方、理系の石頭ですので、まったく記憶にありません。
映画や演奏会前のアナウンスで、携帯電話の電源を切るかマナーモードにと注意を促していますが、まさにこの実例なのでしょう、誰かが必ず忘れているのですね。しかも、マーフィーの法則よろしく「一番いいところでケータイが鳴る」「しかも、そんなときに限って、最大音量に設定してある」(^o^)/
心がここにないときは、アナウンスの声は聞こえず、通り過ぎるのでしょうか。
いやいや、他人のことばかりは言えません。昔から「他人のふり見て我がふり直せ」と言います。自分も気をつけなければ。
ん~、一句(一首?)できました。

あれあれ、偽芭蕉さんの作ですね~(^o^)/
「心不在焉 視而不見 聴而不聞 食而不知其味」
「心焉(ここ)に在らざれば 視れども見えず 聴けども聞こえず 食せども其の味を知らず」とでも訳すのでしょうか。
ふ~ん、なるほど。どこかで見たような聞いたような。ほぼ40年前の高校生時代に、漢文の授業ででも出てきたのかもしれませんが、当方、理系の石頭ですので、まったく記憶にありません。
映画や演奏会前のアナウンスで、携帯電話の電源を切るかマナーモードにと注意を促していますが、まさにこの実例なのでしょう、誰かが必ず忘れているのですね。しかも、マーフィーの法則よろしく「一番いいところでケータイが鳴る」「しかも、そんなときに限って、最大音量に設定してある」(^o^)/
心がここにないときは、アナウンスの声は聞こえず、通り過ぎるのでしょうか。
いやいや、他人のことばかりは言えません。昔から「他人のふり見て我がふり直せ」と言います。自分も気をつけなければ。
ん~、一句(一首?)できました。
今ここで 携帯電話を確かめて 電源オフかマナーモードに (山響待人)

あれあれ、偽芭蕉さんの作ですね~(^o^)/