電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

佐原真『遺跡が語る日本人のくらし』を読む

2010年11月26日 06時07分42秒 | -ノンフィクション
山形県立博物館の「縄文のキセキ~半世紀の時を越えて」展に刺激され、佐原真著『遺跡が語る日本人の暮らし』を読みました。予備知識のほとんどない分野については、中高生向けの岩波ジュニア新書が手っ取り早く本質的なことを知ることができると感じていますが、今回もたいへん興味深い内容でした。
構成は、次のとおりです。

1. 日本人・日本文化の源流
2. 武器と戦争のはじまり
3. 戦いにそなえる村
4. 弥生絵画を読む
5. 柱が屋根を支える
6. 植物型の食事
7. めいめいの器・わたしの器
8. 乏しかった食用家畜
9. 花はどこへいった
10. 弥生人の道具箱
11. いま、考古学は

はじめに、旧石器(岩宿)時代から、著者の表記に従えば縄紋時代を経て弥生時代に通じる歴史を概観します。ここでは、「弥生時代のはじまりから奈良時代にかけての1000年間に、中国大陸や朝鮮半島から100万人の人が渡ってきた(p.83)という指摘に、目からウロコが落ちました。また、縄紋時代には個人的な復讐はあっても、戦争というものはなかったと考えられること、弥生時代になって戦争があらわれたことなども、興味深いことです。そうであれば、一万年を越す長~い縄文時代を経て、弥生時代のあとわずかな期間でクニが出来てしまうのが不思議ではなくなります。中国はすでに古代王朝の時代、もともとクニを知っていた人たちが移住して来たのでしょうから。

その意味で、弥生時代というのは戦争の時代であったという指摘も、従来の平和なイメージを覆すものでした。
また、壁がうすく、柱で屋根を支える構造や、家畜が少なく肉食よりは植物型の食事を属人器で食べるという文化の特徴の指摘も、興味深いものがあります。当初の目的の縄文時代についてよりは弥生時代についての内容が中心ですが、それは縄文の遺跡に乏しい西日本に軸足を置く著者ですので、仕方がないのかも。
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