電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

「これ一つで済むように」という願望

2013年03月07日 06時00分52秒 | 手帳文具書斎
いつ頃だったでしょうか、「僕なんか、これだけですよ」というフレーズとともに、「これだけ手帳」というのが売られていた時期がありました。その後、1980年代のシステム手帳のブームのときに、ふと「これだけで済む」ようにできないかという願望は、形を変えて、くりかえし現れるのだな、と感じました。

ブームの中で、様々なリフィルが工夫されただけでなく、バインダーにはさむための、実に様々なモノが商品化されました。六穴パンチやカード入れ、ハサミや電卓、はてはウィスキーを入れるための袋まであったような(^o^)/
まさしく、「これだけ持って歩けば済むように」という願望が形になったように見えました。

次は、1990年代前半のサブノートパソコンの登場の頃です。東芝のダイナブックやNECの98ノート、富士通のFMRノートブック等の中にIBMのThinkPad220が登場し、サブノートパソコンを携帯すれば、ハードディスク内の情報をささっと検索することで、ほとんど用が足りるように思わせたものでした。実際は、電池の持続時間が足りずに、実用にはなりませんでしたが、私も一時このスタイルを試みたことがあります。そして、電池の持続時間の欠点を解消すべく、ザウルスやニュートンなどの、専用に特化した小型のPDAが登場してきます。

おそらく、現在のスマートフォンやタブレット端末などにも、「これ一つで済むように」したいという願望は様々に形を変えて現れるのだろうと思います。ですが、蛮勇をふるって言い切ってしまえば、

「これ一つで済む」ことなど、ない。

もしあったとしたら、それでことが済む事態の方が、ごく特殊な例なのだろうと思います。つまり、「これだけ手帳」の提唱者が、実際にあの手帳一つで済んでいたのだとしたら、それは彼のような特殊な立場・職業だからできたのだろう、ということです。

コメント (2)