電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

死後のコレクションの運命~散逸の悲しさ

2013年03月21日 06時02分39秒 | 手帳文具書斎
お彼岸の中日、当地はやや肌寒いお天気となりました。こんな日にも出張しなければならないなんて、とぼやきながら、車を走らせました。

さて、若い頃には、雑誌等で紹介される人々の蔵書やLP等のコレクションを見て、驚きうらやんだものでした。ところが、身近な幾人かの方々が鬼籍に入られた後の、様々なコレクションの運命を見聞きすると、惜しまれながらも散逸してしまうケースが多いようで、複雑な思いです。普通の個人のコレクションだけでなく、名だたる学者や収集家のものでさえ、結局は遺族にとっては重荷でしかない、というのが現実でしょう。漱石文庫でさえも、東大や朝日新聞社では居場所を得ず、結局は小宮豊隆の縁で、ようやく東北大学に収まった(*)ほどですから、個人的なコレクションというのは、その人一身のものだと考えるべきなのだろうと思います。

藤沢周平は、持ち物を少しずつ減らし、身軽にしていって、枯れ木が倒れるように去っていきたい、というような趣旨のことを書いていますが、当たっているなあと感じます。不要なものは見切って手放し、徐々に身を軽くしていくことが大切だ、ということでしょう。私の場合は、貴重なコレクションなどはありませんし、個人的な思い出の類でしかありません。その点では、写真を残してモノは捨て、完全にデジタル化して、HDD とともに廃棄されるようにしておくというのも、案外良い方法なのかもしれません。

(*):漱石文庫が仙台にある理由~夏目房之介『漱石の孫』を読む~「電網郊外散歩道」2007年10月

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