電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

帚木蓬生『蝿の帝国~軍医たちの黙示録』を読む

2016年08月06日 06時01分50秒 | 読書
新潮文庫で、帚木蓬生著『蝿の帝国~軍医たちの黙示録』を読みました。朗読によるラジオ文芸館「かがやく」を聴いて以来(*1)、著者の本(*2,3)を読むのは三冊目になります。本書は、福岡県の大刀洗陸軍航空廠を舞台とした「空爆」から満州における「医大消滅」まで、15編の短篇からなりますが、いずれも軍医の目を通して見た戦争の姿が描かれています。本書の冒頭には、

先の大戦で散華された
あるいは幸いにも生還された
陸海軍の軍医の方々に
本書を捧げる

とありますが、副題のとおり、まさに「軍医たちの黙示録」です。

強く印象に残ったこと:
敗戦間近な時期、あるいは敗戦後の捕虜生活を通じて、死亡証明書を書く場面が多く描かれます。命を救うはずの医師が、人を殺す戦争の中では、死を看取り、死亡証明書を書くほかはない。もちろん、衛生状態の改善や伝染病の発生に際しては隔離病舎の設置などの対応に努めるわけですが、物資も欠乏し、敗退を続けるしかない戦場にあっては、それが精一杯のことでしょう。それでも死亡証明書があれば戦死者として遇され、なければ単に死者として扱われる。これはまた無残な話です。

「蝿の街」は、私にとっては格別な一編です。ヒロシマの救援命令を受け、入市被曝をして長く原爆症で苦しむこととなった亡父は、おそらくここに描かれたような惨状を体験したのでしょう。多量の放射線を浴びた人々が、細胞の再生ができなくなり、内部から崩壊して死に至るわけですが、そんな遺体が市中至る所にあり、蝿が街を覆っている、という有様は、悲惨で恐怖です。病理学を専攻する医師の目を通して見たヒロシマの実状。遺体を病理解剖した時に見た、腸粘膜一面に縞模様のように、あるいは点在して厚い苔がへばりつき、リンパが壊死し、全粘膜に出血斑が見られること、それは火傷も外傷もないのに人体が内部から崩壊していった様子を表しています。医師ならではの、きわめてリアルな視点です。

おそらくは、バケツで臨界を起こしてしまったJCOの作業員たちの病状の進行も、本質的には共通のものだったのだろうと想像してしまいました。目に見えない放射線の、圧倒的な生命破壊力です。



たぶん、これから何度も繰り返して読むことはないであろうけれど、本書はたしかに一読の価値のある本でした。

(*1):ラジオ文芸館「かがやく」を聴く~「電網郊外散歩道」2015年9月
(*2):帚木蓬生『風花病棟』を読む~「電網郊外散歩道」2015年11月
(*3):帚木蓬生『閉鎖病棟』を読む~「電網郊外散歩道」2016年4月

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