簡便なレコードプレーヤーを購入(*1)以来、若い頃に集めたLPをじっくりと聴き直しております。今回は、ドヴォルザークの宗教曲で「スターバト・マーテル」作品58、R.クーベリック指揮のバイエルン放送交響楽団・合唱団・他による演奏で、独唱者は、エディット・マティス(Sp)、アンナ・レイノルズ(コントラルト)、ヴィエスワフ・オフマン(Te)、ジョン・シャーリー=カーク(Bs)、1976年9月、ミュンヘンのヘルクレス・ザールでのアナログ録音です。LPはグラモフォンのMG8308/9という二枚組で、見開きジャケットとなっています。曲目解説は渡邊學而さん、演奏者解説は浅里公三さん。思わず懐かしくなるお名前です。
渡邊學而さんの解説によれば、この曲は作曲者が34歳の1875年9月に長女を失い、2年後に長男と次女を一ヶ月も経たないうちに相次いで失うという悲しみの中で作曲されたとあります。ドヴォルザークが結婚したのは、たしか1873年(32歳)のときでしたので、1歳か1歳に満たないくらいの年齢の赤ちゃんの時期に、次々に亡くなったことになります。
参考までに、ネットで19世紀までの乳幼児死亡率を調べてみると(*2)、ベルリンにおける種痘の導入が1801年で、まだまだ乳幼児死亡率が高かった時代のようです。それにしても、かわいい盛りの幼児を次々に失うということは、結婚して二年程度の若い夫婦にとって、大きな痛手だったことでしょう。


LPジャケット裏面の記録によれば、購入したのは鶴岡在住の時代、1983年のようです。この頃、私も乳幼児の親であり、アパート生活でLPを聴くことなどはかないませんでした。にもかかわらずLPを購入し、たまに帰省した実家で、つかの間の楽しみとしてLPを聴いておりました。
この曲は、ぜんぶで10曲からなります。
1枚目のレコードは、A面に1曲目、B面に2~3曲目までを収録しており、悲歎の色濃い音楽が流れます。これに対して2枚目のレコードは、第4曲目以降を収録し、しだいに悲歎よりも慰めと祈りの要素が大きくなっていくようです。
肺ガンで亡くなった大学時代の恩師や、白血病で若くして亡くなった大学時代の同級生、あるいは父親と同じ年齢で同じ病気で亡くなった同業仲間の場合など、何度か教会での葬儀に参列しましたが、皆が心を込めて歌う賛美歌の役割(*3,4)が、悲しみを慰めるものであることを感じておりました。ドヴォルザークの「スターバト・マーテル」もまた、悲しみを慰めに変える、祈りの音楽であると考えて間違いないでしょう。音楽として素晴らしいものであるだけでなく、大きな慰めの音楽である点からも、名曲と呼ばれる理由が理解できるように思います。
(*1):リビングでLPレコードを再生してみると~「電網郊外散歩道」2016年7月
(*2):高木正道:近世ヨーロッパの人口動態、『経済学研究』、(PDFファイル)
(*3):恩師の葬儀に出席~「電網郊外散歩道」2005年1月
(*4):モーツァルト「レクイエム」を聴く~「電網郊外散歩道」2011年3月
渡邊學而さんの解説によれば、この曲は作曲者が34歳の1875年9月に長女を失い、2年後に長男と次女を一ヶ月も経たないうちに相次いで失うという悲しみの中で作曲されたとあります。ドヴォルザークが結婚したのは、たしか1873年(32歳)のときでしたので、1歳か1歳に満たないくらいの年齢の赤ちゃんの時期に、次々に亡くなったことになります。
参考までに、ネットで19世紀までの乳幼児死亡率を調べてみると(*2)、ベルリンにおける種痘の導入が1801年で、まだまだ乳幼児死亡率が高かった時代のようです。それにしても、かわいい盛りの幼児を次々に失うということは、結婚して二年程度の若い夫婦にとって、大きな痛手だったことでしょう。


LPジャケット裏面の記録によれば、購入したのは鶴岡在住の時代、1983年のようです。この頃、私も乳幼児の親であり、アパート生活でLPを聴くことなどはかないませんでした。にもかかわらずLPを購入し、たまに帰省した実家で、つかの間の楽しみとしてLPを聴いておりました。
この曲は、ぜんぶで10曲からなります。
第1曲:「悲しみに沈める聖母は」
第2曲:「誰が涙を流さぬものがあろうか」
第3曲:「いざ、愛の泉である聖母よ」
第4曲:「わが心をして」
第5曲:「わがためにかく傷つけられ」
第6曲:「われにも汝とともに涙を流させ」
第7曲:「処女のうちもっとも輝ける処女」
第8曲:「キリストの死に思いをめぐらせ」
第9曲:「焼かれ焚かれるとはいえ」
第10曲:「肉体は死して朽ち果てるとも」~「アーメン」
1枚目のレコードは、A面に1曲目、B面に2~3曲目までを収録しており、悲歎の色濃い音楽が流れます。これに対して2枚目のレコードは、第4曲目以降を収録し、しだいに悲歎よりも慰めと祈りの要素が大きくなっていくようです。
肺ガンで亡くなった大学時代の恩師や、白血病で若くして亡くなった大学時代の同級生、あるいは父親と同じ年齢で同じ病気で亡くなった同業仲間の場合など、何度か教会での葬儀に参列しましたが、皆が心を込めて歌う賛美歌の役割(*3,4)が、悲しみを慰めるものであることを感じておりました。ドヴォルザークの「スターバト・マーテル」もまた、悲しみを慰めに変える、祈りの音楽であると考えて間違いないでしょう。音楽として素晴らしいものであるだけでなく、大きな慰めの音楽である点からも、名曲と呼ばれる理由が理解できるように思います。
(*1):リビングでLPレコードを再生してみると~「電網郊外散歩道」2016年7月
(*2):高木正道:近世ヨーロッパの人口動態、『経済学研究』、(PDFファイル)
(*3):恩師の葬儀に出席~「電網郊外散歩道」2005年1月
(*4):モーツァルト「レクイエム」を聴く~「電網郊外散歩道」2011年3月