夏休みを利用して、リビングで昔集めたLPを楽しんでおります。今回は、プッチーニの「グロリア・ミサ」です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/0d/677d4b68117ee4adc3032105cb4b0c50.jpg)
LPは、エラートの REL-8348、1984年にRVCから2,800円で発売されたものです。録音は1983年3月にロンドンのオール・セインツ教会で収録されたもの。演奏者は、ホセ・カレーラス(Ten.)とヘルマン・プライ(Bar.)、クラウディオ・シモーネ指揮フィルハーモニア管弦楽団、アンブロージアン合唱団。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/d4/b240e4487b7911a245cba1a151b3609d.jpg)
LPジャケット裏面の金沢正剛氏の解説によれば、ルッカの町の音楽家の家系に生まれた「五代目の跡取り」プッチーニが、若くして父を失い、母親の期待を一身に受けてルッカ音楽院で音楽の基礎をたたき込まれた後に、近所の教会オルガニストとして頭角を現していた頃に書かれたのがきっかけで、ルッカの音楽院の卒業課題として完成されたものだそうです。この曲が評判になり、金持ちの叔父の援助を受けてミラノの音楽院に進むようになりますが、彼自身はオペラのほうに方向を定め、この曲は「若気の罪」であるとして出版も演奏も禁止し、封印してしまいます。
こうして忘れられた音楽を、1951年に米国の神父がプッチーニの伝記を書くために資料集めにイタリアに渡った際に、ルッカの音楽院の書庫の中からこの曲の楽譜を発見、この年の内に勝手に出版してしまったそうです。「グロリア・ミサ」とは神父が勝手につけた名前で、もともとの曲名は「管弦楽を伴う四声部のミサ曲」というものなのだとか。プッチーニ死後50年になる1974年に、遺族の同意のもとに原典版が出版され、演奏も許可されるようになったのだそうで、このあたりは著作権法関連の国際条約の50年規定あたりが影響したのかもしれません。
このミサ曲は、次の五つの曲から成っています。LPでは、A面に「キリエ」と「グローリア」を、B面に残りの3曲を収録しています。
たしかに、宗教的と言うよりはむしろ劇的な音楽で、後年の歌劇の作曲家プッチーニらしいもので、「キリエ」の主題は初期のオペラ「エドガー」に転用され、さらに「アニュス・デイ」の主題を歌劇「マノン・レスコー」に転用しているとのことです。残念ながら、当方はいずれの歌劇とも未だ視聴の機会がありません。LPのジャケット・解説とも、曲ごとのタイム表示はありませんが、時間的には「グローリア」と「クレード」の比率が大きいものとなっているようです。とくに、「グローリア」におけるカレーラスの歌は、敬虔な宗教曲というよりは、まるでオペラ・アリアのような立派なもので、東洋の島国の素人音楽愛好家にはたいへん好ましい(^o^)/
また、「アニュス・デイ」における美しい男声二重唱と合唱の掛け合いのうちに静かに終わるところなどは、「われらに平安をあたえたまえ」という祈りに合った、まことにチャーミングでプッチーニらしい終わり方だと感じます。
この録音当時(1983年3月)、カレーラスはまだ36歳、プライは53歳です。ほんとに堂々たる声、表現力で、若いプッチーニの劇的な音楽を歌っています。アンブロージアン合唱団による合唱、フィルハーモニア管弦楽団による演奏も素晴らしいです。
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LPは、エラートの REL-8348、1984年にRVCから2,800円で発売されたものです。録音は1983年3月にロンドンのオール・セインツ教会で収録されたもの。演奏者は、ホセ・カレーラス(Ten.)とヘルマン・プライ(Bar.)、クラウディオ・シモーネ指揮フィルハーモニア管弦楽団、アンブロージアン合唱団。
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LPジャケット裏面の金沢正剛氏の解説によれば、ルッカの町の音楽家の家系に生まれた「五代目の跡取り」プッチーニが、若くして父を失い、母親の期待を一身に受けてルッカ音楽院で音楽の基礎をたたき込まれた後に、近所の教会オルガニストとして頭角を現していた頃に書かれたのがきっかけで、ルッカの音楽院の卒業課題として完成されたものだそうです。この曲が評判になり、金持ちの叔父の援助を受けてミラノの音楽院に進むようになりますが、彼自身はオペラのほうに方向を定め、この曲は「若気の罪」であるとして出版も演奏も禁止し、封印してしまいます。
こうして忘れられた音楽を、1951年に米国の神父がプッチーニの伝記を書くために資料集めにイタリアに渡った際に、ルッカの音楽院の書庫の中からこの曲の楽譜を発見、この年の内に勝手に出版してしまったそうです。「グロリア・ミサ」とは神父が勝手につけた名前で、もともとの曲名は「管弦楽を伴う四声部のミサ曲」というものなのだとか。プッチーニ死後50年になる1974年に、遺族の同意のもとに原典版が出版され、演奏も許可されるようになったのだそうで、このあたりは著作権法関連の国際条約の50年規定あたりが影響したのかもしれません。
このミサ曲は、次の五つの曲から成っています。LPでは、A面に「キリエ」と「グローリア」を、B面に残りの3曲を収録しています。
- キリエ
- グローリア
- クレード
- サンクトゥス
- アニュス・デイ
たしかに、宗教的と言うよりはむしろ劇的な音楽で、後年の歌劇の作曲家プッチーニらしいもので、「キリエ」の主題は初期のオペラ「エドガー」に転用され、さらに「アニュス・デイ」の主題を歌劇「マノン・レスコー」に転用しているとのことです。残念ながら、当方はいずれの歌劇とも未だ視聴の機会がありません。LPのジャケット・解説とも、曲ごとのタイム表示はありませんが、時間的には「グローリア」と「クレード」の比率が大きいものとなっているようです。とくに、「グローリア」におけるカレーラスの歌は、敬虔な宗教曲というよりは、まるでオペラ・アリアのような立派なもので、東洋の島国の素人音楽愛好家にはたいへん好ましい(^o^)/
また、「アニュス・デイ」における美しい男声二重唱と合唱の掛け合いのうちに静かに終わるところなどは、「われらに平安をあたえたまえ」という祈りに合った、まことにチャーミングでプッチーニらしい終わり方だと感じます。
この録音当時(1983年3月)、カレーラスはまだ36歳、プライは53歳です。ほんとに堂々たる声、表現力で、若いプッチーニの劇的な音楽を歌っています。アンブロージアン合唱団による合唱、フィルハーモニア管弦楽団による演奏も素晴らしいです。