電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

大江健三郎『ゆるやかな絆』を読む

2020年11月29日 06時01分08秒 | 読書
図書館から借りてきた本で、大江健三郎著『ゆるやかな絆』を読みました。著者は、ノーベル文学賞を受賞した著名な作家であると同時に、知的障碍を持って生まれてきた息子の父親でもあるわけで、本書は奥様が挿絵を描き、表紙もまた母親が子どもにお話を読んできかせる情景を描いたものとなっています。私の場合、祖母が緑内障のため30代で中途失明しており、祖父は妻を支えながら長年ずっと生活していましたので、障碍者との共生といってもとりたてて新しいテーマとは感じません。むしろ、「後期のスタイル」というテーマのほうが興味深いものがありました。

芸術家たちに生産的な出発時の若わかしいスタイルがあるように、かれらの晩年にはやはり独自の「後期のスタイル」があって、芸術家はそれをつうじてのみ、かれの生涯に積み重ねられた死生観や次の世代への祈念を語りうるのではないか?(p.57「後期のスタイル」より)
もう一つ、作家とその時代の関係にまつわるものですが、とても大切で面白い問題があります。芸術家でありながら、時代に帰属しないことは可能か、という問題です。無意識に私たちは時代精神につながっていると信じ込んでいる、自分は今の人だ、と思っていますが、後期のスタイルの問題は、今を超越して考えたらどうなるかを問いかけてくる。(p.57〜58「後期のスタイル」より)

ベートーヴェンについては、晩年の作品の大きさ、深さは理解するけれども、若いベートーヴェンの魅力もまた感じるところで、年齢を重ねることで得るものと失うものと、両方を大切なものと感じながら、例えばこのような言葉をノートに書き抜いてみるのです。

ただ、共感とともに幾分かの疑問も感じる面があります。例えば、障碍を持つ息子を死んでほしいとは思わないだろうということ。それは、失明した妻を支えて生きた祖父の教えに明らかに反します。祖父の教えとは、誰にでも生きる役割があるのであり、祖母の役割はお前たちに「生きる勇気」を教えることだ、というのでした。無名の百姓の老人が、長年ずっと考え抜いたことだったのでしょう。



著者は1935年生まれですから、現在は85歳か。私の学生時代にはすでに著名人であり、様々な著作を通じて大きな影響力を持つ作家でもありました。先年、亡くなった叔父(*1,2)が某出版社の文芸編集部で文学全集の編集に携わっていたそうですが、氏に月報の原稿を依頼し、完成後にご本人に持参した際、自筆原稿を記念にもらいたいと願ったところ快諾していただいたのだそうです。署名入りの手書きの原稿をずっと大切に保管しておりました。太字の万年筆で書かれた独特の文字を、興味深く眺めたものでした。また、『ブリキの太鼓』を世界文学全集に初収録し完結した記念だか何かで、著者ギュンター・グラス氏を日本に招聘した際に、岩波書店と共同で大江健三郎氏との対談と懇親会をセットしたのだそうで、ともにノーベル文学賞を受賞したお二人が宴席についているスナップを見せてもらったこともありました。今年は叔母さんも亡くなり、そんな昔の話を聞くこともできなくなりました。

(*1):叔父の訃報を機にペリカン万年筆を再び使い始める〜「電網郊外散歩道」2015年7月
(*2):叔父の遺品のモンブラン〜「電網郊外散歩道」2015年7月

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