電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

あちこちで市街地にも野生動物が出没している意味

2024年12月22日 06時00分06秒 | Weblog

最近、あちこちの市街地で野生動物が出没しているようです。ニュースでは、秋田県のスーパーにクマが居座ったり、小学校でクマがうろついていたり、「えっ、こんなところまで!」と思うような場所でも目撃されていますし、当地でも近隣の市町で野生のクマが目撃されており、少し前には早朝にイノシシの目撃情報がありました。私の若い頃、今から50年ほど前には、山間部で野生のクマが目撃されることはありましたが、これほど頻繁に市街地に姿を現し居座ることは聞いたことがありません。明らかに個体数は増えており、必ずしもこれまでの経験則があてはまらない事態が生じているようです。

これまでの経験則というのは、クマは人間を恐れるので、熊よけの鈴など音の出るものを身につけていればクマのほうが逃げてくれるというものです。山菜採りやきのこ狩りなども、そうした安心感があって楽しめるものでした。またブナの実の豊凶でクマのエサが左右され、凶作の年にはエサを求めて里に降りてくるとも説明されていました。今年はブナの実が豊作だから本来ならばクマは里に降りてこないはずだったのです。ところが現実は、どうもそういうものではなさそうです。

クマだけでなく、野生のイノシシが山麓の田畑を荒らし、サルの群れが果樹園を襲うと、農家の自衛手段ではとても対抗できません。これまで山里を守ってきた農家が高齢を理由に離農する理由の一つに、こうした野生動物に適切に対処できない現実があるのだろうと思います。

昔は、里にクマが出て作物を荒らしたとなれば、人的な被害が出る前に対処するべく、大勢の村の人たちがほら貝や鍋、釜、太鼓等を鳴らし、大騒ぎをすることで一定の方向にクマを追い込んでいき、猟銃を持つ人たちが待ち構えてクマを退治するというやり方が取られていたようです。仮にクマを逃したとしても、大勢の人間の怖さをしったクマは里を荒らしにこなくなる、という学習効果がありました。

ところが、今はこうした方法は取れません。山里には若者や壮年の人がごく少なく高齢者が中心ですし、現在の法体系や判例は野生動物の保護の面が強調されすぎて、個体数が増えすぎて被害を生じていてもお役所は適切に対応できない。被害を受けた山麓の住民が泣き寝入りするしかない、というのが現実でしょう。少しずつ、少しずつ、野生動物に対する山里のバリアが弱体化していき、ついに市街地が野生動物の活動エリアに入ってきたということだと思います。大勢の人間の怖さを知らないので、一人や二人の人間なら怖くない、むしろ弱っちい格下の生き物だ、と認識しているのかもしれません。

都市部にも河川が流れ、河川敷を通れば鉄道や道路をやり過ごして移動することができ、ちょっとした耕作放棄地や荒れたヤブがあれば身を潜めることができます。市街地のかなり奥の方、「えっ、こんなところまで」と驚くようなところに、野生動物は到達できるのです。以前の勤務地の近くに現れたツキノワグマは、飲食店の残渣をあさりにきていたと聞きました。今まではキジやタヌキや野ウサギ程度だったわが家の果樹園でも、これから、早朝・夕方など野生動物の活動時間帯には痴漢や変質者の出没を警戒するのと同様に、イノシシやクマなどと出くわすこともありうると考えておく必要が出てきたのかもしれません。

 

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