電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

ブルックナー「交響曲第2番」を聴く

2022年10月17日 06時00分34秒 | -オーケストラ
私がブルックナーの音楽に目覚めたのは比較的遅く、LPの新譜と一緒にCDも発売され始めた頃のことでした。昔、まだ若い頃には、NHK-FMのラジオ放送の音ではブルックナーの魅力を感じるには至らず、高価なLP2枚組の正規盤を購入するには懐具合が寂しいという具合でしたので、ブロムシュテット指揮ドレスデン・シュターツカペレのDENON盤が2枚組LPが5,000円なのにCDは1枚で3,800円でひっくり返す手間も不要という情けない理由で購入したのでした。ところがこれが大当たり! LPをひっくり返す手間もいらず、迫力ある金管楽器群、なめらかな弦楽器の音色、そして全休止は全くの静寂。この演奏・録音にすっかりほれ込んでしまい(*1)、ブルックナーの音楽に注目し始めました。そして、ジョージ・セルの正規盤でCD2枚組の「第8番」を購入したのは、その少し後だったと記憶しています。大きな伽藍を見上げるような音楽(*2)。定年退職前、現役時代の激務の頃、音楽に飢餓状態になるとこのCDを聴いて空白を満たしたように記憶しています。
その後、山形交響楽団の定期会員となり、飯森範親さんが音楽監督としてブルックナーを取り上げるようになって、ナマのブルックナーに接する機会が増えました。また、飯森+山響のコンビでブルックナーのCDが発表されると、すぐに購入して繰り返し聴いてきました。と同時に、ブルックナーの交響曲にはいわゆる「版」の問題というのがある、ということを実感するようになりました。

作曲家ブルックナーは、どうも周囲の人にいろいろ言われると、自分の作品を何度も改訂するようなのです。押しも押されぬ大家として有名になるとそうでもないのでしょうが、改訂のたびに第1稿、第2稿さらには第3稿と、さまざまなバージョンが出来てしまい、特に初期作品にその傾向が著しいようです。しかも、それに輪をかけているのが、20世紀に国際ブルックナー協会で彼の全集の編纂の中心となっていたローベルト・ハースが、異なる稿を折衷する主観的な編集姿勢を批判されたり戦前にナチス党員であった過去を問われたりして退き、学究的なレオポルト・ノヴァークに交代して新全集が編纂されることになり、いわゆるハース版とノヴァーク版ができます。加えて、ハース版はパート譜など楽譜の入手が容易だけれど、ノヴァーク版は国際ブルックナー協会からレンタルしなければいけないため、その経費の負担の問題もあるなど、どうも一筋縄ではいかないようなのです。さらに、ノヴァークの引退・死去後、キャラガンなどが引き継ぎ校訂を行っていますが、これによりさらに版が増えているようなのです。

改宗したユダヤ人であり第二次大戦でヨーロッパを追われたジョージ・セルが徹底したナチス嫌いで、ハース版でなくノヴァーク版を採用して演奏する理由はなんとなく理解できますが、そうなると音楽の演奏に思想信条の要素が入ってくるようで、素人音楽愛好家にはちょいと荷が重い(^o^)/
「交響曲第2番」は、この「版の問題」が顕著な作品のようで、理系の石頭には調べて理解するのに骨が折れました。とにかく知ったかぶりをしてもしょうがないし、「かくあるべし」などと制約を課して聴くのもどうかと思うし、今はただあまり身近でなかった曲を親密に聴くことができることを喜ぶべきでしょう。

で、今回のCD、飯森範親指揮、山形交響楽団による「交響曲第2番ハ短調」は、1877年第2稿、キャラガン校訂版による演奏とのことです。2016年3月12日、酒田市の「希望ホール」での庄内定期演奏会でのライブ録音、先に送付された山響定期会員向けの特典CDです。いや、これが何度も繰り返し聴くほどに実にいい曲、いい演奏で、聴き応えがありました。第1楽章:モデラート、第2楽章:アンダンテ、荘重に、やや運動的に。第3楽章:スケルツォ、適度に速く、第4楽章』フィナーレ、より速く。速度等の指示はハース版とは違っており、ノヴァーク版に準拠しながらキャラガンさんが近年の研究をもとに細部を校訂した版ということでしょうか。冒頭の弦のサワサワしたトレモロからチェロが主題を奏でるブルックナーらしい始まりや、緩徐楽章の弦楽の美しさ、スケルツォの活力、終楽章の晴れ晴れとした終わり方など、実に魅力的な演奏になっています。

楽器編成は、Fl(2),Ob(2),Cl(2),Fg(2),Hrn(4),Tp(2),Tb(3),Timp. と弦楽5部,の二管編成。ブルックナーというと、後年の第8番のように大編成の圧倒的な迫力の凄さも感じますが、巨大なパイプオルガンの圧倒的な響きの威力はよくわかるけれど、あまり大きくない普通のパイプオルガンの魅力や、あるいは教会で聴くチャーチ・オルガンの響きに敬虔な祈りの気持ちに導かれることは何度も経験しています。四管編成の大オーケストラによる晩年の作品も素晴らしいけれど、二管編成の小さなオーケストラで演奏される初期ブルックナーの音楽も、同様に魅力的だと思います。しばしば現れる全休止に、音楽全体が振り返るように立ち止まり、そして再び歩み始めるような曲。オルガンのような響きもそうですが、どこか教会の音楽のような印象を受ける曲です。

(*1): ブルックナー「交響曲第7番」を聴く〜「電網郊外散歩道」2006年6月
(*2): ブルックナー「交響曲第8番」を聴く〜「電網郊外散歩道」2007年2月


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2 コメント

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Unknown (sankichi1689)
2022-10-17 18:23:00
narkejpさん、こんばんは。
版の改訂に係るハースやノヴァークのことを分かりやすく記事にしていただき、ありがとうございます!

そして、おっしゃるとおり、巨大なイメージのブルックナーですが初期のシンフォニーは2管編成ですよね。山響さんの澄んだサウンドは、2番の第2楽章では特に素敵なのではと想像しておりました。
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sankichi1689 さん、 (narkejp)
2022-10-17 20:06:12
コメントありがとうございます。ブルックナーの版の問題、できるだけ避けて通るつもりでいたのですが、この第2番では避けて通れないようでしたので、だいぶ苦労して調べてようやく理解しました。最近は、特に若手指揮者の中で、この1877年第2稿キャラガン校訂版による演奏が増えているのだそうです。
おっしゃるように、山響の澄んだサウンドで演奏される第2楽章は、実に良いものでした。PCに取り込んで聴き、通勤の車の中でCDで聴き、何度も繰り返して聴くうちに、この曲の魅力が感じられるようになりました。なかなかいい曲ですね。
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