電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

サーバ依存型サービスとユーザーの自衛法

2009年03月15日 07時19分29秒 | コンピュータ
コンピュータ利用の形として、昔は、計算機センターに設置された大型コンピュータを、利用者がコンソールを通じて操作し、結果を得たものでした。この時代は、端末はあくまでも入力用であり、端末にデータを保存することはできませんでした。また、大型コンピュータは共同利用でしたので、利用者の都合にあわせてはくれません。したがって、頻繁に利用する人は、他人が寝ている深夜に予約を入れるような生活になりがちでした。昼夜逆転の計算機屋のイメージは、こんなところから生まれたのでしょう。

そんな不便に我慢できない人たちが、自分だけが占有して使える MyComputer を熱望し、初期のパーソナル・コンピュータの興隆期となったのだろうと思います。磁気ディスク技術の進歩と相俟って、自分のデータをFDやHDに保存することができ、データを自分自身の責任で管理できる点でも、満足できるものでした。

ところが、スタンドアロンのコンピュータというのは、なにかと不便です。孤立したコンピュータの中では、せっかくのデジタルデータの特徴である流動性を生かすことができません。当時の大型コンピュータの専門家からはおもちゃのような代物だと笑われながら、パーソナル・コンピュータをネットワークでつないで使用したいという要望が強まり、パソコンの分野でも、LAN 技術が発展していきます。このときも、基本は自分のコンピュータにデータを保存し、ネットワークを通じて必要なものだけを通信するようなやり方が中心でした。

さらにインターネット時代になると、サーバ側がサービスを提供し、データもサーバに置くことで、自室以外の、あるいは自分のパソコン以外のコンピュータからも自分のデータにアクセスすることが容易になりました。Weblogなどは、その代表的なものかと思います。

ローカルに(自分のコンピュータに)データを保存している場合、機械がクラッシュしない限り、データのコントロールは自分自身で行うことができます。ところが、サーバ依存型サービスの場合、サーバ側の事情や都合が優先され、結果的に利用者はこれに従わなければなりません。先頃、ハードディスクに障害が発生し、一ヶ月以上も更新不能に陥っている Doblog のように、サーバ側の安定運用ができなくなった時点で、すべてのデータはユーザーのコントロールから離れてしまいます。システム的なバックアップの頻度も、サーバー依存型サービスは、本質的に「あなたまかせ」の信頼の上に成り立っているものだと言えます。

ごく初期からのパーソナル・コンピュータ・ユーザとして、何度もデータ消失を経験したために、私は「自分のデータが手元にあり、自分でコントロールできる」ということを最重要視します。ファイル形式としてテキストファイルを重視するのも、自分のデータのコントローラビリティが、様々なシステムやサービスを判断する上での基準だからです。

当初の意図をこえて、足かけ五年も続いてしまっている当「電網郊外散歩道」が、もしサーバ側の都合でコントロール不能になったとしたら? Doblog における「クラシック音楽のひとりごと」主宰者である mozart1889 さんの挫折感は、察するにあまりあります。ブログとは、本質的にサーバ側に依存するサービス形態であると考えるならば、いくら考えたくない事態であっても、やはり想定しておく必要があります。当方は、月末に HTML 形式で保存する形でバックアップを取っております。つい先頃も、二月分の記事を保存したばかりですが、もし障害等により一ヶ月分がまるまる失われたら果たしてどうだろうかと考えると、決して充分な対策とは言えません。では、どんな対策がありうるのか?

これは、やはりローカルに(自分のコンピュータ内に)テキストファイルで記事データを作成し、それをブログ・サービスに投稿する、という形がもっとも良いのではないかと思われます。たとえブログがふっ飛んでも、例えば「2009電網郊外散歩道.txt」などという形で、元記事がテキストファイルで残っていれば、再びブログと言う形を取るかどうかは別として、再構成・再利用は可能です。もしかすると、ブログを本にするサービスと言うのは、個人レベルでは究極のバックアップなのかもしれません。

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6 コメント

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Doblog における「クラシック音楽のひとりごと」の苦悩 (林 侘助。)
2009-03-15 19:16:29
その通りですね。ワタシが頑固にブログではなく、サイトにこだわっている理由もそこにあります。ここ数年順調だが、借りているサーバーが不安定になって数回移転を繰り返しておりました。

それもすべて自分のデータは(バックアップも含め)自分でデータを保存しているという前提となります。

詳細なるネタ帖、感服いたしました。お仕事、私生活も含めて几帳面なのですね。ワタシと大違いだ。
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林 侘助。さん、 (narkejp)
2009-03-15 22:03:51
コメントありがとうございます。データのコントローラビリティ、歴史的に見ても本質的な問題だということがわかります。単純に、これからは(orもう)ウェブの時代だ、とは言い切れない面がありますね。
ネタ帳の件、当方はメモ・記録魔であります。高校生の頃に、岩波新書で梅棹忠夫氏の『知的生産の技術』に紹介されていた、ダ・ヴィンチの「発見の手帳」の真似をし始めたのが大きいのかもしれません。学生時代も、理系の実験屋は、几帳面でないとつとまりませんでしたし(^o^)/
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Doblogの長すぎるトラブル (crest)
2009-03-16 21:04:43
こんばんは。Doblogのトラブルで、仰ることがよく分かります。時々、思い出したようにバックアップを取りますが、それほど深刻に考えてもいませんでした。
それにしてもDoblogのトラブルが長すぎますね。
一体、いつになったら復旧するのでようか?
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crest さん、 (narkejp)
2009-03-16 21:18:09
コメントありがとうございます。Doblogの中の人たちは、人手でできるところは一生懸命にやっているのだと思いますが、なにせ数千人の日々の作業の半年分を復旧するというのは、言うは易く行うは難しの典型例のようなものでしょう。大変なことだと思います。だからこそ運営側でのシステムとしてのバックアップの必要性があるわけですが、さて、ほぼ完全に近い復旧というのは可能なのでしょうか。データのバックアップツールがユーザーには提供されているようですが、たぶんテキストファイルが救出できるだけでしょうね。それでも、全文全滅よりはまだましかもしれません。
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考えさせられます (stonez)
2009-05-05 13:53:59
こんにちは。今頃のコメント、お許しください。
今回のDoblogの件は「クラシック音楽のひとりごと」が楽しめなくなっただけにとどまらず、私たちへの問題提起にもなりましたね。

コンピュータ利用の経緯、興味深く拝見しました。とにかく、まずはバックアップという形での自衛から、ですね。
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stonez さん、 (narkejp)
2009-05-05 19:39:46
コメントありがとうございます。今回のDoblogの障害は、サーバー依存型サービスの問題点を、実によく見える形で示した点に、意味があると思います。中の人は、サービス停止を承知で作業していたのでしょうから、心理的にも大変だっただろうと思います。マーフィーの法則「起こる可能性のあることは、起こる」ということを実感させられますね。「システムを信じすぎるなかれ、その先には他人がいる」。やはり、転ばぬ先のバックアップ、ですね。
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