電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

上山市の楢下の宿を訪ねる

2005年10月17日 19時29分45秒 | 散歩外出ドライブ
月曜休日となった一日、羽州街道の古い宿場町、楢下(ならげ)の宿を訪ねた。現在の上山(かみのやま)市楢下である。目的は、めがね橋の撮影とそばを食べること。国道13号線を山形市から南に進み、「菖蒲」方面の道路標識にそって東に折れる。途中、宮生で分かれ道があるが、263号をそのまま直進し、原口そば屋の看板を見ながら通り過ぎて、上山東小学校の交差点を右(南)に折れると、じきに県道13号を越えて川向こうの楢下の宿へ下る。
平日の楢下の宿は静かで、柿がたくさんなっており、新町のめがね橋(新橋)から少し上流の覗橋にいたる歩道には栗が落ちていた。
車で来た道を戻り、原口蕎麦屋に行く。写真のように、民家をそのまま利用した手打ちのそば屋で、20年ぶりに訪れたが相変わらずコシがありたいへんうまい。昼時を少し過ぎて行ったので、空腹だったせいもあろうが、大いに満足した。むきそばを土産に買い、帰路についた。
こうした目的がある場合、「Googleローカル」はたいへん便利だ。Googleの"more"メニューから「ローカル」を選び、キーワード「そば屋」、場所「上山市」で検索すると、一発で探せるうえに地図まで表示される。電網郊外散歩道の探訪のためにあるような機能だ。さすが Google だ。
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WEBやブログ記事と著作権に関わるマナー

2005年10月16日 18時04分51秒 | ブログ運営
WEBやブログが普及して、それまで思いもしなかったような問題に直面することがある。たとえば、記事や画像に関わる著作権やマナーの問題もその一つだ。
「物語案内」のサイト(*)では、当初、取り上げた本の表紙やカバー写真などを載せる計画だった。しかし、表紙やカバー写真等の著作権の扱いが出版社によりまちまちであることを知り、断念した。画像には、「引用」という概念は存在しない。残念だったが、逆に何種類もの翻訳や縮訳などがある古典的名作などでは、特定の一冊にとらわれず、自由に説明することができるという長所もあった。また、本文の一部をそっくり引き写して終わることも、「引用」の範疇を逸脱することになる。そこで、物語を解説した短い文章も、全部自分で読み、自分で考えて掲載している。
本ブログにおいては、LPレコードやCDなどは、ジャケット等をそのまま複製し掲載することはしない方針を取っている。ジャケットは再販時に変更されることも多く、必ずしもその録音をイメージできるとは限らないからだ。画像を掲載するときは、必ず関連するものと組み合わせ、意図的に美的な要素を持ったオブジェとして写真撮影し、加工して取り扱うことにしている。
著作権は守られる必要がある。また、著作権に関するマナーも大切にされる必要があると思う。と同時に、著作権保護に名を借りた振り込め詐欺まがいの行為は許されないとも思う。著作権に関して、権利者の意見を尊重することは必要だが、何の権利も関わりもない者が、権利者の代行をしていると称して金銭や不当な要求をしたりすることは、社会的に許されるべきではないと思うが、いかがなものだろうか。
また、著作権法上の権利がすでに消滅している場合は、公共の財産として扱われることになる。すでに公共の財産となった著作物をどう生かしていくかもまた、私たちの大切な課題だといえるのではないか。
(*): 「物語案内」における著作権の考え方
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高校文化祭における銀鏡反応の爆発事故について

2005年10月16日 12時20分24秒 | Weblog
さる10月1日、千葉県柏市の芝浦工大付属柏高等学校の文化祭において、銀鏡反応のデモンストレーション実験中に爆発事故がおこり、父親と一緒に参加していた小学校六年生の男児と同校生徒の2名の目に試薬が入り、水洗し病院に運び手当を受けたたものの、男児は角膜の一部に薬傷をうけているとのこと(*1)だ。その後の経過は不明だが、被害にあった2名のすみやかな回復を祈りたい。

無色の水溶液からしだいに鏡ができる銀鏡反応の実験は、初めて見ると本当に感動する。その意味で、デモンストレーション効果のあがる実験だと思う。高校文化祭などで取り上げる意味もわかる。ただ、報道の中で、いくつか気になることがあった。

(1)銀化合物の価格はきわめて高い。材料の硝酸銀は、試薬びん1本で1万円近くするはずだ。高校の文化祭で大量に使うには高価すぎる。おそらく、この高校が文部科学省の指定を受け、スーパーサイエンスハイスクール(*2)として全国数十校程度の高校に7億円の予算が投下され、ふんだんに予算を使える(使わなければならない)、きわめて特殊な環境にあったことが背景にあるためであろう。
(2)高校の化学の教科書にあるような試験管程度の実験ならば、水酸化ナトリウムを加える必要はなく、硝酸銀とアンモニア水だけでよいはずだ。この方法なら、廃液の処理(酸性貯留)さえきちんとすれば、安全性は高い。しかし、平面ガラスや大型のビンの内部など一定の広さにむらなく鏡を作るには、水酸化ナトリウムを同時に用いる処方が書いてある本が多い。
(3)水酸化ナトリウムや水酸化カリウムで強アルカリ性にした条件では、爆発性の銀窒化物(Ag3N)が生成しやすくなるという。たとえば、少々古い本だが『化学実験の安全指針』(日本化学会、初版)には、化学実験の事故例として「銀の窒素化合物」をあげ、「硝酸銀で黒くよごれたポリエチレンビーカーをきれいにしようとして、希硝酸、塩酸、王水、アンモニア水などで洗ってみたがきれいにならず、20%水酸化ナトリウムを入れて放置し(中略)これを動かそうとして爆発した」「銀のアンモニア錯塩を作るため、硝酸銀水溶液に水酸化ナトリウムを加えて酸化銀を沈殿させ、それからアンモニア水を加えて少し加温したら爆発」などの事例が載っている。しかしこれらの知識は、一般的な書籍には書いてない場合が多いのではないか。
(4)学校側も、25歳の女性教諭が指導し、作り置きしたアンモニア性硝酸銀溶液が爆発しやすい危険性は認識し警告していたようだ。また、生徒たちも3ヶ月も前から予備実験を行って準備を行っていたようだ。しかし、水酸化ナトリウムを加えたため「当日調製した」試薬が爆発するとは思わなかったのではないか。爆発を想定していなかったからこそ、防護めがねをするなどの対策をとっていなかったのだろう。
(5)では、文化祭の指導に関連して、安全性を確認するために若い指導者が情報収集するような時間的な余裕はあったのだろうか。たぶん、四つのグループの指導に追われ、予定通り準備をするだけで精一杯だったのではないか。

私の祖母は、緑内障で中途失明し全盲となったため、失明した人のつらさと悲しみ、生活の不便がよくわかる。目は、人間の体の中でもっとも弱い部分である。化学実験では、目を保護することがなにより大切なことだと思う。危険を想定し、対策を講じることは、知識がなくてはできない。危険性を予知するには、徹底した事前の調査しかない。化学に関わる者は、当座の知識だけですまそうとせず、謙虚な意識が必要だろうと思う。

(*1): 事故のニュース記事
(*2): スーパーサイエンスハイスクール指定校一覧
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平岩弓枝『御宿かわせみ20・お吉の茶碗』を読む

2005年10月16日 09時02分34秒 | -平岩弓技
夜の宴席のために、昨日はマイカー通勤ではなく電車を利用。休日、電車はあまり混雑せず、座って本を読めるのがありがたい。平岩弓枝著『御宿かわせみ20・お吉の茶碗』を読む。
第1話「花嫁の仇討」は、金目当てで仲人をする不誠実な医者に、なんとかして仇討ちをしようとする母娘の話。第2話は表題作「お吉の茶碗」、1箱いくらでまとめて売る骨董屋なんてあるのか、よく考えればわかりそうなものだが、まさか盗品売買だったとは。しかし、ネットオークションでだまされる現代の私たちも、あまりお吉を笑えないかも。第3話「池の端七軒町」は、息子が人にだまされて店を失った善良な祖母と勝気な孫娘が、喧嘩をしながらも二人そろって焼死してしまう、哀れな話だ。
第4話「汐浜の殺人」、塩谷のお内儀が長襦袢を誂えて「かわせみ」で誰かを待っていた。旦那がやってきて内儀は水死する。弟が横浜からやってきて、お内儀の死を知る。血のつながらない姉と弟、嫉妬する旦那の凶行、そして仇討ち。なんとも救いのない話だ。
第5話「春桃院門前」、双子のようにうり二つの娘が出会い、許婚が帰ってくると知って企んだ殺人。「二年ぶりに会って・・・あの人、あたしが変わったって・・・別の女のように見えるって」「変わりますよ、二人も人を殺しているんですから・・・」。自首したものの、牢内で喀血して息を引き取る。
第6話「さかい屋万助の犬」、子牛のような大型犬、狂犬病だったのですね。酔ってかまれた侍が娘を切り、自分も発病して死ぬ。だけど、切り殺されて犬が死んだことにされた娘は、かわいそうだよなぁ。
第7話「怪盗みずたがらし」、新たに雇われた女中だけが助かっている奇妙な偶然。るいの一言が、長助にはピンときた。源三郎の妻お千絵の実家に押し入ろうとした盗賊団の大捕物にようやく東吾も参加。第8話「夢殺人」、またも悪い娘とかわいそうな娘の対比。原因を作った父親が罪をかぶって悪い母娘を道連れに無理心中。春之助とお銀は幸福になれるか。

やれやれ。少々気が滅入る話が続く。途中にもう少しユーモアがほしい気がします、平岩弓枝さん。花世ちゃんの天真爛漫・無邪気な大活躍を期待いたします。
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昔のエアチェックテープでシューマンを聞く

2005年10月15日 21時12分08秒 | -室内楽
昔、エアチェックしたテープの中で、お気に入りが何本かある。その中の一つがシューマン「おとぎの絵本」作品113。テープ自体もごくありふれたノーマルテープで、もっといいテープにしておけばよかったと後になって思う。

シューマン「おとぎの絵本」は、1980年2月14日にエアチェックしたもので、ミルトン・トーマスのヴィオラ、神野明のピアノで、シューマンの世界を描いている。ヴァイオリンの華やかな音色とは違い、ヴィオラの音色は地味で、くすんでいる。けれども、聞きこむほどにヴィオラとピアノという組み合わせが、実に魅力的なものであることに気づく。演奏時間は14分16秒。テープからMDにダビングして、テープがだめになっても大丈夫なようにしてはいるが、この曲の良いCDに出会いたいと願っている。

このテープには、ルービンシュタインの「幻想小曲集」作品12をLPから録音して併録いる。こちらは1976年4月、ルービンシュタインの引退直前の録音。第1曲「夕べに」から第8曲「歌のおわり」まで、心に残る演奏を展開する。LP添付の解説によれば、すでに老人性白内障で楽譜が見えず、片耳の聴覚が衰えた状態だったそうで、おそらく自分の体で記憶した音楽だったろう。しかし、第2曲「飛翔」など、若さにまかせた力あふれる演奏もいいが、肩の力の抜けたお洒落な演奏もいいものだ。とても91歳の老人の音楽とは思えない。
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モーツァルト「ヴァイオリン協奏曲第3番」を聞く

2005年10月14日 21時00分11秒 | -協奏曲
全国的には週末の連休となるが、残念ながら明日の土曜日も勤務がある。しかも、夜は宴席があり、ここしばらく続けてきた連続投稿記録も危ういかもしれない。という具合に、秋の日の短さゆえか、感覚も思考も後ろ向きになりがちだ。こんなときは、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲が特効薬かも。とりわけ、第3番ト長調。第1楽章の冒頭、出だしの音楽を聞いただけで、何かいいことがありそうなワクワク感がある。

LPの時代から長く聞いてきたのは、アイザック・スターンとジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団の演奏する1961年1月の録音(CBS SONY 20AC-1577)。どちらかといえば粘着型のスターンの演奏だが、ここではゆったりしたテンポでスケールの大きな大柄の音楽を展開する。セル指揮するクリーヴランド管弦楽団の演奏も、大規模なオーケストラであるにもかかわらず、軽やかで精妙な身振りの体操選手を見るような圧倒的な見事さがある。この演奏は、カセットテープにダビングして、遠距離通勤の時代にも、カーステレオでよく聞いた。私が特に愛好するのは、第1楽章だ。

CDでよく聞くのは、ジャン=ジャック・カントロフのヴァイオリン独奏、レオポルト・ハーガー指揮オランダ室内管弦楽団による、1984年、アムステルダムのヴァールス教会におけるデジタル録音(DENON COCO-70454、写真右下)。こちらは、速めのテンポで颯爽とした演奏だ。録音もヴァイオリンの美音を見事にとらえているし、雰囲気もよく出ていると思う。

いつも、聞くたびに幸せな気分になる、不思議な音楽。演奏が良いとか悪いとか、そんなことを忘れてしまう音楽。聞いたあとに、「ああ、良い音楽を聞いた!」と満足感を覚える音楽。この曲について以前一度書いた記事が消滅して「へこんで」いたけれど、また書いてみたいと思わせる音楽だ。

両方とも、第5番「トルコ風」がカプリングされている。第5番のほうは、ピエール・アモイヤル(Vn)とアルミン・ジョルダン指揮ローザンヌ室内管弦楽団の演奏したCD(写真左下、ERATO CDMC-1048)もある。こちらも良い演奏だが、カプリングは第3番ではなくて第4番のほうだ。

■スターン(Vn)セル指揮クリーヴランド管
I=9'24" II=9'26" III=6'07" total=24'57"
■カントロフ(Vn)ハーガー指揮オランダ室内管
I=8'45" II=7'21" III=5'37" total=21'13"
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本のしおりについて

2005年10月13日 20時42分28秒 | 読書
読みかけている本の途中で来客や電話が鳴ったとき、昔はしおりひもをはさみ、本を閉じて席を立った。いまは、造本のプロセスが機械化・簡易化され、しおりひもを持つ古典的な造本の書籍は少なくなってしまった。文庫本でも同じだ。昔の文庫本は、活字が小さくぎっしりと文字がつまっていたが、電車の中で読みかけた本も、しおりひもで中断してポケットやかばんにしまうことができた。
今は、しおりの紙をはさむことが主流になっている。各社がそれぞれのデザインでしおりを作っている。文春文庫のしおりは、単色ずりで実用一点ばりの無愛想なデザインだ。講談社現代新書は、色地に単色刷りで両面印刷、ちょっとしゃれている。岩波新書のしおりは、造本や装丁などの知識をおり込み、色刷りで新鮮さがあったが、デザイン性や機能性で特別な存在というわけではない。
秀逸なのは新潮社のパンダのしおりだろう。カラフルで愛嬌があり、ちょっと首を出しておくと、よく目立つ。
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電話営業の後日談

2005年10月12日 21時04分37秒 | コンピュータ
8年前、自宅の電話はパソコン通信で占有している時間が長かった。そのため、老父の友人に「お宅の電話はいつも話し中だね」と叱られ、以後ISDNで2回線にして使っていた。おかげで不自由なく使えて便利だったが、インターネットの時代には64Kという回線速度は不向きであり、回線速度の向上を課題としてきた。
単身赴任時は、1.5MのADSLを契約し、便利さを実感した。したがって、自宅の回線速度の向上のために、いつかはADSL又は光にしなければならないだろうと考えていた。今までADSL化をさぼっていたのは、要するにISDN用のダイヤルアップルータを中心に組んだ自宅のLANの設定変更が面倒だったからであり、8月初旬にNTTのお嬢さんが熱心に電話営業で説明してくれて、担当の者が自宅まで説明に伺います、というから、もう一度LAN設定の変更をする決心をしていたところだった。
ところが、担当営業はお盆明けに電話をよこし、来訪時の連絡のためにメールアドレスを教えてくれという。NetscapeのWeb-Mailのアドレスを2度復唱して教えたのに、なしのつぶて。まったく、これだから電話営業はあてにならないと、月末だかに愚痴った記事を書いた記憶がある。
で、その担当営業氏から先日電話が来た。実に2ヶ月ぶりである。自宅を訪問したいという。「大人の対応」で、今日、御本人に来てもらった。
メールの件は、メールアドレスを聞き間違えて、不達メールになって戻ってきた、という。(普通、もう一度電話するよなぁ。こちらの電話番号知っているんだから。)
説明の内容は以下のとおり。

(1)自宅ADSL化見積書を持参。基本工事費1000円に交換機工事費3200円、ADSL+加入電話契約料1680円、消費税込みで6090円。
(2)住宅用アナログ回線(トーン)基本料金1610円、フレッツADSL(24M)マイラインプラス2475円、ADSLモデムとスプリッタのレンタル(540円)、計4625円。ただし、基本料金を除き3ヶ月無料。
(3)ADSLモデムはNEC製のATermと同タイプ。1ポートのみで複数台のPCを接続するときはハブをかませる必要がある。
(4)ADSLは公称24Mとなっているが、収容局からの距離がかなりあるので(田舎です^_^;)実質5Mくらいであろう。
(5)希望日に局内変更を実施するので、その前にプロバイダの会員種別変更(ISDN→ADSL24M)を済ませておく必要がある。

との説明を受けた。担当営業氏は、腰が落ち着かない性格のようで、一つ一つ確認していくようなタイプではない。いかにもメールアドレスを聞き間違えたり、肝心なことをうっかり忘れるような感じだ。説明内容はきちんとしており、悪い印象は受けなかったが、全てが口頭で行われ、書面にして残そうとしない。これがNTTの営業のスタイルなのだろう。誠実とは言いがたいが、当地では他に選択肢がない。
いずれにしろ、8年ぶりに回線種別を変更し、ADSLとすることにして、こちらの変更希望日を伝え、21日の15時頃に切り替えることになった。さて、どうなりますことやら。
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WindowsでFirefoxとThunderbirdを導入

2005年10月11日 21時57分24秒 | コンピュータ
ここGooブログの管理メニューに、先ごろ「RSSリーダーで読む」という項目が追加された。どんなのだろうと早速行ってみたが、Windowsで常用していたNetscape7.1では動作しなかった。ほかにもクラシカルな某さんの「随時休息。常時セル。」へのコメントができないなどいろいろ不都合もあり、Windowsでは長年使い慣れたNetscape7.1からFirefoxとThenderbirdに切り替えることにした次第。
さて、Firefoxをダウンロード(4.6MB)し、管理者権限でインストールした後、いつものユーザーでログインすると、デスクトップ上にアイコンができている。これを開くと、初回はやや時間がかかるものの、2回目以降の起動はNetscapeに比べてずいぶん速い。その上、ブックマークやポップアップ抑止設定など各種設定を全部自動で引き継いでくれる。これはありがたい。どうやら、IE+Outlookなども引き継いでくれるようで、役立つ人も多いだろう。セキュリティホールも、相対的に早く改善されるようで、ありがたい。
次に、メールソフトであるThunderbirdをダウンロード(6MB)。これも同様に、管理者権限で導入し、ユーザーで使えるように開くと、迷惑メール防止設定も自動的に引き継いでくれた。今までのNetscape7.1環境と全く同様に使うことができる。これで、ようやくWEB版GooRSSリーダーを利用できるようになった。当サイトも、ようやくRSSリーダーに登録を行った。
しばらくさぼっている内に、XML関係はずいぶん大きく変化したらしい。RSSも、最近ようやく意義を理解した。なるほど、こういうものなら便利さが増すだろう。と同時に、ますます似たような人とばかり付き合い、違う意見の人とはつきあわないようになるという懸念も増す。せめて、いろいろな世代の様々な感性を受け止められるように、活用していきたいものだ。

写真は、見事に咲いたイヌサフラン(*)の花。
(*): イヌサフランとはこんな花です。
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コメントもTBも適量があるのかもしれない

2005年10月10日 11時19分56秒 | ブログ運営
なんでも今年大流行したものの筆頭がブログだそうで、ランキングの上位に来るようなブログだと、3桁~4桁のコメントやTBが付くこともあるのだとか。
私のささやかなWeblogでさえ、「蝉しぐれ」関連では二桁のコメントやトラックバックをいただいた。ありがたい反面、休日でもなければとても丁寧な対応などできないこともわかった。ましてや、一つの記事で3桁や4桁のコメントやトラックバックが付くようなブログでは、いちいち読んで対応していたら生活が破壊されてしまうだろう。結局、芸能人のように、専属のスタッフを付けられるような立場でないと、こうしたブログは維持できないということだ。果たして本人の返答なのか、影のライター氏の文章なのかわからない。こういう状況は、楽しいんだろうか。それとも、仕事の一つになってしまうんだろうか。

それなりに時間をかけて書いた記事に、全然反応がないのもさびしいものだが、反応がありすぎるのも困る。コメントもトラックバックも、適量があるのだろう。トップページに「最新のコメント」や「最新のトラックバック」で全部表示できる程度に反応があるのが、どうやら一般人には上限のような気がする。

写真は、今年ずっと咲いてくれたサフィニアの花。秋が深まり、もう花も終わりだ。
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ヤナーチェク「シンフォニエッタ」を聞く

2005年10月10日 09時42分38秒 | -オーケストラ
昨日の披露宴の疲れもあり、今朝はゆっくり起きて、コーヒーをいれてヤナーチェクの「シンフォニエッタ」を聞く。この曲、出だしのファンファーレがたいへん印象的だ。
最初に聞いたのは、ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団によるドヴォルザークの交響曲第9番「新世界」に添付されたボーナスLPだった。「セル/クリーヴランド芸術の全て」と題されたこのレコードには、ずいぶん影響を受けた。その一つが、この曲を知ったことだろう。セル/クリーヴランド管の演奏は、「野蛮な」とまでは言わないまでも、炸裂するような威嚇的な表情を持ったファンファーレだ。多分、体育大会の幕開けなどには、こういう緊迫感を持った演奏がよく似合うだろうと思う。人をびっくりさせることのすきなセルがにやりと笑うさまが見えるようだ。

一方で、ヴァーツラフ・ノイマン指揮チェコフィルの演奏(デンオン COCO-70411)は、セル/クリーヴランド管と対比して、ずっと丸みのある響きで、自宅でゆっくりと聞くにはこころよいものだ。
曲は全5楽章からなる。
第1楽章、アレグロ、ファンファーレで開始される。こんな音楽的なファンファーレで始まる体育大会なら、芸能スポーツ分野にはとんと関心がない私も、見てみたい気がする。
第2楽章、アンダンテという指示はあるが、せわしない祭囃子を思わせる軽快な開始から、金管楽器が開放的に響く。
第3楽章、モデラート、美しい弦楽器群の中で、大型の金管楽器が重々しく響き、木管楽器が速いパッセージに妙技を見せ、合奏では輝かしい響きを堪能できる。
第4楽章、トランペットが軽やかにリズミカルに導く短い印象的な音楽。
第5楽章、アンダンテ・コン・モト、アレグレット。のどかな木管と対比されるザワザワいう表現が印象的。再びファンファーレが回帰して、盛大に盛り上がる。

ノイマン盤の平林直哉氏の解説によれば、ヤナーチェクはずいぶんエキセントリックなところのある人だったようだ。若い頃に、オルガン学校の校長の演奏を率直に批評して学校を追い出されそうになったとか、コンクールでヴァイオリン・ソナタを酷評され、審査委員長宛に激しい抗議文をたたきつけたとか、そのへんは芸術家としてある程度理解できるような気がするけれど、15歳の少女と結婚して2女が生まれたとき、男の子を希望していた彼は大きく落胆したとか。いくらなんでも、妻が2年間も実家に引きこもってしまうほど、男の子願望をあからさまにするのはヘンだろう。少なくとも、命がけで子どもを産む女性に対する成熟した大人の態度ではないと思う。
この曲についても、作曲当時61歳だったが、23歳の若い女性と親密な交際をしていて、公園でデートの途中にひらめいたのだとか。やっぱりヤナーチェクは、常識でははかれないヘンな人だ。だが、生まれた音楽は素晴らしい。美しい響きと活力に満ち、聞き終わった後にこころよい充実感が残る。本当に素晴らしい音楽だと思う。

たしか、ラファエル・クーベリックが指揮した「シンフォニエッタ」も、響きがよく整えられており、好きな演奏だったという記憶があるが、エアチェックしたテープはもうどこかへ行ってしまったようだ。

参考までに、演奏データを示す。
■ノイマン/チェコフィル盤
I=2'14" II=5'36" III=5'01" IV=2'55" V=7'07" total=22'43"
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親戚の結婚披露宴に出席する

2005年10月09日 20時21分24秒 | Weblog
今日は、午後から親戚の結婚披露宴に出席した。黒式服に白ネクタイ姿で公民館に行くと、バスが待っていた。近所の出席者が続々と乗り込み、会場へ。西洋の回廊式の庭園を持つしゃれた所で、伝統的な長持歌によって始まった。だが、現代風に媒酌人はなしで、二人の紹介も司会者がしてくれる。新郎は30代半ば、新婦も30代はじめ、二人とも落ち着いている。待ちに待ったよき日という雰囲気だ。祝辞のあと、乾杯。にぎやかになったところで、しばし丸テーブルの席を離れ、同級生や近所の人々にご機嫌伺いに回る。みなめでたく良かったと喜んでいる。新郎は子どもの頃に父親を亡くし、祖父母と母親の手で育てられた。近所の人も親戚も、みなそのへんの事情をこころえていて、心から祝ってくれている。新婦ははきはきした活発な人のようだ。田舎で暮らす基盤をすでに持っている、いいカップルだ。宴は進み、新郎新婦の挨拶。年齢相応に社会的な経験を積み、型どおりではあるが情感のこもった立派な挨拶だった。

だいぶアルコールが入ったので、家に戻って一休み。お茶がおいしい。こういうときは、モーツァルトでしょう。ギャラントな「フルートとハープのための協奏曲」。良い一日でした。
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ドヴォルザーク「弦楽四重奏曲第10番」を聞く

2005年10月09日 09時40分11秒 | -室内楽
ようやく連休に突入。早起きしてコーヒーをいれ、静かに音楽を聞く。ドヴォルザークの弦楽四重奏曲で、パノハ四重奏団の演奏する第10番変ホ長調作品51である。
第1楽章、変ホ長調、アレグロ・マ・ノン・トロッポ。第1ヴァイオリンがとにかくのびのびと美しく歌う音楽だ。
第2楽章、ト短調、アンダンテ・コン・モート。エレジーアというから悲歌か。佐川吉男氏の解説によると、ドゥムカはウクライナのバラード風の民謡形式だそうだが、あまり舞曲という印象は受けない。むしろ、中声部の響きの活躍に重点が置かれた楽章のように思える。
第3楽章、変ロ長調、アンダンテ・コン・モート。ロマンツァの表記のとおり、ゆったりとしたロマンティックで叙情的な音楽だ。
第4楽章、変ホ長調、アレグロ・アッサイ。メランコリーと活気を併せ持つ、美しいメロディにあふれた終曲だ。
演奏はパノハ四重奏団。解説によれば、この団体は「プラハの春」事件の前年にあたる1967年、第1ヴァイオリンのイジー・パノハら3人がプラハ音楽院の在学中に結成した弦楽トリオが発展したもので、結成はコチアン四重奏団よりも4年ほど古いが、メンバーの年齢としては5~6歳若いのだとか。スメタナ四重奏団の薫陶を受けた、柔らかな表現を見せるいい団体だと思う。
CDは、1985年6月に、Aufnahme Enregistrement で行われたもので、33C37-7910という型番を持つスプラフォン原盤のデジタル録音である。カプリングされた第13番も時折悲劇的な表情を示すなかなかいい曲で、ドヴォルザークの室内楽の楽しみを満喫できる。
参考までに、演奏データを示す。
■パノハ四重奏団
I=10'42" II=7'21" III=6'12" IV=7'05" total=31'22"
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平岩弓枝『御宿かわせみ19・かくれんぼ』を読む

2005年10月09日 07時36分00秒 | -平岩弓技
『御宿かわせみ』シリーズに、強力なキャラクターが新登場。その名は花世ちゃんです。この子、七重と宗太郎の娘で、誰に似たのか、とにかく天真爛漫でおてんば。
初回、第1話「マンドラゴラ(*)奇聞」こそ、宗太郎の独壇場だが、第2話「花世の冒険」はまさしく新強力キャラクターの登場である。宗太郎・七重夫婦に二人目が誕生、大騒ぎの中を花世が「かわせみ」まで単独行を敢行する。途中、子さらいの小屋に勝手にまぎれこみ、抜け出すときも勝手に出て、永代の元締・文吾兵衛に拾われ、「ひげもじゃもじゃ」の親分にすっかり気に入られる。源三郎と東吾が子さらいの一団を御用にして、一件落着。この元締も、なかなか面白いキャラクターで、このあと活躍しそうだ。
第3話「残月」、島帰りの女は、娘を見に来たのだった。再び八丈島に流されるとき、娘もまた母親の愛を感じて泣く。台風で飛行機が飛ばず、私は船で帰りましたが、八丈島はとってもいいところでしたけれどね。
第4話「かくれんぼ」。また花世の活躍、しかも今度は源三郎の長男の源太郎との絶妙の組合せで登場。これはまた、東吾とるいの男女を入れ換えて小さくしたようなコンビだ。しかも、かくれんぼをしていたら隠し部屋で殺人を目撃、どうやら西国の大名と幕閣の密書がからんでいるらしい。まさか小さい花世が「きれいだから持ち出した」とは思わないよなぁ。
第5話「薬研堀の猫」、水面に紐のついた猫の死骸が浮き上がる。あまりぞっとしないが、最後のるいのやきもちが解毒剤の役割を果たすのかも。第6話「江戸の節分」は、要するにネズミ講の被害者の話。第7話「福の湯」、入浴剤で有名な湯屋のお内儀さんは独身を通して来たが、もしかしたら自分もあんな人生を送れたのではないかと、ふと信濃屋の老夫婦がうらやましくなる。だが、穏やかな外見とは異なり、それぞれの人生の辛酸があったのですね。第8話「一ツ目弁財天の殺人」、鬼瓦の悪事をあばく話。
この巻は、とにかく無敵のスーパーキャラクター花世の登場に尽きますね。そうか、花世が可愛く活躍すればするほど、子どものいないるいは寂しくなる。平岩弓枝さんは、そこを狙ってるな。すると、お次はるいの妊娠とか流産とか、そんなような展開になるのか。

(*): マンドラゴラについて
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カーポートが完成

2005年10月08日 21時12分41秒 | Weblog
すでに10万kmを越え、更新の予定だった車をさしおいて、冬の降雪対策に依頼していたカーポートが完成した。老父の「軽トラックも入るようにしてくれ」という強い要望もあり、予定よりもだいぶ大きくなってしまった。おかげで、予算をはるかにオーバー。車の更新は来年以降に延期することになった。まぁ、リッターあたり18kmも走る状態なので、特に不都合はないのだが。
今日は早番の休日出勤だったので、家人にクッキーを買ってきた。焼きたてのようで、香ばしくおいしい。大学生の子どもが帰ってきて、終日ゴロゴロしている。いい話し相手になってきたようだ。先日、中国で調査をしてきたとかで、測定法の話をした。やはり蛙の子は蛙、かな。
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