電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

古楽器で聞くJ.S.バッハ「音楽の捧げもの」

2006年03月05日 12時10分01秒 | -室内楽
ヨハン・セバスチャン・バッハの「音楽の捧げもの」、ふだんはもっぱらパイヤール室内管弦楽団の演奏で聞いている。そこで、先週は古楽器の演奏で「音楽の捧げもの」を楽しんだ。
演奏は有田正広(フラウト・トラヴェルソ)、寺神戸亮(バロック・ヴァイオリン)、若松夏美(同、バロック・ヴィオラ)、中野哲也(ヴィオラ・ダ・ガンバ)、有田千代子(チェンバロ)らのピリオド楽器によるもので、1993年12月に東京の秋川キララホールにてデジタル録音されている。DENONのクレスト1000シリーズの中の1枚(COCO-70463)である。
「音楽の捧げもの」は、その表題に見られるような敬虔なわかりやすい音楽ではないように思う。どこか神秘的で、謎に満ちている。捧げられたフリードリヒ大王に媚びたような要素はあまりなさそうだ。だから、パイヤール室内管弦楽団の演奏では、現代の室内管弦楽団の音の傾向もあり、どこか抽象的で冷たい感じさえ受ける。
ところがこのCDでは、冒頭のチェンバロによる「3声のリチェルカーレ」から、とても活発な、いきいきとした印象を受ける。古楽器の音は森のフクロウが鳴くようなひなびた味があり、ホールの雰囲気のよく出た録音のせいもあって、とてもこころよいものだ。曲の配列などにはそれぞれ根拠に基づく主張があるのだろうし、私にはコメントできる力もないけれど、通勤の音楽として繰り返し聞いても飽きさせないものであることは間違いない。
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ひな人形はいつまで飾るか

2006年03月05日 11時44分11秒 | Weblog
先日、子どもの卒業式の帰りに、娘夫婦のところに立ち寄り、雛人形を飾ってある様子を見てきた。夫君は東北生まれではないので、雛人形をいつまでも飾っておくとお嫁にいけなくなると言われたそうだが、当地では三月初旬ではまだ雪の中、ひな祭りは旧暦で祝う家が多い。実際、河北町のひな祭り(*)は春休みのシーズンの三月から四月にかけて盛大に行われる。そういう環境で育った娘はいたってのんびりしたもので、雛人形もできるだけ長く飾っておきたいらしい。転勤族の狭い部屋でも飾れるようにと、スペース効率の良いものを選んだので、生活に邪魔になることはなさそうだし、孫のホニョリータも「おいた」をする年齢ではない。娘夫婦が相互に了解している限り、まだ当分の間お雛様は飾られることになるようだ。
(*):谷地(やち)ひな祭の紹介
河北町谷地は、最上紅花で栄えた町である。当時の富商が集めた時代雛を、旧家の座敷で見学することができる。ヴァイオリニストの堀米ゆず子さんも、実は河北町谷地の富豪・堀米家の一族であり、旧堀米家は、現在紅花資料館として一般公開されている。
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これはすごい~WikiPediaの「トゥーランドット」解説

2006年03月04日 20時37分30秒 | -オペラ・声楽
荒川選手の金メダル演技で使われたプッチーニの歌劇「トゥーランドット」、LDでおなじみの物語・音楽であるが、フリー百科事典"WikiPedia"に実に見事な解説(*)が掲載されている。
(*): WikiPedia「トゥーランドット」の解説内容
これによれば、「魔弾の射手」のウェーバーやブゾーニらもこのタイトルで作曲しているのだとか。プッチーニのこの一作で、それらの作品が見事に吹き飛んでしまったことになる。いやはや、芸術の世界も非情だなぁ。
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ディケンズ『デイヴィッド・コパーフィールド』(1)を読む

2006年03月04日 12時25分00秒 | -外国文学
飲み屋に忘れてきたり、いろいろと障害の多い物語の始まりだが、ようやく順調に読み進むことができた。

父が亡くなり、世間知らずな若い未亡人となった母は、主人公である幼いデヴィッドがヤーマスにあるペゴティの兄さんの船に行っている間に、ミスター・マードストンと再婚する。そして、我が家にミスター・マードストンの姉さんがやってくる。今まで母の役割だったものも、ミスター・マードストンの姉さんに実権が移ってしまい、家の中はすっかり変わってしまう。亡父の代からの家政婦であるペゴティだけが母の忠実な味方だ。
マードストン姉弟のたくらみでセーラム学園にやられたデヴィッドは、偽善的で暴力的なクリークル校長のもとで、学友トラドルズやスマートでニヒルなスティアフォースらとともに生活する中で、次第に成長する。冬休みに家に帰ると、母には子どもが生まれており、マードストン姉弟の支配の下では息抜きもできない。学園に戻るときに、馬車から振り返って見た母の姿が最後になってしまう。
セーラム学園に母と弟の訃報が届き、葬儀が行われる。ペゴティは解雇され、孤独の中で本だけが友だちとなってしまったデイヴィッドも学園には戻らず、ヤーマスのペゴティのお兄さんの船に行くことになる。エミリーはずっと可愛くなっていた。学園でスティアフォースが庇護してくれたことや、頭が切れてクリケットがうまくて度胸があって言い男で、と説明するあいだ、エミリーは興味深そうに目を輝かせて聞いていた。ペゴティは馬車引きのミスター・バーキスと結婚し、デヴィッドは再びエミリーと仲良くなる。
厄介者扱いしかしないマードストン姉弟のところから、ロンドンのミスター・クゥイニオンの会計事務室で働き、十歳にして自活することになる。そこで下宿したのが、見栄坊で借金だらけでもお気楽なミコーバー夫妻の家だった。ミスター・ミコーバーは借金のために収監され、嘆願書のおかげで釈放されるが、夫人の田舎に引っ込むことになる。そしてデイヴィッド・コパーフィールドは、マードストンの息のかかった環境を離れ、一人見知らぬベッツィ伯母さんのもとへ旅立つ。

デイヴィッドの母親は、世間知らずのお嬢さんが、そのまま家庭の主婦になったのだろう。善良だが男性を見る目はない。亡くなった夫の優しさしか知らずに、マードストンのような冷酷な男と再婚し、ついには早逝してしまう。この後に出てくる、デイヴィッドとドーラの結婚生活も、似たようなものだったように記憶しているが、さてどうだったろうか。ディケンズの描く女性像の一方の典型かもしれない。
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寒くて死ぬかと思った

2006年03月04日 10時08分56秒 | Weblog
昨日は花の金曜日、ちょいと酒席があり、だいぶ酔って電車で帰った。電車が発車する前に家内の携帯に電話したが、つながらないので留守電にメッセージを残す。「○時に駅に着く予定、迎え頼む」。電車の中では、もう世界がメリーゴーランド状態。意識がぐるぐる周りながら駅に到着して、もう一度電話したがつながらない。タクシーもつかまらないし、そのうち電話がつながるだろうと歩きだした。ちらほら雪も降るお天気の中、しばらくして耐えられないほどの寒さを感じる。いつも車には防寒着を積んでいるが、今日は普通のコートだけ。こりゃまずい、うっかり道に寝たりしたら凍死するぞ。
歩きながらもう一度電話するが、頼りの携帯電話がつながらない。体があたたまるように、早足で歩く。夏場ならたいした距離ではないのだが、家に着いたときには寒くて死ぬかと思った。
で、家内は?お医者さんにいただいた薬を飲んだら猛烈に眠くなり、爆睡中であったようです(^_^;)>poripori
携帯電話がつながることを前提にしての行動パターンが多くなって、こういう失敗も起こるようになった。携帯電話がつながらないときには、ちょっとの時間タクシーを待つべきであったと反省。
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プリントサーバを購入

2006年03月02日 21時41分26秒 | コンピュータ
帰り道、ちょっと量販店に立ち寄り、旧タイプのプリントサーバを発見。パラレルタイプのアンフェノール36ピンのコネクタを持った、BuffaloのLPV2-TX1というものだ。Windowsは95/98/Me/2000/XPに対応し、MacのほかUnixにも対応となっている。価格は6800円。ちょっと今日は設定している時間がないので、週末のお楽しみといったところだが、これで家中のどの端末からもモノクロレーザプリンタ、キャノンのLBP310が使えるようになる予定。

通勤の音楽、今日はバッハの「音楽の捧げもの」、有田正広、寺神戸亮、中野哲也、有田千代子らのピリオド楽器による演奏。1993年のDENONデジタル録音。パイヤール室内管弦楽団による録音とはまた一味違った演奏で、味わい深いものに感じられる。
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子どもの最後の卒業式

2006年03月01日 21時55分05秒 | Weblog
今日は、末っ子の高校の卒業式。たぶん、親として出席する卒業式はこれが最後だろう。あいにくの雪模様である。当人ははやばやと早い電車で登校したが、親の方は少しおくれて家を出た。途中、郵便局に寄り、各種手続きをする。大学の方も、第一志望がなんとか合格したので、本人は意気が上がっている。昨夜は卒業式の練習とかでだいぶ帰宅が遅くなり、さらに夜遅くまで答辞の練習をしていたようだった。内容は親には内緒らしく、まったくわからない。
卒業式が始まる。いい校歌だ。卒業証書授与のあと、校長の式辞と来賓祝辞。そして在校生代表の送辞と続く。いよいよ答辞が始まる。原稿を持たず、高校生活を回想し各方面に謝辞を述べ、後輩を励まし、卒業生仲間にまた元気で会おうと呼びかける。堂々たるものだ。親の知らない子どもの世界がここにある。いつまでも幼い子どもではない。私には、「父よ、母よ、」と息子が呼びかけてくる、独立宣言に聞こえた。
親馬鹿で子どもに内緒でビデオ撮影した映像を、昨日退院したばかりの祖母と、末っ子をことのほか可愛がった祖父に見せた。二人とも感無量のようだった。

妻よ、上の子から末っ子まで、長年の弁当作りご苦労さん。私達の子育ての山場はほぼ越えたように思うよ。
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