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電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

ウォーターマン「ロレア」を水洗いし待機させることに

2014年05月16日 06時03分23秒 | 手帳文具書斎
パーカーのブルーブラック・インクを入れて使っていたウォーターマン「ロレア」万年筆ですが、使用頻度が低く、しばしば乾いてしまうために、ついに水洗いして待機組に編入することとしました。これで、日常的に持ち歩いている万年筆の本数が一本減りました。

ブログ「Tiny Happy Days」(*)のアルマーニさんも、「なんちゃって一本主義」を宣言し、多数の万年筆を持ち歩くのではなく、「今月の一本」を使うようにした模様です。たしかに、実際問題として、万年筆を何本も持ち歩く必要はありません。青と黒のインクを一本ずつとか、細字と中字を一本ずつとかいうように、せいぜい二本の万年筆をペンケースに入れて持ち運んで不便を感じない期間がかなり長かったように、せいぜいその程度が、実用的に使える範囲なのだろうと思います。

これで、常時使用している万年筆は、次のようになりました。

(1) スーツの胸ポケットに挿しているもの(^o^;)>poripori
  プラチナ #3776ブルゴーニュ(F) 同社の古典ブルーブラック・インク
(2) ペンケースに入れ、カバンで運んでいるもの
  パイロット カスタム (M) 色彩雫「紺碧」
  パイロット カクノ (M) プラチナ古典ブルーブラック
  パイロット プレラ青軸 (M) 色彩雫「朝顔」
(ちなみに、万年筆以外でペンケースに入っているのは、ぺんてるの筆ペンと三菱のジェットストリーム・ピュアモルト・インサイドの多機能ペンです。)
(3) 自宅に置いているもの
  パイロット コクーン (M) 同社の黒インク デスク
  プラチナ Preppy (M) 同社の古典ブルーブラック 寝床のわき

ペリカン社のスーベレーンM400とウォーターマン「ロレア」の舶来組は、今のところ仲良くお休み中です。なお、プレラ透明軸(F) with「紺碧」は、青インクの細字が欲しいという妻にプレゼントしましたので、現在は手元を離れております。

(*):あゝ、あこがれの「1本主義」~「Tiny Happy Days」2014年4月6日
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岩波ジュニア新書『脳科学の教科書・こころ編』を読む(4)

2014年05月15日 06時03分57秒 | -ノンフィクション
岩波ジュニア新書で、『脳科学の教科書・こころ編』を読みました。若い人が抱く疑問「心とはどういうものか」に答えることを意図したものかと思いますが、最後の第5章は「脳の病気」を取り上げ、次のような構成となっています。

1. 脳の病気の分類
2. 神経疾患の脳科学
3. 精神疾患の脳科学

脳の病気は、あらゆる病気の中でも、社会に与える影響がもっとも大きいものの一つだと指摘します。たしかに、精神神経疾患、がん、心血管障害の三つが、社会に最も大きな影響を与える病気であり、日本では「がん、脳卒中、心筋梗塞、糖尿病、精神疾患」が五大疾患に数えられているとのことです。加えて、脳の病気から、逆に正常な脳のはたらきが理解できるようになる、という意味も大きいのでしょう。

ここで、神経疾患と精神疾患という分け方の基準に興味を持ちますが、これに関しては、

知覚運動系が障害されている場合は神経疾患で、高次脳機能が障害されている場合は精神疾患に区分する

と言えるし、あるいはまた

脳に原因が見つかっている場合は神経疾患で、原因が見つかっていない場合は精神疾患とされる

面もあるのだそうです。

神経疾患の中で多いのが脳梗塞やクモ膜下出血のような脳血管障害で、次に多いのが認知症だそうです。それから神経変性疾患が多く、アルツハイマー病はこの一種だとのこと。ほかにも脱髄性疾患や脊髄の疾患、抹消神経疾患、脳炎のような感染性疾患、てんかん、腫瘍、中毒など多くの疾患がある中で、ハンチントン病は原因遺伝子が発見され、DNAの塩基配列にCAGの顕著な繰り返しが見られることが特徴だそうです。CAG といえばグルタミン酸を指定する塩基配列ですが、グルタミン酸ばかりが繰り返される奇妙なたんぱく質が凝集し、細胞が死んでしまうために、運動のコントロールにかかわる大脳基底核が障害されて、異常な運動が出てしまうために、舞踏病という名前がつけられたのだそうです。こうした塩基配列の異常が、必ずしも誕生時からずっとあったわけではなく、ある時期になんらかの理由で生じてくるらしいです。細胞の分裂の際に遺伝子の複製が行われる時に、過剰にくりかえし複製が行われるのが理由らしい。ふーむ、昔、分子生物学を習ったときに金科玉条にたたきこまれた遺伝子の不変性は、どうやら認識を改めなければいけないようです。

そういえば、プリオン病は感染する病原体のような生命体ではなく、タンパク質の連鎖反応によって、感染型のタンパク質にふれると、正常なタンパク質の立体構造が変化して感染型になってしまう、という現象だと説明があります。てんかんの場合は、イオンチャンネルに関与するタンパク質の遺伝子に変異があり、神経細胞がなんらかのきっかけで電気的な興奮状態になると、脳全体が異常に同期してしまい、痙攣や発作のために、意識喪失が起こってしまう病気だとのこと。パーキンソン病の場合は、中脳黒質のドーパミン神経細胞が変性し、ドーパミンという神経伝達物質の濃度が減ってしまうのだそうです。その変性の原因は、レビー小体としてαシヌクレインというタンパク質が凝集することだそうで、このあたりはハンチントン病と似た面があります。さらに、アルツハイマー病は、アミロイドβとリン酸化されたタウというタンパク質の蓄積が特徴的であることが説明されており、テレビ番組の説明内容を補強するものです。

神経疾患は遺伝子レベルでの研究が進んでいるのに対して、精神疾患では必ずしもそうなってはいず、経験的なレベルでの向精神薬の研究が中心になっているようです。思春期に発症して、幻聴や妄想といった症状が目立つ状態から、しだいに感情鈍磨、思考貧困、自発性低下などの症状が進行する病気である統合失調症の場合、まずグルタミン酸の異常があり、これがドーパミンの異常を引き起こすという仮説が確立しているそうです。統合失調症の原因として、遺伝や環境要因、とくに周産期障害やインフルエンザ感染とそれに対する免疫反応の問題、染色体の一部の欠失や転座など様々なものがあげられていますが、これほど多様な要素は、原因とは言えないでしょう。むしろ、統合失調症という一種類の病気なのではなくて、自我意識を統合することを障害する多様な疾病群の総称なのではないかとさえ感じます。
自閉症の場合は「遺伝ではない遺伝子病」の要因をもち、これもまた、ハンチントン病のように、遺伝子の不変性という古い固定観念からは理解できないものの例でしょう。依存症の場合は、報酬系と呼ばれる神経回路を活性化することがわかっているとのことです。

うつ病の場合は、セロトニン欠乏だけでなく、ストレスによって神経細胞の突起が縮むことや神経新生を抑制されてしまうことがわかってきたそうです。ただし、縮むのは認知に関わる大脳皮質や海馬の場合であって、情動に関わる扁桃体の場合は逆に強まってしまうために、うつ病が引き起こされるのかもしれない、と本書では推測しています。
そのほか、強迫性神経障害やPTSD、双極性障害(躁うつ病)などの説明もありますが、このくらいにしましょう。



若い頃の職場の先輩は、中年以降にパーキンソン病に倒れ、中途で退職せざるをえなかったとか。アルツハイマー病は、周囲を巻き込み、隣近所にも波乱を引き起こすこともあります。多くの病気は、本人や家族、隣人たちにとっては深刻な苦悩の原因となる場合も少なくないことでしょう。病気そのものの苦悩に加えて、周囲の無理解に苦しむのであれば、まことに不幸なことです。誰にでも起こりうる、必ずしも本人の責任によらない病気であれば、周囲の理解と協力が当人の不幸を和らげることにつながるのかもしれず、そういう点からも、本章の客観的な記述は、たいへん有益でした。

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自分で購入する本と図書館から借りる本

2014年05月14日 06時04分43秒 | 読書
自分で購入する本ならば、いつでも手元に置いて読み返し、細部の曖昧さを確かめながら、例えばブログの記事にすることができます。これに対して、図書館で借りる本は、期限内に返さなければいけません。読み終えるのがやっとで、内容を反芻しながらブログの記事にまとめることができるのは、半分以下ではないかと感じます。

例えば、先日の『まほろ駅前多田便利軒』。とても面白かったのですが、期限内に読み終えるのに精一杯で、とうとう記事にはできませんでした。

結局、自分で買って読み返し、印象を整理して書くのが一番良く、次は図書館から借りる冊数をぐっと絞って、じっくり読み、考えて書く時間を確保することでしょうか。

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文翔館議場ホールで邢広京さんのチェロを聴く~ふれあいオアシスコンサート

2014年05月13日 06時01分20秒 | -室内楽
山響定期の翌日、家族に「また行くの」と呆れられながら、勤めの帰りに文翔館議場ホールに出かけました。本日は、「ふれあいオアシスコンサート」と題する、障害者支援、障碍を持つ子供の支援を目指して開催されているコンサートのようです。斉藤葉子さんを中心に、もうずいぶん前から開催されているらしく、すっかり定着した演奏会のようで、お客さんもずいぶん多く集まっているようでした。



本日のプログラムは、第1部が角田育代さんのヴァイオリンと斉藤葉子さんのピアノで、第2部が邢広京さんのチェロと斉藤葉子さんのピアノ、第3部が書と音楽のコラボレーションとなっています。

第1部は、次のような曲目です。

1. 愛のよろこび (マルティーニ)
2. カヴァティーナ (ラフ)
3. チャールダーシュ (モンティ)
4. マズレック (ドヴォルザーク)
5. ドゥジャーシュ (ヴィエニャフスキィ)
6. メロディー (バツェヴィッチ)

ソリストの角田さんは、濃いピンク~紫のドレスで、どうやら眼が不自由らしく、介添え者に手を取ってもらっての登場です。演奏は情熱的なもので、ヴィヴラートも大きく、少し音を探りながら奏するためか、ジプシー・ヴァイオリン風な印象を受けました。テンポのゆっくりしたところを、とくに楽しみました。

第2部は、次の曲目です。

1. ロマンス (チャイコフスキー)
2. 在銀色的月光下 (タタール民謡、邢広京・斉藤葉子 編曲)
3. 涙の泉 (アサフィエフ)
4. マズルカ (ムウィナルスキィ)
5. 浪漫曲 (劉庄)
6. ポロネーズ (ドヴォルザーク)

邢広京(Xíng Guăngjing,シン・グエンジンと読む?)さんは、いつも山響こと山形交響楽団の定期演奏会で拝見しておりますが、こういう形でソロを聴くのは初めてです。山響のウェブサイトから、プロフィールを引用すると、こんなふうです。

北京市出身。1972年、北京中央音楽学院付属中学校入学。1980年、同学院本科入学。同時に中央音楽学院青年交響楽団チェロ首席奏者。在学中、中国作品チェロ演奏コンクール第二位入賞。1984年卒業。同年、中国歌劇舞劇院交響楽団のチェロ首席奏者として9年間在籍。1993年に来日し、山形交響楽団に入団。更に、チェロ独奏者、室内楽奏者として多くの演奏家と共演するなど、様々なジャンルの作品の演奏活動に意欲的に取り組んでいる。1999年より現在まで、山形県、兵庫県、北海道、宮城県、福島県等、各地で斉藤葉子と共に障害者支援チャリティーコンサートを継続して行う。更に、2004年より現在まで、NPO法人岩手県青少年自立センター「ポランの広場」支援コンサートに出演。2006年、東京、「夢・きらめき・光」のテーマによるベーシックバレエアートとのコラボレーションコンサートに出演。2004年5月北京にて中国録音録像出版総社よりCDアルバム大提琴名曲集(ピアノ斉藤葉子)をリリース。

ああ、なるほど、ピアノの斉藤葉子さんとは、ずいぶん前から共演されているんですね。

演奏は、素晴らしかったの一言に尽きます。タタール民謡の「在銀色的月光下」やアサフィエフの「涙の泉」など、初めて聴く音楽に心打たれました。最後のドヴォルザークの「ポロネーズ」も、ああ、いいなあ!と音楽に浸っておりました。2004年にリリースされたというCDに、ちょいと興味があります。

残念ながら、書と音楽のコラボは都合で拝見できませんでしたが、出口で心ばかりの寄付をして帰りました。

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山響第237回定期演奏会でシューベルト、ドヴィエンヌ、ベートーヴェンを聴く

2014年05月12日 06時09分30秒 | -オーケストラ
良く晴れた五月の空の下、昨日はサクランボ果樹園の草刈りに従事し、夜は仲良し同窓生の会に出席して楽しく飲みました。にもかかわらず、今朝は早朝から果樹園の防除作業を行い、朝風呂に入り、昼寝をして、本日のメイン・イヴェントである山形交響楽団第237回定期演奏会に出かけました。

本日の曲目は、「ナポレオンに寄せる頌歌」と題し、

1. シューベルト/交響曲 第7番 ロ短調 D.759「未完成」
2. ドヴィエンヌ/フルート協奏曲 第7番 ホ短調  南部さやか(Fl.)
3. ベートーヴェン/交響曲 第3番 変ホ長調 作品55「英雄」
  飯森範親指揮、山形交響楽団

というものです。「未完成、エロイカ」という有名二曲に、珍しいドヴィエンヌの第7番の協奏曲を組み合わせるという、実に老獪な(^o^)プログラミングでありまして、期待の回です。

恒例の音楽監督のプレトークで、新しい楽器の寄贈を受けたことが紹介されました。これは、加藤総業(株)の社長さんから、スイスのバーゼル市にある金管楽器工房のE管ナチュラル・トランペット二本をいただいたとのことです。このことにより、対応できる曲目の幅がぐっと広がることになります。

さて、最初の曲はシューベルトの「未完成」交響曲です。楽器編成は、左から第1ヴァイオリン(8)、チェロ(5)、ヴィオラ(5)、第2ヴァイオリン(8)、正面奥にフルート(2)、オーボエ(2)、その後ろにクラリネット(2)、ファゴット(2)、さらにその奥にホルン(2)、トランペット(2)、最後列にはコントラバス(3)とトロンボーン(3:うち1はバス・トロンボーン)、その右にバロック・ティンパニとなります。このうち、ホルンとトランペットはナチュラル・タイプを採用しており、トロンボーンも古楽器タイプだそうです。コンサートマスター席には犬伏亜里さんが座りますが、プログラムによれば本日のメンバーは少し変化があり、チェロの小川さんの代わりに客演の富岡廉太郎さん、オーボエのトップは佐藤麻咲さんの代わりに客演の松岡裕雅さん、また先月末をもって退団した高橋あけみさんに代わって、ファゴットのトップには客演の武井俊樹さんが座ります。

第1楽章:アレグロ・モデラート。はじめに、チェロのトップとコントラバスによって、例の暗~く重苦しい旋律が歌われます。弦のトレモロに乗って、クラリネットとオーボエが主題を提示します。二本のホルンの響きの調和感!赤と青の色で区別しているらしいトランペットも、新しい楽器(E管)が加わったことによって可能になったものなのでしょうか。そして、とっても暗いんだけれど、美しい音楽が展開されていきます。ゆっくりめのテンポで、力のこもった劇的な表現です。曲の終わりの充実感が、すごいです。
第2楽章:アンダンテ・コン・モート。コントラバスのピツィカートを背景に、ファゴットとトランペットがppで弦楽を導き入れます。これに木管が加わってきて、それぞれの楽器の素晴らしい響きに魅了されているうちに全奏、繰り返されて再び全奏。いいなあ、ほんとに久しぶりに「未完成」を聴きました。

ここで、ステージ上の配置を若干並べ替えます。「フランスのモーツァルト」と呼ばれることもあるというドヴィエンヌのフルート協奏曲は、楽器編成をぐっと縮小して、ほとんど室内オーケストラという雰囲気です。具体的には、第1ヴァイオリン(6)、第2ヴァイオリン(6)が対向配置、これにチェロ(3)、ヴィオラ(4)、コントラバス(2)の6-6-4-3-2 という弦楽セクションとなり、ホルン(2)、オーボエ(2)に、ファゴット(1)が加わります。

独奏者の南部やすかさんが登場、髪をアップにまとめ、アイヴォリーのドレスの上半身に金色のラメ?が入っています。立ち姿は、うーん、形容する語彙が貧弱で申し訳ありませんが、ギリシャ神話のニンフのようです(^o^;)>poripori

演奏が始まると、飯森さんは指揮棒なしで、柔らかに優雅に、でもリズムをはっきりと指揮しています。第1楽章:アレグロは、なるほど「フランスのモーツァルト」と呼ばれる理由がわかりました。途中、だいぶ高齢らしいおばあちゃんが、何やらポリ袋のようなものをガサガサして困りました。第2楽章:アダージョ。フルート・ソロがなんとも素晴らしい!テクニックも音も、お見事の一言です。第3楽章:アレグレット・ポコ・モデラート。規模を縮小した室内オーケストラの編成が実に効果的で、フルートの独奏とバランスがとれて、ホールの大きさにもよく合います。この曲も初めて聴きましたが、なかなかチャーミングな曲です。例のおばあちゃんも、近くの男性のお客さんがそっと注意してくれたらしく、静かにしておりました。ああよかった。

15分の休憩の後は、いよいよ「エロイカ」の番です。編成がまた変わり、8-8-5-5-3 の弦楽部に加えて、Fl(2),Ob(2),Cl(2),Fg(2),Hrn(3),Tp(2),Timp.となります。ホルンとトランペット、トロンボーンはナチュラルな古楽器タイプ、ティンパニもバロック・タイプです。

第1楽章:アレグロ・コン・ブリオ。最初の2音の明快さ!これで「エロイカ」の音楽にぐぐっと引き込まれます。演奏は速めのテンポで進みます。客演の奏者の方々も、ひたすら音楽に没頭している様子。第2楽章:アダージョ・アッサイ。いわゆる葬送行進曲ですが、あまりねっとりした葬送でないのが嬉しい。赤と青を持ち換える方式のトランペットは、ここでは赤のほうです。オーボエが聴かせどころですし、バロック・ティンパニもスカッとした抜けの良い打音を響かせます。気合の入った指揮、演奏で、弦だけのところも、インテンポで明瞭なリズムが効果的に感じます。第3楽章:スケルツォ、アレグロ・ヴィヴァーチェ。弦の澄んだ音色にオーボエとフルートが印象的ですが、さらに三本のホルンのぞくぞくするような響き合いが素晴らしい!第4楽章:フィナーレ、アレグロ・モルト。編成を絞ったオーケストラの、澄んだ音、冴えた響きを堪能しつつ、今回はさらに低弦部隊が力を発揮して、力感のある音楽を実現したように感じられました。あまりテンポを速めなかったために、例の「酔っ払いの旋律」(^o^;)は演歌っぽくはならず、力強さがありましたし、オーボエ、クラリネット、ファゴットの木管アンサンブルはとてもステキでした。これに弦が加わるところは、なんとも胸キュンになります。そうこうするうちに、一気にフィナーレへ。

演奏が終わって、音楽監督が客席に話をしました。これから東京と大阪で「さくらんぼコンサート」を予定しており、親戚・知人など、心当たりの方面に案内を願いたい、との内容でした。今回は、母の日の演奏会とあってか、自由席に空席が目立ちました。次回は、ぜひ大勢のお客様が入場されるように願いたいものです。




そうそう、ファン交流会でフルートの南部やすかさんのお話を聞きました。外見はキュートな妖精のような印象でしたが、お話をすると大人の落ち着きが感じられます。パンフレットによれば、この三月に長男を出産されたばかりなのだそうです。山響の印象は、やはり「温かい」オーケストラだ、とのこと。飯森さんは、エロイカでのホルンの健闘を讃えるとともに、新しいトランペットを寄贈していただいたことへの感謝の言葉でした。「近代への梯」と大した次回の定期演奏会(7月19/20日、ワーグナー「ジークフリート牧歌」、リスト「ピアノ協奏曲第1番」、バルトーク「ルーマニア民族舞曲」、ストラヴィンスキー「かるた遊び」)も楽しみです。

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岩波ジュニア新書『脳科学の教科書・こころ編』を読む(3)

2014年05月11日 06時05分16秒 | -ノンフィクション

岩波ジュニア新書『脳科学の教科書・こころ編』を引き続き読んでいます。

第4章は、「情動と感情」がテーマです。私たちは、ひじょうによく理解したとき、しばしば「ストンと腑に落ちる」という表現をします。これは、感情をともなって理解した状態を表し、「頭では理解できるけれど感情が受け入れない」状態よりもずっと印象深く定着することが多いものです。また、「情理を尽くした」説得が「理路整然とした」説得よりも効果的なのも同様で、感情と理性の相補性、連関、相互作用を示唆するものでしょう。

本章の節立ては、次のようになっています。

  1. 情と理
  2. 基本的な一次感情
  3. 情動反応の神経メカニズム
  4. 感情----意識化された情動
  5. 社会的な二次感情
  6. 情動と感情のコントロール

ここでは、感情も脳神経系の作用によってわき起こるものであって、理性や記憶に頼っていたのでは判断が遅れてしまうような、危険回避行動や接近行動を支えるだけでなく、生存にとっての有利・不利、好き嫌いといった情動反応に対する自己認知、分類整理され相対化された心的メカニズムである、とする立場に立っています。

情動情報は、大脳皮質にも送られて記憶と照合され、分析されます。とくに前頭葉腹内側部は、外的な刺激の客観的性質とそれにともなって自己にわき起こる情動を連合する場所と考えられています。この連合によって、大脳皮質はソマティック(注:肉体的)な情動反応に、それが引き起こされた文脈と照合しつつ、「善・快」あるいは「悪・不快」という価値を与えて、マークすることになるわけです。また逆に、このマーク機能は、理性的な意思決定を自動的な情動反応を活用しつつ効率化するように作用するとも考えられます。(p.144)

つまり、「理性的判断は感情をおさえて取り組むべきだという一般的理解」は必ずしも常に的を射たものではなく、むしろ「感情なしには理性的判断ができない」(p.145,*1)という立場です。自分の心の内部状態をモニターする機能の発達という視点は、感情やメタ認知といった様々な機能に関係し、興味深いところです。

また、社会的意思決定が、たんにいわゆる理性的で合理的な推論のみで行われているのではなくて、「他人に対する共感や、過去に痛い目にあってこりた経験や、舞い上がるような成功体験などの、社会的感情の記憶を、将来引き起こされるであろう状況を予測する根拠として使っているらしい」(p.154)という考え方は、頷けるものがあります。緊急の対応や複雑な判断を要する場面などに、「感情を利用したメカニズムを使って社会的な意思決定をしていて、このような感情にもとづく経験則が、多くの場合きわめて有効だということ」(p.154)なのでしょう。

さらに、共感や共鳴などの作用についても、ミラー・ニューロン・システムなどを例に、他者の「こころの状態」を推定するはたらきなどに基礎づける考え方が紹介されます。道徳や倫理となると、いささか問題が大きくなりすぎますが、嫉妬・羨望・怨恨・憎悪などの「負の感情」が存在するからこそ、道徳や倫理の意味があるわけで、年を取ってボケて来たり、心の病になったりしたときに、こうした負の感情の側面が表面化したりすることを考えると、脳科学的アプローチの意味は小さくないでしょう。

たいへん興味深く、おもしろいです。岩波ジュニア新書はすぐれた入門書・概説書が多いですが、本書もまた、今年の前半の収穫の一つと言えそうです。

 

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山形市の植木市を散歩する

2014年05月10日 06時01分46秒 | 散歩外出ドライブ

5月8日~10日の3日間は、山形市の薬師通りや新築西通り等を中心に、植木市が開催されます。折よく時間が取れましたので、仕事帰りに散策してみました。夕暮れにはまだ早いためか、人出はこれからという感じですが、けっこう混雑しています。

屋台の食べ物屋が多く、植木のほうは山形五中方面に多かったようです。スオウの苗木があればと思ったのでしたが、今まさに花盛りの季節ですので、ちょいと見当たりませんでした。

かわりに見つけたのが、取材に来ていると思われるテレビ・チーム。

いつもは撮影する側を、ひそかに撮影しました(^o^)/ 
まあ、たまにはいいでしょう。

 

山形名物「どんどん焼き」をお土産に買って行ったら、「粉もの」の好きな妻にたいそう喜ばれました。良かったヨカッタ(^o^)/

 

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プラチナ社の古典ブルーブラック・インクのニューボトルを購入する

2014年05月09日 06時02分45秒 | 手帳文具書斎

近年、裏抜けが少ないという理由からぐっと使用頻度が高まっている関係で、プラチナ社の古典ブルーブラック・インクの消費が速くなっています。以前、購入していた小びんの残量が不安になってきましたので、行きつけの文具店に、ニューボトルを注文しておりました。旧タイプの小びんは、容量が30mlで400円、ニューボトルは60mlで1200円と、容量は2倍で価格は3倍になっています(^o^)/

でも、おそらくコストの面から古典ブルーブラックを中止するメーカーが出ている現状を考えれば、製造中止よりは値上げしても販売継続のほうがずっとありがたい。プラチナ社には、頑張って継続してもらいたいものです。

ニューボトルは、パーカーのブルーブラックやパイロットの色彩雫シリーズなどと比較すると、ようやく普通の大きさになったと感じます。むしろ、今までのボトルがやけに小ぶりで、ミニチュアっぽかったのでした。成分の変化はないだろうと思いますが、つい先日、愛用の#3776-ブルゴーニュ万年筆にインクを補充したばかりですので、開封はもう少し先になりそうです。

 

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岩波ジュニア新書『脳科学の教科書・こころ編』を読む(2)

2014年05月08日 06時01分39秒 | -ノンフィクション

岩波ジュニア新書『脳科学の教科書・こころ編』の第2章は、「脳を見る」がテーマです。

光学顕微鏡では、生きている細胞を見ることはできず、染色しないと見られないわけですが、脳を見る場合には、外科手術によって肉眼で観察するほかに、現在は様々な画像診断技術が工夫されています。最も広く使われているのがMRI(Magnetic Resonance Imaging)でしょう。体内には、構成成分としてH2Oなど多くの水素原子が含まれますが、このH原子核は回転していますので(核スピン)、自然状態ではランダムな方向を向いていても、強力な磁場をかけると一斉に同じ方向を向きます。そこに電波(RFパルス)を当てると、水素原子核は一斉に別の方向を向き(核磁気共鳴)、電波を切ると元の状態に戻りますが、このとき別の電波を発します。この信号電波をとらえて解析する、という原理だそうです。したがって、連続的に磁場を変化させてやれば、連続的にデータを得ることができますので、これをコンピュータで画像に変換することによって、脳などの臓器器官の内部を観察することができる(*1)、というわけです。放射線を用いるCTスキャンでは、灰白質と白質を区別することができないために、とくにMRIが有効だとされているとのことです。

そのほか、放射性物質で標識した物質を用いる分子イメージングの手法(PETなど)や、脳の活動の度合いによって変化する信号強度に基づくfMRI(frequency MRI)、あるいは近赤外スペクトロスコピーなどが開発され、使われているとのこと。このあたり、昔ながらの脳波の測定などと併用することで、脳のはたらきをある程度までは把握できるようになってきているのだな、と感じます。だからこそ、脳神経倫理などということが問題になるのでしょう。昔話に登場する、囲炉裏の向こうでこちらの心をみな読んでしまう化け物のようなものだからでしょうか。

第3章は、「言語活動のしくみ」です。

19世紀の後半に、脳の特定の部位が脳出血などの病変で傷つくと、言語機能だけが損なわれる症例から、脳の中に言語野という領域が特定されました。話す機能をつかさどる「ブローカ野」と言語を聴き取る機能をつかさどる「ウェルニッケ野」です。それに対して、一酸化炭素中毒によって、言語野は健全であるのに、他の広い領域に病変が引き起こされた例から、言語の概念中枢の役割を果たす領域が複数存在し、それぞれが並列的に結合していることも判明します。

続いて、人間言語の起源と進化が論じられます。動物のいろいろな前駆的機能が進化し、しだいに統合されて相互作用するようになる、という考え方は、大筋では理解しやすいものでしょう。もう一つ、言語の発達と学習が論じられます。成長発達にともなう母語の獲得を、(1)喃語期(あーあー)、(2)一語発話期(わんわん、まんま)、(3)二語発話期、(4)多語発話期以降に分けて、脳の発達と関連付けられます。さらに、外国語の学習や言語の発達異常が取り上げられ、「しゃべるのだけは一人前」の人の背景が明らかにされます。

言語活動について、昭和30年代の古い記憶が蘇ります。当時、小学校の低学年から中学年にすすむと、教科書の音読から黙読主体に移行していきます。ところが、ある子は頑として音読をやめようとしない。皆が静かに黙読しているときも、声を出して音読をしようとするのです。先生たちは困ってしまい、音読をしないように言い聞かせるのですが、その頃からあの子の不登校は始まっていたのでした。おそらく、耳からの言語は理解できるのに、視覚からの言語情報は処理できない障碍をかかえていたのではないか。音読をするなということは、理解しようとするなと言うに等しい。少数ですが黙読のできない子がいるということを、その当時は理解できなかったけれど、今ならば想像できます。

なかなか興味深い内容で、長くなりますので、続きはまた別日に。

(*1):3d MRA ~ 「★balaine★ひげ鯨の日々」2011年6月より

 

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岩波ジュニア新書『脳科学の教科書・こころ編』を読む(1)

2014年05月07日 06時02分51秒 | -ノンフィクション

少々前のことになりますが、NHK特集でアルツハイマー病を取り上げたことがありました。年齢とともに心配になる病気を考えるうえで参考になるもので、メモを取りながら興味深く観ました。

これによれば、家族性アルツハイマー病の研究からいろいろなことが分かってきたそうで、25年くらいかけて徐々にアミロイドベータが蓄積し、発症に至るのだそうです。このアミロイドベータは、脳の活動により産生し、夜の睡眠時に髄液を通じて脳外に排出されます。したがって、睡眠不足が続くと充分に排出されず、蓄積していくのだそうな。そして、アミロイドベータが蓄積してくると、タウという物質を生成し、これが神経細胞を破壊していくため、記憶に重要な役割を果たす海馬の働きも徐々に低下していくのだそうです。

治療薬の研究もさることながら、興味深かったのは「良質の睡眠の重要性」と、頭を使いながら運動することの効果でした。たしか、どこかの進学校で、「四当五落」などという戦前の「B29に竹槍」のような精神主義的言葉で鼓舞された受験生が、それを真に受けて受験勉強に勤しんだら、うつ病になってしまったという話を聞いたことがあります。睡眠時間を削って受験勉強をしても効果は上がらないことは自分の経験で知っていましたが、まさか睡眠不足の生活がアルツハイマー病を引き起こすとは知りませんでした。



よくわからない分野を手っ取り早く知るには、子ども向けの本が良い、という経験則に基づき、手に取ったのが岩波ジュニア新書の中の一冊、『脳科学の教科書~こころ編』です。理化学研究所脳科学総合研究センター編というお堅い著者名がついていますが、内容は比較的わかりやすいものでした。本書の構成は次のとおり。


はじめに
第1章:ヒトの脳の構造と機能
第2章:脳を見る
第3章:言語思考のしくみ
第4章:情動と感情
第5章:脳の病気
おわりに


第1章は、海馬や下垂体、視床下部など、大脳や小脳以外の重要な部位についての説明が興味深かった。

  • 海馬は記憶に重要な役割を果たしている。
  • となりの扁桃体は、恐怖などの情動に関係している。
  • 帯状回は扁桃体を抑制するはたらきがある。
  • 視床下部には脳血液関門がなく、血中の物質濃度を監視する役割を持つとともに、白血球が出す免疫反応に関係する物質サイトカインに反応してストレス反応を引き起こす。
  • 下垂体は、副腎や卵巣などに働く種々のホルモンを出して、からだ全体のコントロールに関わっている。
  • 視床上部の松果体は夜にメラトニンというホルモンをつくり、夜の長さを感知して年間のリズムを作り、生殖行動に関与している。
  • 視床上部には手綱核というものがあり、光のリズムを検出し行動を制御するとともに、悪い予測によって活動し、ドーパミン神経の働きを抑制する。

植物の光周性などは、わりに知識がありましたが、動物の概日リズムや光周性、ストレス反応などのあたりは、意外に知らない分野です。(以下、続く)

 

 

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新聞の切り抜きについて、「なるほど」の記事

2014年05月06日 06時04分38秒 | 手帳文具書斎

最近は、意識して新聞の切り抜きをすることは少なくなりましたが、たまにスクラップしておきたい記事があります。小さい記事は、単純に日付とともに備忘録に貼っておくだけですが、困るのは大きな特集記事など、ほぼ一面全体もあるようなやつです。このような大きなものに限って、連載だったりしますので、さすがに備忘録に折りたたんで貼り付けるわけにもいきません。たいていは、単行本として刊行されたりしますので、なんとかなることが多いのですが、その前に記事として利用したいこともあります。

なにかと面倒なことの多い新聞記事のスクラップについて、「なるほど」と思ったのが、ブログ「無罫フォント」(*1)の筆者の猫町フミヲさんが Latte に寄稿したコラム


古雑貨カフェ「木琴堂」シリーズ  スクラップブックの作り方と活用のコツ -新聞の切り抜きを楽しく整理してみよう- 公開日:2014年05月02日


です。これはたいへん興味深いものでした。とくに、家族が読み終える前に破り取ってしまうのでなく、欄外にほしい記事を書いておく、というところなどは、ああなるほど!と感心しました。これなら、古新聞を処分される前に出先から妻に電話して「あの記事を取っておいて」と頼むようなドタバタは避けることができます(^o^;)>poripori

(*1):ブログ「無罫フォント」

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飯森範親+山響によるブルックナー「交響曲第7番」を聴く

2014年05月05日 18時03分17秒 | -オーケストラ
法事関連の忙しさにかまけて、音楽をほとんど聴いておりませんでした。一段落してようやくほっとした休日に、ようやく音楽を聴く時間ができましたので、先ごろ購入したCDで、飯森範親指揮山形交響楽団によるブルックナーの交響曲シリーズからハース版による「第7番」を聴きました。これは、2013年1月に開かれた第226回定期演奏会で取り上げられた曲目を、同じ山形テルサ・ホールでセッション録音したもので、YSO-Live としてオクタヴィア・レコードの OVCX-00077 という型番で発売されているものです。

若い頃は、ブルックナーの交響曲というとLP二枚組が普通でしたので、懐具合の関係から廉価盤中心の当方の射程に入ってくることはあまりありませんでした。たまにFM放送などで海外のオーケストラの演奏会などが放送されると、「ほう、そうか、これがブルックナーの音楽か」などと言っておりました(^o^;)>poripori
まことに呑気な年代でありました。

1980年代になると、LPが二枚組で5,000円なのに、CDだと一枚で3,800円で、ひっくり返す手間もいらないというアホな理由で、ブロムシュテット指揮ドレスデン・シュターツカペレによる第7番のCDを購入、演奏も録音も素晴らしかったことから、ブルックナーの音楽に親しむようになりました(*1)。
ジョージ・セル指揮クリーヴランド管による第8番の二枚組CDとともに、第7番のCDが、いわばブルックナー開眼のきっかけですので、いわゆる「ブル7」にはつい手が伸びます。

ところで、大編成・大音量の迫力が本当にブルックナーの真髄なのか?逆に、弦楽器の透明で静かな響きや、よくバランスの整えられた管楽器のサウンドなども、ブルックナーのもう一つの魅力なのでは?ブロムシュテットやセルやマタチッチなどの表現の魅力に賛辞を惜しまないものの、山響の定期演奏会で何回かブルックナーを聴くうちに、こうした別の方向性もあり得ると考えるようになりました。初期の比較的小さめの編成の曲だけでなく、後期の曲ではどうなのだろう?期待して臨んだ定期演奏会(*2)は、充分にその期待に応えてくれるものでした。セッション録音ではありますが、このときの演奏を収録したCDを入手して、通勤の音楽としてしばらく繰り返して聴きましたが、二管編成のオーケストラにワーグナーチューバ等を補強しただけの編成であっても、800席ほどの容量の、比較的音響に恵まれたホールでの録音・演奏は、爽やかなもので、充分に説得力があります。

大編成・大音量で情念の塊をぶつけてくるような演奏表現を求める人には向きませんが、そういうものではない現代のブルックナーを期待する人には、魅力のあるものです。

第1楽章:アレグロ・モデラート。曲はヴァイオリンのトレモロで静かに始まります。この楽章は、山響ファンとしてはうれしくなるほど立派な演奏です。
第2楽章:アダージョ。非常に荘厳に、かつ非常にゆるやかに。ワーグナーの死期を悟り、これを悼んで、悲しみをこの楽章に表したものだそうです。たしかに、厳粛な気分になります。
第3楽章:スケルツォ、Sehr schnell. ブルックナーが得意とする力強い反復の効果がきいています。リズムが冴えています。
第4楽章:フィナーレ。快速に、しかしあまり速すぎないように。こういう矛盾した表記がブルックナーらしいといえばらしい。過度を戒めたと考えれば、響きでも同じ考え方はありえます。

(*1):ブルックナー「交響曲第7番」を聴く~「電網郊外散歩道」2006年6月
(*2):山響第226回定期演奏会でシューマン、ブルックナーを聴く~「電網郊外散歩道」2013年1月
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田舎の法事の慣例

2014年05月04日 20時11分40秒 | 季節と行事
これまで準備をしてきた法事が、ようやく終わりました。娘夫婦と孫たちが前夜から泊まっており、朝から賑やかにしているところへ、お客さんたちが次々に訪れます。ご挨拶をしているうちに10時半となり、卒塔婆を持って住職が到着します。お茶をお出しして袈裟に着替えたところで、住職の読経が始まり、それぞれ焼香を行います。

次に、自宅から寺に場所を移し、本堂で読経・焼香を行います。ここでは、参列者も一緒にお経を唱えます。次に位牌堂に進み、位牌壇の前で焼香を行います。さらに墓地に移動して、住職の読経の中、各人が墓石の前に線香を手向けます。参列者が次々に手を合わせている間、施主は一族の墓に線香を手向け、戻る頃に法要が終わりとなります。

その後、予約している割烹に移動、施主が挨拶を行います。そこでは、
(1) 法要への参列の御礼
(2) 供養していただいた仏(故人)の紹介
(3) 施主及び家族の近況
(4) 参列者のご健勝を祈念
などを述べて、住職に献杯の発声を願うというのが主な形式です。

そして、地酒や季節の味のご馳走をいただきながらしばし歓談、施主は参列者に感謝を述べながら飲み物を注いで回ります。一時間ほどで住職は帰りますので、お布施と卒塔婆料、お車代などをおあげします。住職が帰った後も、しばらくはなごやかに歓談、頃合いを見て御一同様にお礼を申し述べ、自宅へと案内します。自宅では、内輪の人たちがお茶で休憩し、お土産を持たせることになりますが、それぞれ迎えの車を待ったり、電車の時刻に合わせて帰って行きます。



このような形で、法要及び会食をまとめて、田舎では「法事」と呼びならわしております。七回忌を過ぎれば、十三回忌や十七回忌は家族のみで行い、大きな区切りとなる三十三回忌には、亡父の弟妹ならびにその配偶者が参列することはかなわないことでしょう。それぞれに再会を喜びながら、今回が最後だろうと言っておりました。実際、80歳を超えた年齢からも体調からも、おそらくそのとおりだろうと思いますし、そういう私自身が26年後に生きていられるかどうかも不確実なのですから、先のことを思いわずらっても仕方がないでしょう。文字どおり、今日の糧に感謝し、明日の幸いを祈るばかりです。

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サクランボの満開と孫のどろんこ遊び

2014年05月03日 18時11分53秒 | 季節と行事
果樹園のサクランボの花が満開になっています。法事のために、孫たちも帰省しており、お天気に誘われて外で遊んでおりました。裏の果樹園ならば、交通事故の心配も皆無、タンポポの花を摘んで花環を作ったり、井戸水を汲んでどろんこ遊びをしたり、田舎の遊びに夢中になっております。アホ猫たちは、ウルトラスーパーハイテンション・ジャリンコの来襲を察知したらしく、どこかで昼寝を決め込んでいる模様。明日は亡父の七回忌と先祖の百回忌の法事の予定です。







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あわわ、もうこんな時間!

2014年05月02日 21時54分59秒 | Weblog
今日も朝から働きました。サクランボが満開ですので、早朝から灰星病の防除を行ったほか、法事の準備で仏壇まわりの諸道具を出し、夜は夜で、来客目線で部屋を片付けています。

写真は、過日、妻が焼いてくれたチーズケーキです。コーヒーによく合い、たいへん美味でありました。

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