岩波ジュニア新書『脳科学の教科書・こころ編』の第2章は、「脳を見る」がテーマです。
光学顕微鏡では、生きている細胞を見ることはできず、染色しないと見られないわけですが、脳を見る場合には、外科手術によって肉眼で観察するほかに、現在は様々な画像診断技術が工夫されています。最も広く使われているのがMRI(Magnetic Resonance Imaging)でしょう。体内には、構成成分としてH2Oなど多くの水素原子が含まれますが、このH原子核は回転していますので(核スピン)、自然状態ではランダムな方向を向いていても、強力な磁場をかけると一斉に同じ方向を向きます。そこに電波(RFパルス)を当てると、水素原子核は一斉に別の方向を向き(核磁気共鳴)、電波を切ると元の状態に戻りますが、このとき別の電波を発します。この信号電波をとらえて解析する、という原理だそうです。したがって、連続的に磁場を変化させてやれば、連続的にデータを得ることができますので、これをコンピュータで画像に変換することによって、脳などの臓器器官の内部を観察することができる(*1)、というわけです。放射線を用いるCTスキャンでは、灰白質と白質を区別することができないために、とくにMRIが有効だとされているとのことです。
そのほか、放射性物質で標識した物質を用いる分子イメージングの手法(PETなど)や、脳の活動の度合いによって変化する信号強度に基づくfMRI(frequency MRI)、あるいは近赤外スペクトロスコピーなどが開発され、使われているとのこと。このあたり、昔ながらの脳波の測定などと併用することで、脳のはたらきをある程度までは把握できるようになってきているのだな、と感じます。だからこそ、脳神経倫理などということが問題になるのでしょう。昔話に登場する、囲炉裏の向こうでこちらの心をみな読んでしまう化け物のようなものだからでしょうか。
第3章は、「言語活動のしくみ」です。
19世紀の後半に、脳の特定の部位が脳出血などの病変で傷つくと、言語機能だけが損なわれる症例から、脳の中に言語野という領域が特定されました。話す機能をつかさどる「ブローカ野」と言語を聴き取る機能をつかさどる「ウェルニッケ野」です。それに対して、一酸化炭素中毒によって、言語野は健全であるのに、他の広い領域に病変が引き起こされた例から、言語の概念中枢の役割を果たす領域が複数存在し、それぞれが並列的に結合していることも判明します。
続いて、人間言語の起源と進化が論じられます。動物のいろいろな前駆的機能が進化し、しだいに統合されて相互作用するようになる、という考え方は、大筋では理解しやすいものでしょう。もう一つ、言語の発達と学習が論じられます。成長発達にともなう母語の獲得を、(1)喃語期(あーあー)、(2)一語発話期(わんわん、まんま)、(3)二語発話期、(4)多語発話期以降に分けて、脳の発達と関連付けられます。さらに、外国語の学習や言語の発達異常が取り上げられ、「しゃべるのだけは一人前」の人の背景が明らかにされます。
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言語活動について、昭和30年代の古い記憶が蘇ります。当時、小学校の低学年から中学年にすすむと、教科書の音読から黙読主体に移行していきます。ところが、ある子は頑として音読をやめようとしない。皆が静かに黙読しているときも、声を出して音読をしようとするのです。先生たちは困ってしまい、音読をしないように言い聞かせるのですが、その頃からあの子の不登校は始まっていたのでした。おそらく、耳からの言語は理解できるのに、視覚からの言語情報は処理できない障碍をかかえていたのではないか。音読をするなということは、理解しようとするなと言うに等しい。少数ですが黙読のできない子がいるということを、その当時は理解できなかったけれど、今ならば想像できます。
なかなか興味深い内容で、長くなりますので、続きはまた別日に。
(*1):3d MRA ~ 「★balaine★ひげ鯨の日々」2011年6月より