岩波ジュニア新書で、『脳科学の教科書・こころ編』を読みました。若い人が抱く疑問「心とはどういうものか」に答えることを意図したものかと思いますが、最後の第5章は「脳の病気」を取り上げ、次のような構成となっています。
脳の病気は、あらゆる病気の中でも、社会に与える影響がもっとも大きいものの一つだと指摘します。たしかに、精神神経疾患、がん、心血管障害の三つが、社会に最も大きな影響を与える病気であり、日本では「がん、脳卒中、心筋梗塞、糖尿病、精神疾患」が五大疾患に数えられているとのことです。加えて、脳の病気から、逆に正常な脳のはたらきが理解できるようになる、という意味も大きいのでしょう。
ここで、神経疾患と精神疾患という分け方の基準に興味を持ちますが、これに関しては、
と言えるし、あるいはまた
面もあるのだそうです。
神経疾患の中で多いのが脳梗塞やクモ膜下出血のような脳血管障害で、次に多いのが認知症だそうです。それから神経変性疾患が多く、アルツハイマー病はこの一種だとのこと。ほかにも脱髄性疾患や脊髄の疾患、抹消神経疾患、脳炎のような感染性疾患、てんかん、腫瘍、中毒など多くの疾患がある中で、ハンチントン病は原因遺伝子が発見され、DNAの塩基配列にCAGの顕著な繰り返しが見られることが特徴だそうです。CAG といえばグルタミン酸を指定する塩基配列ですが、グルタミン酸ばかりが繰り返される奇妙なたんぱく質が凝集し、細胞が死んでしまうために、運動のコントロールにかかわる大脳基底核が障害されて、異常な運動が出てしまうために、舞踏病という名前がつけられたのだそうです。こうした塩基配列の異常が、必ずしも誕生時からずっとあったわけではなく、ある時期になんらかの理由で生じてくるらしいです。細胞の分裂の際に遺伝子の複製が行われる時に、過剰にくりかえし複製が行われるのが理由らしい。ふーむ、昔、分子生物学を習ったときに金科玉条にたたきこまれた遺伝子の不変性は、どうやら認識を改めなければいけないようです。
そういえば、プリオン病は感染する病原体のような生命体ではなく、タンパク質の連鎖反応によって、感染型のタンパク質にふれると、正常なタンパク質の立体構造が変化して感染型になってしまう、という現象だと説明があります。てんかんの場合は、イオンチャンネルに関与するタンパク質の遺伝子に変異があり、神経細胞がなんらかのきっかけで電気的な興奮状態になると、脳全体が異常に同期してしまい、痙攣や発作のために、意識喪失が起こってしまう病気だとのこと。パーキンソン病の場合は、中脳黒質のドーパミン神経細胞が変性し、ドーパミンという神経伝達物質の濃度が減ってしまうのだそうです。その変性の原因は、レビー小体としてαシヌクレインというタンパク質が凝集することだそうで、このあたりはハンチントン病と似た面があります。さらに、アルツハイマー病は、アミロイドβとリン酸化されたタウというタンパク質の蓄積が特徴的であることが説明されており、テレビ番組の説明内容を補強するものです。
神経疾患は遺伝子レベルでの研究が進んでいるのに対して、精神疾患では必ずしもそうなってはいず、経験的なレベルでの向精神薬の研究が中心になっているようです。思春期に発症して、幻聴や妄想といった症状が目立つ状態から、しだいに感情鈍磨、思考貧困、自発性低下などの症状が進行する病気である統合失調症の場合、まずグルタミン酸の異常があり、これがドーパミンの異常を引き起こすという仮説が確立しているそうです。統合失調症の原因として、遺伝や環境要因、とくに周産期障害やインフルエンザ感染とそれに対する免疫反応の問題、染色体の一部の欠失や転座など様々なものがあげられていますが、これほど多様な要素は、原因とは言えないでしょう。むしろ、統合失調症という一種類の病気なのではなくて、自我意識を統合することを障害する多様な疾病群の総称なのではないかとさえ感じます。
自閉症の場合は「遺伝ではない遺伝子病」の要因をもち、これもまた、ハンチントン病のように、遺伝子の不変性という古い固定観念からは理解できないものの例でしょう。依存症の場合は、報酬系と呼ばれる神経回路を活性化することがわかっているとのことです。
うつ病の場合は、セロトニン欠乏だけでなく、ストレスによって神経細胞の突起が縮むことや神経新生を抑制されてしまうことがわかってきたそうです。ただし、縮むのは認知に関わる大脳皮質や海馬の場合であって、情動に関わる扁桃体の場合は逆に強まってしまうために、うつ病が引き起こされるのかもしれない、と本書では推測しています。
そのほか、強迫性神経障害やPTSD、双極性障害(躁うつ病)などの説明もありますが、このくらいにしましょう。
○
若い頃の職場の先輩は、中年以降にパーキンソン病に倒れ、中途で退職せざるをえなかったとか。アルツハイマー病は、周囲を巻き込み、隣近所にも波乱を引き起こすこともあります。多くの病気は、本人や家族、隣人たちにとっては深刻な苦悩の原因となる場合も少なくないことでしょう。病気そのものの苦悩に加えて、周囲の無理解に苦しむのであれば、まことに不幸なことです。誰にでも起こりうる、必ずしも本人の責任によらない病気であれば、周囲の理解と協力が当人の不幸を和らげることにつながるのかもしれず、そういう点からも、本章の客観的な記述は、たいへん有益でした。
1. 脳の病気の分類
2. 神経疾患の脳科学
3. 精神疾患の脳科学
脳の病気は、あらゆる病気の中でも、社会に与える影響がもっとも大きいものの一つだと指摘します。たしかに、精神神経疾患、がん、心血管障害の三つが、社会に最も大きな影響を与える病気であり、日本では「がん、脳卒中、心筋梗塞、糖尿病、精神疾患」が五大疾患に数えられているとのことです。加えて、脳の病気から、逆に正常な脳のはたらきが理解できるようになる、という意味も大きいのでしょう。
ここで、神経疾患と精神疾患という分け方の基準に興味を持ちますが、これに関しては、
知覚運動系が障害されている場合は神経疾患で、高次脳機能が障害されている場合は精神疾患に区分する
と言えるし、あるいはまた
脳に原因が見つかっている場合は神経疾患で、原因が見つかっていない場合は精神疾患とされる
面もあるのだそうです。
神経疾患の中で多いのが脳梗塞やクモ膜下出血のような脳血管障害で、次に多いのが認知症だそうです。それから神経変性疾患が多く、アルツハイマー病はこの一種だとのこと。ほかにも脱髄性疾患や脊髄の疾患、抹消神経疾患、脳炎のような感染性疾患、てんかん、腫瘍、中毒など多くの疾患がある中で、ハンチントン病は原因遺伝子が発見され、DNAの塩基配列にCAGの顕著な繰り返しが見られることが特徴だそうです。CAG といえばグルタミン酸を指定する塩基配列ですが、グルタミン酸ばかりが繰り返される奇妙なたんぱく質が凝集し、細胞が死んでしまうために、運動のコントロールにかかわる大脳基底核が障害されて、異常な運動が出てしまうために、舞踏病という名前がつけられたのだそうです。こうした塩基配列の異常が、必ずしも誕生時からずっとあったわけではなく、ある時期になんらかの理由で生じてくるらしいです。細胞の分裂の際に遺伝子の複製が行われる時に、過剰にくりかえし複製が行われるのが理由らしい。ふーむ、昔、分子生物学を習ったときに金科玉条にたたきこまれた遺伝子の不変性は、どうやら認識を改めなければいけないようです。
そういえば、プリオン病は感染する病原体のような生命体ではなく、タンパク質の連鎖反応によって、感染型のタンパク質にふれると、正常なタンパク質の立体構造が変化して感染型になってしまう、という現象だと説明があります。てんかんの場合は、イオンチャンネルに関与するタンパク質の遺伝子に変異があり、神経細胞がなんらかのきっかけで電気的な興奮状態になると、脳全体が異常に同期してしまい、痙攣や発作のために、意識喪失が起こってしまう病気だとのこと。パーキンソン病の場合は、中脳黒質のドーパミン神経細胞が変性し、ドーパミンという神経伝達物質の濃度が減ってしまうのだそうです。その変性の原因は、レビー小体としてαシヌクレインというタンパク質が凝集することだそうで、このあたりはハンチントン病と似た面があります。さらに、アルツハイマー病は、アミロイドβとリン酸化されたタウというタンパク質の蓄積が特徴的であることが説明されており、テレビ番組の説明内容を補強するものです。
神経疾患は遺伝子レベルでの研究が進んでいるのに対して、精神疾患では必ずしもそうなってはいず、経験的なレベルでの向精神薬の研究が中心になっているようです。思春期に発症して、幻聴や妄想といった症状が目立つ状態から、しだいに感情鈍磨、思考貧困、自発性低下などの症状が進行する病気である統合失調症の場合、まずグルタミン酸の異常があり、これがドーパミンの異常を引き起こすという仮説が確立しているそうです。統合失調症の原因として、遺伝や環境要因、とくに周産期障害やインフルエンザ感染とそれに対する免疫反応の問題、染色体の一部の欠失や転座など様々なものがあげられていますが、これほど多様な要素は、原因とは言えないでしょう。むしろ、統合失調症という一種類の病気なのではなくて、自我意識を統合することを障害する多様な疾病群の総称なのではないかとさえ感じます。
自閉症の場合は「遺伝ではない遺伝子病」の要因をもち、これもまた、ハンチントン病のように、遺伝子の不変性という古い固定観念からは理解できないものの例でしょう。依存症の場合は、報酬系と呼ばれる神経回路を活性化することがわかっているとのことです。
うつ病の場合は、セロトニン欠乏だけでなく、ストレスによって神経細胞の突起が縮むことや神経新生を抑制されてしまうことがわかってきたそうです。ただし、縮むのは認知に関わる大脳皮質や海馬の場合であって、情動に関わる扁桃体の場合は逆に強まってしまうために、うつ病が引き起こされるのかもしれない、と本書では推測しています。
そのほか、強迫性神経障害やPTSD、双極性障害(躁うつ病)などの説明もありますが、このくらいにしましょう。
○
若い頃の職場の先輩は、中年以降にパーキンソン病に倒れ、中途で退職せざるをえなかったとか。アルツハイマー病は、周囲を巻き込み、隣近所にも波乱を引き起こすこともあります。多くの病気は、本人や家族、隣人たちにとっては深刻な苦悩の原因となる場合も少なくないことでしょう。病気そのものの苦悩に加えて、周囲の無理解に苦しむのであれば、まことに不幸なことです。誰にでも起こりうる、必ずしも本人の責任によらない病気であれば、周囲の理解と協力が当人の不幸を和らげることにつながるのかもしれず、そういう点からも、本章の客観的な記述は、たいへん有益でした。