電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

ステーショナリー・フリーマガジン『Bun2』の2016年8月号を読む

2016年08月16日 06時03分56秒 | 手帳文具書斎
行きつけの文具店で、便せんや固形糊などを補充してきたついでに、ステーショナリー・フリーマガジン『Bun2』の2016年8月号(vol.67)をもらってきました。



今号の特集テーマは、「楽しい文具」というものです。例年通り、夏休みらしく手作りホビーなどの情報を集めたもののようです。その中身のほうは、

  • アルバム作り
  • ぬりえ
  • 段ボール甲冑
  • 楽描きイベント
  • ご当地インク

などとなっていますが、夏休みの宿題とは無縁となった中高年オジサンにはあまり興味を惹かれるものはなさそうです。「消しゴムハンコ」にも「イロモノ文具」にも興味関心が皆無の当方には、文具も夏枯れなのか、今号には注目すべきものはないなあと嘆いていましたら、かろうじて二つほどありました。
 「パイロット 蛍光ペン付き三色ボールペン アクロボール・スポットライター 600円」
 「リヒト スタンドペンケース(楕円タイプ) 1,200円」
いずれも、三色ボールペンと蛍光ペンを持っていれば用が足りるとか、ペンケースばかり何種類も持っていても、カバンやバッグの空きスペースが問題だ、というように、「今さら」感があるのですが、それでもワケノワカラナイ製品ではないという点で、確実にポイントを稼いでいるようです。

むしろ、次の10月号のほうが、秋の夜長を楽しむ実用の製品や、気の早いダイアリー商戦の前触れ記事などが期待できるでしょう(^o^)/

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オーマンディ指揮フィラデルフィア管でチャイコフスキー「弦楽セレナード」を聴く

2016年08月15日 06時02分28秒 | -オーケストラ
パブリック・ドメインになった録音を探しているとき、ときどき思いがけないタイトルを発見して、思わずうれしくなって音楽を聴く、ということがあります。今回、そんな思いをしたのが、ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団の弦楽セクションによる、チャイコフスキーの「弦楽セレナード」です(*1)。

この曲は、LP時代にはドヴォルザークの「弦楽セレナード」とカップリングされることが多かったわけですが、始まりのキャッチーな魅力でチャイコフスキー、全曲が清新な魅力を持つドヴォルザークと、なかなか良いコンビだったのではないかと思います。当方、これまでカラヤン指揮ベルリンフィル盤と、アントルモン指揮のナクソス盤で聴いておりました(*2)が、オーマンディ指揮するフィラデルフィア管の演奏は、第1楽章と第4楽章に大幅なカット(*3)があるみたい。

■オーマンディ指揮フィラデルフィア管、(CBS-SONY、SONW-20037/38)
I=5'45" II=3'43" III=7'59" IV=4'17" total=21'44"

■カラヤン指揮ベルリン・フィル、(ドイツ・グラモフォン、POCG-9693)
I=8'43" II=3'56" III=8'43" IV=7'17" total=28'39"
■アントルモン指揮ウィーン室内管弦楽団、(ナクソス、8.550404)
I=9'29" II=3'50" III=9'07" IV=7'46" total=30'10"

おそらくオーマンディは、チャイコフスキーの弦楽セレナードを、速めのテンポで軽やかな演奏をしたかったのではないか。カラヤン盤は、低弦をやや早めにずらし気味で、ズザーっというような演奏をしますので、いかにも重厚なドイツ風味ロシア音楽の演奏になりますが、オーマンディ盤の場合は、まるでシンセサイザーのような一糸乱れぬ音で、快速の演奏です。しかも、大胆なカットのおかげもあって(^o^;)、スッキリさわやかなチャイコフスキーになっています。チャイコフスキー本人が聴いたら、目をむいて怒り出しそうな気がしますが、まあ、オーマンディ本人はそれが良いと考えたのでしょうね。演奏家が皆そのようでは困るのでしょうが、当方のような素人音楽愛好家は、オーマンディ流はそれはそれで一つの考え方ととらえることにしましょう(^o^)/

もしかしたらオーケストラ小品集として企画された当時、LPの収録時間の関係でカットを余儀なくされたという考え方もありえます。でも、どれか小品を一曲まるまるカットするという選択をせずに、曲の途中を部分的にカットしたわけで、最終的にはオーマンディの考え方に責任があるのはたぶん間違いないところでしょう。演奏はとてもステキですので、重々しくないチャイコフスキー「弦楽セレナード」をご希望の方には、おすすめです(^o^)/

YouTube にもありました。レコードプレーヤーの回転数の誤差の問題で少々ピッチが違うようですが、数秒間の空白の後に全曲をまとめて聴けるものを:
Tchaikovsky, Serenade for strings Op 48, Eugene Ormandy


(*1):チャイコフスキー「弦楽セレナード」:オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団~「クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~」より
(*2):チャイコフスキー「弦楽セレナード」を聴く~「電網郊外散歩道」2006年6月
(*3):覚え書き

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中字のプレッピー万年筆に古典ブルーブラックを補給する

2016年08月14日 06時02分30秒 | 手帳文具書斎
中字のプレッピー(Preppy)万年筆(0.5mm)にインクコンバータを取り付け、使い始めた当初はなんだか書き味がいま一つでしたが、使っているうちにしだいにインクフローも改善され、何度かインクを補充しているうちに、良好な書き味に変わってきておりました。このたび、インクがそろそろなくなってきていましたので、プラチナ社の古典ブルーブラック・インクをボトルから吸入し、補充しておきました。

老眼世代ですので、文字があまりに小さいと、とても読めません。その点、中字の万年筆でクッキリ、ハッキリ書いた文字は、何の苦もなくすっと読むことができます。プラチナ社の古典ブルーブラック・インクは、多様な紙で裏抜けなく使える貴重な存在ですので、ボールペン的に使われることの多い廉価万年筆との相性も抜群によろしい。これならば、安心して使うことができます。金色に光る五百円のインク・コンバータが、二百円の万年筆の透明軸の中で光っています。

そういえば、乾燥に強いスリップシール機構を備えたプレッピー万年筆の細字(F:0.3mm)の買い置きがありましたので、リビングのデスクに常置するために、同社の古典ブルーブラックのインクカートリッジを装着して使い始めました。カートリッジの場合、ボトルインクと違って青色の色素が不足するようで、少々影が薄いというか、たよりない筆跡です。例によって、使い始めはインクフローが渋いようで、その印象に輪をかけています。



写真のように、中字のプレッピーのほうは首軸全体にインクがまわっていますが、新しい細字のプレッピーのほうは、首軸全体がインクで満たされた状態からはほど遠く、カートリッジ側3分の1くらいが、インクが満たされた状態になっているようです。このあたりの経時変化と書き味がどんなふうになっていくのかも、この製品の興味深い点です。

プラチナ社では、プレッピーの上位版となる製品「プレジール」に、新色オレンジ色の製品(*1)を発表し、人気となっているようですが、残念ながら当地では見かけません。見つけたら、使い込んだプレッピーと首軸ごと交換してしまおうかと考えているのですが(^o^)/
いやいや、同じオレンジ色なら、吸入できるインク量の多いツイスビー(TWSBI)万年筆(*2)あたりも興味深いところです。

(*1):プラチナ万年筆ニュースリリース~ニューカラー「ノバ・オレンジ」のプレジール
(*2):TWSBIツイスビー万年筆「ダイアモンド580ALラヴァー」~秋田萬年筆倶楽部&とみや文具店

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藤沢周平『又蔵の火』を読む

2016年08月13日 06時06分38秒 | -藤沢周平
文春文庫で、藤沢周平著『又蔵の火』を読みました。昭和47年~48年頃に発表された、作家デビュー後の著者の初期作品集と言ってよいかと思います。昭和46年に『『溟い海』でオール讀物新人賞、翌47年に『暗殺の年輪』で直木賞を受賞していますので、まさに受賞の頃の作品です。本書は、五編の作品から成っています。

第1話:「又蔵の火」。この緊迫感、スピード感は、尋常ではありません。映画であれば、凄惨な争闘場面を含む、きわめてハードボイルドな作品です。事情を客観的に眺めれば、土屋丑蔵にとっては大いに迷惑な話。又蔵は兄の仇と言うけれど、兄の行状はたぶん許される限度を越えているでしょう。作者はなぜ実話に基づくこの歴史的な事件を作品にしたのだろうかと不思議に思いますが、その疑問は本書全体、暗いトーンを持つ作品すべてに当てはまります。

第2話:「帰郷」。「弔いの宇之」という通り名を持つ渡世人の宇之吉は、あるとき老いの寂寥と悲傷を覚え、帰郷します。自分の家だった屋根の下には、おくみという勝ち気な若い娘が住んでおり、彼女はどうも自分の娘らしい。おくみに手を出そうとしている昔の仲間で仇敵の久蔵が、今は親分を追い出し高麗屋を乗っ取って幅をきかせています。宇之吉は、西部劇ならさしずめさすらいの老ガンマンといった役回りでしょう。

第3話:「賽子無宿」。こちらもイカサマ賭博の渡世人の話です。病気で行き倒れる寸前に喜之助を助けてくれたのは、中風の父親を養って屋台を引いていたお勢でした。ようやく回復した喜之助は、ずっと以前、自分が陥れられた真相を知りますが、嫉んだ男は落ちぶれ、鶴惣一家は阿漕なやり方を続けています。喜之助は、やはり西部劇の「さすらいのガンマン」です。

第4話:「割れた月」。御赦免船で三宅島から江戸霊岸島に戻った日の午後、元錺職人の鶴吉は深川六軒堀町の元の家に戻りますが、そこには昔の情婦のお紺はいなくて、隣家の娘お菊が成長し、父親の理助と共に暮らしていました。お菊は、お紺の正体を察しており、むしろ鶴吉に心を寄せていたようです。理助が卒中で倒れると、鶴吉が働いて養うようになりますが、素人商売はなかなかうまくいきません。結局は、破局型のストーリーになってしまいます。

第5話:「恐喝」。これもまた救いのない、賭場の客に対する恐喝の話です。しかも、イカサマ賭博でカモにした若旦那を恐喝し、その許嫁を売ろうというのですから、最低の野郎どもです。ところが、実際にその娘が連れてこられた時、竹二郎は驚きます。竹二郎が怪我で困っていたときに、親切に助けてくれた、あの娘ではないか。恐喝者は守護者に一変し、娘を逃がした後は、仲間内での凄惨な争闘の場面となります。ある意味、典型的な昭和の時代小説と言って良いでしょう。

大きな文字の新装版で読みやすいけれど、作者はなぜヤクザな男を好んで取り上げたのか。それは、たぶん暗い情念の世界、悲劇的結末の舞台設定をするのが容易だからでしょう。運命にあらがうまでに至らず、運命に流され放浪する存在。しかし「一言、言いたいことがある」。それは、運命に対する憤怒、と言ってもよいでしょうか。

初期の藤沢周平の、あの暗いトーンがたまらなく好きだと言った叔父の一人は、新婚早々だった長男を癌で亡くし、しばらくして自身もまた息子の後を追うように癌で亡くなりました。おそらくは、叔父もまた運命に対して「胸の火が、いま火焔を噴き上げている」思いを持っていたのだろうと、今は想像しています。



さて、今日はお盆で寺の役割がありますので、朝食後には寺に向かい、午後からは一族の挨拶まわりをし、また自宅で挨拶を受けます。例年のことですが、長い一日になりそうです。

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古いリクライニング型イスの修理ができあがる

2016年08月12日 06時05分05秒 | 料理住居衣服
過日、依頼していたリクライニング・タイプのイスの修理というか補修ができあがり、先日、我が家に届けられました。土台となる木製の構造はそのままに、体重を支える帆布は新しくなり、クッションも新調して見違えるようにきれいになりました。



さっそくリビングに置いてみましたが、少々にぎやかではないかとの懸念は取り越し苦労だったようで、落ち着いた色合いでなかなか好印象です。実際に座ってみた感じでは、リクライニングの角度を起こした時に、クッションの背当ての部分はもう少し丸くふくらんでいたほうが良いと感じました。このあたり、妻は別途クッションを置けばよく、むしろパッチワークの目標ができたと前向きに考えているようです。



うーむ。これは長年使って古びたイスを廃棄して安い新品を購入するよりも、ずっと良かったみたい。依頼にすぐ対応してくれた山形市立谷川の「椅子工房クリエイト」(*1)の代表取締役のGさんと職人さんに感謝です。



Gさんの話では、山形・天童地区には個人でやっているお店を含めて、椅子の修理を請け負う会社や店が12店ほどあるのだそうで、県内全部ではは20店もあり、東北地方では最も多いとのこと。県民会館の椅子の張り替えも請け負った同社には、県外からの注文もずいぶんあるのだとか。そういえば、当地は山形仏壇などの伝統工芸が盛んなように、指物細工の伝統もあります。近年の洋風生活への転換に伴って、椅子の修理という仕事が生み出されたのかもしれません。このあたりの事情も、興味深いところです。

(*1):椅子工房クリエイト~iタウンページより

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珍しいことがあるものだ~熱暴走か寿命か

2016年08月11日 06時04分48秒 | コンピュータ
夏場の暑い暑い日中に、エアコンもつけずに音楽を聴きながらパソコンを使っていたら、いきなりマウスカーソルが動かなくなりました。ウィンドウマネージャーがフリーズしたかと思ってキーボードで CUI に切り替えようとしましたが、これも受け付けません。どうやら、PC本体の寿命か、あるいは熱暴走のようです。



熱暴走なんて、Windows Me の頃はノートパソコンでよく見かけたものですが、私の Linux デスクトップでは珍しいこともあるものだ、という感じです。今までと何か変わったことがあったかなと振り返ってみたら、隣に置いてある PC-audio 用のアンプの位置が、だいぶ接近していました。なるほど、アンプの放熱も馬鹿にならず、パソコンの放熱が妨げられる形になっていたのでしょうか。

熱暴走ならば、解決策は扇風機の設置か配置換えあたりでしょうか。まずはアンプとパソコンを離すことが必要です。幸いに、電話の親機がリビングに移動していますので、スペースは空いていますが、ここはディスプレイの真後ろにあたり、電源のオン・オフや入力の切り替え、CDの出し入れなどには不便です。さて、どうしましょう。

もう一つの可能性、PC本体の寿命ならば、早めにデータをバックアップしておく必要があります。たしかに、Windows Vistaの時代、2008年の夏に購入(*1)して以来、すでに8年が経過しています。ありうることです。これは、「善は急げ」ならぬ「バックアップはもっと急げ」だな。

(*1):新しいパソコンが届く~「電網郊外散歩道」2008年9月

【追記】
パソコンを購入した時期は、当ブログで記録を調べてみたら、2008年の8月でした。したがってすでに購入後8年が過ぎようとしております。実に長い期間、ほとんど自動車並の感覚で、使い続けていることになります。WindowsVistaをあっさりと見限ったのは正解でした(^o^)/

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古いリクライニング・タイプの椅子の修理を依頼する

2016年08月10日 06時03分03秒 | 料理住居衣服
私たち夫婦の結婚の記念にと、職場の同僚たちがプレゼントしてくれたリクライニング・チェア(*1)ですが、最初に見積もりをお願いした個人の店では、依頼の内容が無理筋だったのか(*2)、結局は返事がもらえず、あきらめました。

そこで、今度はダメ元で、たまたま新聞広告が出ていた会社に連絡したところ、過日、さっそく見に来てくれました。前の依頼の内容が無理筋だったのかとの反省をもとに、希望はこうだけれども、専門家の目で見てこうした方が良いという提案があればお聞きしたい、という形をとりましたので、二脚について提案見積もりをもらいました。その結果、

  • 木製の構造はそのまま活かす。

  • 背あての帆布の部分は交換する。

  • 両方のクッションをおそろいで新調する。

という形で、お願いすることにしました。

で、布地のカタログの中から候補に選んだものについて、大きめの布地見本を取り寄せてもらい、オリジナルのイメージに近いものを選んで、クッション部分を作ってもらうこととしました。現在、テーブルのみ在宅(^o^)で二脚の椅子は不在中。いつ頃にめどがつくのか、急ぐわけではありませんが、今から楽しみにしているところです。

(*1):バーツという名前は覚えているのですが、BARZ だったか BARTZ だったか綴りを忘れました。ネットで調べても、今は情報がみつかりません。
(*2):古いBARZの椅子は修理可能か~「電網郊外散歩道」2016年6月

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モモの栽培について、きちんと知りたい~「果樹」というノートを新調する

2016年08月09日 06時02分33秒 | 週末農業・定年農業
当方は、「週末農業メモ」あるいは「農作業メモ」という文庫本サイズの小型ノートに、亡父から果樹園農業を受け継いで以来の作業記録を残しています(*1,2)。新米農業経営者にはこれがたいへん便利なもので、ちょっとしたノウハウなども書き留めて、実際にいろいろな場面で役に立っています。サクランボについては、ある程度は亡父から教わっていた面もあり、不十分ながらなんとかかんとかやれましたが、モモについては本当に素人からのスタートです。



このたび、「モモの栽培について、ある程度きちんと知りたい」と思い、図書館からカラー写真がいっぱいある初心者向けの本を借りてきました。三輪正幸著『剪定もよくわかる・おいしい果樹の育て方』(池田書店)という本です。初心者向けと言っても、はじめに基本的な考え方を整理した概論があり、次に様々な果樹についての各論があるという構成で、この概論部分がたいへん興味深いものです。



さっそく、勉強用のノートを新調しました。コクヨのセミB5判サイズのダブルリングノートで、Slim B5 color という製品。6.5mm罫33行/頁、30枚(60頁)です。例によって目次に数枚を確保し、少し後のページから要点の抜き書きを始めました。このあたり、学生時代に専門書を読んでいた頃のスタイルと変わりがありません。昔のスタイルで今も踊っているようなものでしょう(^o^)/



でも、内容はたいへん有益です。今まで、誰に教わるでもなく、見よう見まね、断片的な知識でやっていた作業の意味がよくわかります。それだけでなく、今までの私のやり方では、枝の管理が、とくに摘芯の作業が不足していたことを強く意識しました。では、さっそく本にあるとおりにやれるかといえば、週末農業の現状では日程的にも難しい面があるのですが(^o^;)>poripori



我が家の「北限の桃」川中島白桃は、袋掛けもしていませんし、摘果も遅れがちでしたが、繁茂した葉面積のおかげもあってか(^o^;)、ただいま順調に成育中です。今月の下旬には、なんとか出荷できる予定です。

【業務連絡】
サクランボをご注文いただいた方々で、桃も送ってほしいというご希望がありましたら、メールでお問い合わせください。

(*1):ノートとして見た「週末農業メモ」~「電網郊外散歩道」2012年6月
(*2):「農作業メモ」ノートの二冊目が残り少なく~「電網郊外散歩道」2015年5月

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新しい枕元用の雑記帳を用意する

2016年08月08日 06時07分37秒 | 手帳文具書斎
先日の突然の夕立で、たまたま窓際に置いた枕元用の雑記帳がビショ濡れになった件(*1)、さっそく新しいノートを用意しました。在庫のB6判ダブルリングノートの中から、カバーが堅めで目立つ色のものを探したら、ありました。マルマンの「セプトクルール」シリーズの、プラスチック透明カバーのものです。枕元用雑記帳という目的からは、べつに切り取り用のミシン目などなくても良いのですが、罫線の間隔があまり狭すぎないものという老眼世代特有の条件は満たします(^o^)/

恒例により、さっそく裏抜けの有無を調べるための筆記テストを行いました。









その結果は予想どおりで、

  • プラチナ社の古典ブルーブラックは、万年筆のメーカー、種類、線幅を問わず、裏抜けなし。
  • パイロットの青系インクは、通常の青インクも色彩雫「朝顔」「紺碧」も、みな見事に裏抜けをして、全敗。
  • モンブランのロイヤルブルーは、中字でも裏抜けなし。
  • 顔料ゲルインクボールペンでは、大半のブルーブラック(0.5mm)は大丈夫だったが、最新のSigno307の黒(0.7mm)がにじみ加減だった。

というものでした。

まあ、このノートは、実質的に三菱のパワータンクPowerTankの黒(1.0mm)で上向き筆記(要するに寝転がって仰向けで書く)スタイルですので、万年筆インクの裏抜け特性などはなんら問題がないのですが(^o^)/

(*1):窓際に置いた雑記帳に夕立が吹き込み、びしょ濡れになる~代わりのノートは?~「電網郊外散歩道」2016年8月

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プッチーニ「グロリア・ミサ」を聴く

2016年08月07日 06時03分26秒 | -オペラ・声楽
夏休みを利用して、リビングで昔集めたLPを楽しんでおります。今回は、プッチーニの「グロリア・ミサ」です。



LPは、エラートの REL-8348、1984年にRVCから2,800円で発売されたものです。録音は1983年3月にロンドンのオール・セインツ教会で収録されたもの。演奏者は、ホセ・カレーラス(Ten.)とヘルマン・プライ(Bar.)、クラウディオ・シモーネ指揮フィルハーモニア管弦楽団、アンブロージアン合唱団。



LPジャケット裏面の金沢正剛氏の解説によれば、ルッカの町の音楽家の家系に生まれた「五代目の跡取り」プッチーニが、若くして父を失い、母親の期待を一身に受けてルッカ音楽院で音楽の基礎をたたき込まれた後に、近所の教会オルガニストとして頭角を現していた頃に書かれたのがきっかけで、ルッカの音楽院の卒業課題として完成されたものだそうです。この曲が評判になり、金持ちの叔父の援助を受けてミラノの音楽院に進むようになりますが、彼自身はオペラのほうに方向を定め、この曲は「若気の罪」であるとして出版も演奏も禁止し、封印してしまいます。

こうして忘れられた音楽を、1951年に米国の神父がプッチーニの伝記を書くために資料集めにイタリアに渡った際に、ルッカの音楽院の書庫の中からこの曲の楽譜を発見、この年の内に勝手に出版してしまったそうです。「グロリア・ミサ」とは神父が勝手につけた名前で、もともとの曲名は「管弦楽を伴う四声部のミサ曲」というものなのだとか。プッチーニ死後50年になる1974年に、遺族の同意のもとに原典版が出版され、演奏も許可されるようになったのだそうで、このあたりは著作権法関連の国際条約の50年規定あたりが影響したのかもしれません。

このミサ曲は、次の五つの曲から成っています。LPでは、A面に「キリエ」と「グローリア」を、B面に残りの3曲を収録しています。

  1. キリエ
  2. グローリア
  3. クレード
  4. サンクトゥス
  5. アニュス・デイ

たしかに、宗教的と言うよりはむしろ劇的な音楽で、後年の歌劇の作曲家プッチーニらしいもので、「キリエ」の主題は初期のオペラ「エドガー」に転用され、さらに「アニュス・デイ」の主題を歌劇「マノン・レスコー」に転用しているとのことです。残念ながら、当方はいずれの歌劇とも未だ視聴の機会がありません。LPのジャケット・解説とも、曲ごとのタイム表示はありませんが、時間的には「グローリア」と「クレード」の比率が大きいものとなっているようです。とくに、「グローリア」におけるカレーラスの歌は、敬虔な宗教曲というよりは、まるでオペラ・アリアのような立派なもので、東洋の島国の素人音楽愛好家にはたいへん好ましい(^o^)/
また、「アニュス・デイ」における美しい男声二重唱と合唱の掛け合いのうちに静かに終わるところなどは、「われらに平安をあたえたまえ」という祈りに合った、まことにチャーミングでプッチーニらしい終わり方だと感じます。

この録音当時(1983年3月)、カレーラスはまだ36歳、プライは53歳です。ほんとに堂々たる声、表現力で、若いプッチーニの劇的な音楽を歌っています。アンブロージアン合唱団による合唱、フィルハーモニア管弦楽団による演奏も素晴らしいです。

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帚木蓬生『蝿の帝国~軍医たちの黙示録』を読む

2016年08月06日 06時01分50秒 | 読書
新潮文庫で、帚木蓬生著『蝿の帝国~軍医たちの黙示録』を読みました。朗読によるラジオ文芸館「かがやく」を聴いて以来(*1)、著者の本(*2,3)を読むのは三冊目になります。本書は、福岡県の大刀洗陸軍航空廠を舞台とした「空爆」から満州における「医大消滅」まで、15編の短篇からなりますが、いずれも軍医の目を通して見た戦争の姿が描かれています。本書の冒頭には、

先の大戦で散華された
あるいは幸いにも生還された
陸海軍の軍医の方々に
本書を捧げる

とありますが、副題のとおり、まさに「軍医たちの黙示録」です。

強く印象に残ったこと:
敗戦間近な時期、あるいは敗戦後の捕虜生活を通じて、死亡証明書を書く場面が多く描かれます。命を救うはずの医師が、人を殺す戦争の中では、死を看取り、死亡証明書を書くほかはない。もちろん、衛生状態の改善や伝染病の発生に際しては隔離病舎の設置などの対応に努めるわけですが、物資も欠乏し、敗退を続けるしかない戦場にあっては、それが精一杯のことでしょう。それでも死亡証明書があれば戦死者として遇され、なければ単に死者として扱われる。これはまた無残な話です。

「蝿の街」は、私にとっては格別な一編です。ヒロシマの救援命令を受け、入市被曝をして長く原爆症で苦しむこととなった亡父は、おそらくここに描かれたような惨状を体験したのでしょう。多量の放射線を浴びた人々が、細胞の再生ができなくなり、内部から崩壊して死に至るわけですが、そんな遺体が市中至る所にあり、蝿が街を覆っている、という有様は、悲惨で恐怖です。病理学を専攻する医師の目を通して見たヒロシマの実状。遺体を病理解剖した時に見た、腸粘膜一面に縞模様のように、あるいは点在して厚い苔がへばりつき、リンパが壊死し、全粘膜に出血斑が見られること、それは火傷も外傷もないのに人体が内部から崩壊していった様子を表しています。医師ならではの、きわめてリアルな視点です。

おそらくは、バケツで臨界を起こしてしまったJCOの作業員たちの病状の進行も、本質的には共通のものだったのだろうと想像してしまいました。目に見えない放射線の、圧倒的な生命破壊力です。



たぶん、これから何度も繰り返して読むことはないであろうけれど、本書はたしかに一読の価値のある本でした。

(*1):ラジオ文芸館「かがやく」を聴く~「電網郊外散歩道」2015年9月
(*2):帚木蓬生『風花病棟』を読む~「電網郊外散歩道」2015年11月
(*3):帚木蓬生『閉鎖病棟』を読む~「電網郊外散歩道」2016年4月

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水田のヘリコプター防除の薬剤が変更されていたようだ

2016年08月05日 06時05分54秒 | 週末農業・定年農業
当地は、果樹地帯であると同時に水田稲作地帯でもあります。八月初旬は稲の開花期ですので、この時期にはカメムシやイモチ病対策のために、毎年、早朝からヘリコプターによる空中防除が行われています。





実は、サクランボやリンゴなどの花粉を媒介する訪花昆虫、特にミツバチの群れが崩壊する現象が、ネオニコチノイド系農薬の影響が疑われながら、水田のカメムシ対策等のためにネオニコチノイド系農薬が散布されるという矛盾(*1,2)がありました。ミツバチやマルハナバチなど訪花昆虫がいなければ、他家受粉を基本とする果樹農業はそもそも成り立ちません。訪花昆虫の減少を嘆き、なんとか生息数を確保しようと努力しながら、水田のほうには訪花昆虫減少への深刻な影響が懸念されているまさにその農薬を散布しているという、自縄自縛的矛盾です。



ところが、このたび各戸に配布されたヘリコプターによる水田の共同防除のチラシを見ると、使用予定農薬は

1回目 アミスター・トレボンSE 30倍
2回目 スタークル液剤10    30倍
  及び ラブサイドフロアブル 30倍

となっています。たしか、以前はダントツなどのネオニコチノイド系農薬を使っていたはず。最近は、水田と果樹とを兼業する農家が、自縄自縛的矛盾を嫌い、「ネオニコ系は避けたほうが」という意見を出すようになったためではないかと思います。もう一つ、それを農協や航空防除協議会などの組織も無視できなくなってきている、ということでしょうか。いずれにしろ、週末農業とはいえ果樹農家の一人としてはたいへん喜ばしくありがたい方向性です。

(*1):風邪で休んだ分、週末農業は~「電網郊外散歩道」2015年月
(*2):生産者が感じる矛盾~「電網郊外散歩道」2015年6月

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仙台市交通局「市民のあし」昭和51年11月号で市電廃止特集を見る

2016年08月04日 06時00分58秒 | Weblog
デスクの引き出しを整理していたら、昔のバーチカルファイルの中から、昭和51年11月の仙台市交通局『市民のあし』誌が出てきました。創業50周年記念特集号となっており、仙台市の市電の開通から廃止までを、写真で振り返るようになっています。



これによれば、仙台市の市電誕生は大正15年11月25日で、先代駅前から大町一丁目(2.1km)と東五番丁から荒町(1.2km)という路線を、40人乗りの木造車両10両で運行するというものだったそうです。



そこから昭和期に道路を作り線路が延び、市内循環線が開通したのが昭和3年3月で、戦争の時期には男子に変わって女性の運転手が登場したとのことです。



昭和17年8月には市バスが発足、近郊5バス事業を吸収して車両数65台、免許路線310kmで運行されますが、これもガソリン不足で代燃車だのみとなり、営業路線も次々に休止されてしまいます。



昭和20年7月10日未明の仙台空襲では、B29爆撃機100機により市街地は焦土と化してしまいます。





敗戦の後、焼け跡からの復興もまた、市電や市バスとともにすすんだとあり、昭和23年5月に原ノ町線が開通、昭和30年代が利用者数の最盛期にあたるようです。







経済成長と共にモータリゼーションが進み、昭和40年代には交通渋滞がひどくなって乗客の減少が顕著になり、昭和51年3月、ついに市電全廃となりました。





学生時代、市電の循環線を利用したものの、のんびりしたスピードで時間がもったいないように感じたものでした。でも、架線を支えるネットが路上をおおい、ガタゴト走る市電の中では、ゆっくり本も読めました。東一番丁や片平丁に向かう時に、駐車場の心配も不要な市電利用は、今思うとけっこう良かったように思います。





今や地下鉄が走る百万都市となった仙台市、懐かしい記憶の一コマです。

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窓際に置いた雑記帳に夕立が吹き込み、びしょ濡れになる~代わりのノートは?

2016年08月03日 06時01分06秒 | 手帳文具書斎
過日、朝はまったく晴天だったのに、妻も外出中に突然の夕立があり、たまたま二階の窓際に置いてあった、ふだんは枕元に置いてある雑記帳が、びしょ濡れになってしまいました。ページの中まで雨水が浸透し、百パーセント使い物になりません。せっかくの「エトランジェ・ディ・コスタリカ」というハイカラ風ノートでしたが、あえなくお役ご免になってしまいました。幸い、あまりページ数を使っていませんでしたので、メモとしての被害は最小限ですみました。

さて、代わりのノートはどれを使おうか。仰向けに寝転んで、片手にノートを持って折り返し、パワータンク・ボールペンで上向き筆記するというスタイルですので、B6判、リングノートという形式は決まっております。できれば、カバーは固めなほうがありがたい。在庫の中からもう一度探してみましょう。それと、お出かけの際は晴天だからと油断せず、特に夏場は、窓をきちんと閉めて行くことにしなければ(^o^;)>poripori

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山形交響楽団から暑中見舞などが届く

2016年08月02日 06時02分55秒 | クラシック音楽
過日、山響こと山形交響楽団から、郵便物が届きました。内容は、

  • 定期会員宛の暑中見舞状
  • 会報「YSO News Letter vol.1」
  • ゲネプロ見学会の案内
  • これからの主催公演の案内
  • アフィニス音楽祭等、各種演奏会のチラシ

というものです。いずれもきれいなカラー印刷のものや、センスの良いレイアウト・文字使いの印刷物で、思わず「うーむ」とうなります。うーむ、これも西濱効果か(^o^)/



暑中見舞カードのほうは、今年は上海出身、ヴィオラの袁寿義さんのメッセージをいただきました。袁さん、山響の皆さん、暑中見舞をありがとうございます。当方からも、暑中お見舞いを申し上げます。



内容物のほうで注目したのは、やはり会報の創刊号です。「YSO News Letter vol.1」は、音楽監督の飯森範親さんのご挨拶のあとに、先の定期で登場した田中祐子さんのメッセージ、鈴木秀美さんの交流会ダイジェスト、九月の村山市民会館創立50周年結愛タウンコンサートについての村川千秋さんの思い、ロビースタッフの東京・大阪「さくらんぼコンサート」体験記のほか、スクールコンサート・ウォッチングなど、盛りだくさんの内容で、編集もとても読みやすい。今後の演奏会情報のほか、来年のシーズンの予定などもちょっぴり紹介する等、愛好者には嬉しい特ダネも載っています。これは、保存版ですね!

ゲネプロ見学会も、せっかくの機会ですので、折を見て参加したいと思っています。山響事務局の皆様、その節はどうぞよろしくお願いいたします(^o^)/

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