昨今、「なはーと」小劇場で現代演劇公演の後、よくアフタートークがなされている。その時、決まって司会者として舞台上に登場している気になる男性が林立騎さんである。この間見慣れなかったこの人物は一体何者?と思ってネットで調べてみた。 去年の復帰50年記念現代沖縄演劇三公演のときのアフタートークも、また「人類館」の公演のアフタートークでもなぜか林さんが司会で舞台上に登場していた。なぜ?と興味を持っていた。 . . . 本文を読む
『悲劇喜劇』はアマゾンで注文したらすぐ届いた。県立図書館も琉球大学図書館も、県立芸術大学もどこも雑誌『悲劇喜劇」を置いていない、という事実に唖然とした。ゆえに自分で注文した。そういえば「9人の迷える沖縄人(ウチナーンチュ)」は『悲劇喜劇』の2022年9月号に掲載されている。何回か観たので購入しなかったが、初期の台本は当山さんからコピーで以前頂いた。じっくり脚本を論として書いていないが、一応劇評はこ . . . 本文を読む
知念正真さんに続く新しい才能が登場したのだろうか。興味深い。沖縄にいて中央で人気を得る舞台が上演できるという21世紀は場所や空間移動が国内では自由自在なのか。コロナパンデミックゆえに移動が不自由に感じられるのだが、逆にネットで、オンラインにより人の交流が深まっているところもありかもしれない。ツイターの海外在住の方々のトークショーを拝聴すると、臨場感で、同じ時代の問題が話し合われている。宗教や主義や . . . 本文を読む
よく知られたサスペンス作品。トリックがわかれば、「ああそうか」になってしまうが、サスペンスではなりすましはわりとある。こちらは妻が別人として登場だが、別人の夫や兄が登場するサスペンスもある。生きていた男:映画作品情報・あらすじ・評価|MOVIE WALKER PRESS 映画生きていた男(1958年5月17日公開の映画)の作品情報。あらすじ、上映スケジュール、評価・レビュー、関連ニュース。死んだ筈 . . . 本文を読む
印象批評に留まるが、観た舞台についてはコミットしたい。 従来の「人類館」の演劇とは一味異なった。新しい転換である。笑いは少なかった。劇場を出て知人と話していた時彼が話した「作品自体が重いし、悲劇ですよね。どこが喜劇?の感じ」もその通りに思えた。「若い人が多かったからかな」も一つの理由かもしれないが、それと「うちなーぐちがわからなかったもあるかな」もそのとおりかもしれない。今まで観た舞台では必ず笑い . . . 本文を読む
上里はこの戯曲を通して、戦後沖縄をたくましく生き抜いてきた沖縄の女・夏子を中心に沖縄の戦後を抉り取って見せる。その特筆すべき点は、戦争中日本人隊長にレイプされた夏子の過去が、皮肉にも、夏子にプロポーズし、朝鮮戦争で記憶を失った報道カメラマン・ハイマンの撮った写真と「記憶の想起」によって明らかになる劇構造である。またメタシアターの要素がちりばめられたことばの面白さも含め、クレオール化する沖縄、変わる . . . 本文を読む
神里さんが南米で経験した事、2016年10月から1年間、文化庁新進芸術家海外研修員として、主にアルゼンチンに滞在し、ペルー、ブラジル、パラグワイ、ボリビアを旅したことが、戯曲(2018年「バルパライソの長い坂をくだる話」で岸田國士戯曲賞を受賞)や、このノンフィクションの土台になったこと、もちろんペルー生まれで2つの国籍を持っているという出自と家族のルーツが作品に反映されていることが分かる。『超えて . . . 本文を読む
「トートーメー万歳」は、確か沖縄芝居実験劇場の第三回公演として1989年7月、沖縄市民会館で上演された舞台も、また紀伊国屋ホールの舞台も観た。記憶違いではないと思うが、紀伊国屋では大きな赤い位牌が冒頭に登場して驚いた。仏壇が登場し、位牌となった孝太郎の顔が仏壇の真ん中にあって、生身の人間のように自在に動き回る現代喜劇は、いわば戦後沖縄の風刺でもあり、社会の骨幹にある深刻なトートーメー問題を照射して . . . 本文を読む
神里雄大さんの脚本「イミグレ怪談」と『超えていく人』南米、日系の若者たちをたずねて、をカウンターで購入した。夜中に帰って『超えていく人』を読み始めたが、意外と面白い。「劇」は偶然劇場で出会った才気闊達なプロデューサーで翻訳、脚本も書く方と立ち話をしたが、説明調の脚本への指摘はなるほどだった。移民に関しては既知の意識があり、彼の講義調の長話はいいよ、のニュアンスはわかった。解説が入ってしまうと、興ざ . . . 本文を読む
「なはーと」の杮落とし演劇作品・舞台『Light house』の評判はあまりいいとは言えない、というのが率直な感想だが、この漫画から劇作品に練り上げられた現代劇は、若者の感性を鷲掴みにするほどの衝撃感があったのだろうし、それは現在進行形で戦争がメディアの中で映像が流れる現在において、戦争の残酷さ、悲惨さが終わらないものとして、迫ってきたのは事実だ。少女マンガ(今日マチ子作品)のロマンスが背後に脈打 . . . 本文を読む