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第三回沖縄市戯曲大賞受賞作品『カフェ・ライカム』は、上里和美の初戯曲で、2000年11月、沖縄市民小劇場「あしびなー」で初演、また翌年7月「県立郷土劇場」で再演された。〈備忘録〉

2022-11-01 20:16:16 | 沖縄演劇
上里はこの戯曲を通して、戦後沖縄をたくましく生き抜いてきた沖縄の女・夏子を中心に沖縄の戦後を抉り取って見せる。その特筆すべき点は、戦争中日本人隊長にレイプされた夏子の過去が、皮肉にも、夏子にプロポーズし、朝鮮戦争で記憶を失った報道カメラマン・ハイマンの撮った写真と「記憶の想起」によって明らかになる劇構造である。またメタシアターの要素がちりばめられたことばの面白さも含め、クレオール化する沖縄、変わることのないキーストーン沖縄の姿が立ち現れる。

この論稿では、「戦争、女、記憶」というモチーフ/文脈の中で『カフェ・ライカム』を位置づけ、この作品の意義を明らかにしたい。そのため沖縄の劇作家・知念正真の『人類館』(第26回岸田戯曲賞受賞)およびイタリアのノーベル賞受賞作家・ピランデルロの『未知の女』を通して、これらのモチーフに関する類似と差異を検討し、その上でとりわけ記憶というモチーフが作劇上どのように機能したか論じる。

キーワード:戦争(暴力)、女(ジェンダー)、記憶(想起)、循環構造、時系列の無化、 反転/転化/逆転

『カフェ・ライカム』に見る戦争、女、記憶
 
  
                             はじめに
  
第3回沖縄市戯曲大賞受賞作『カフェ・ライカム』は、2000年11月、沖縄市民小劇場「あしびなー」で初演、2001年7月、県立郷土劇場で再演された(1)。作者の上里和美は歯科医で、この作品が初戯曲。一方、上里は『アメラジアン・もうひとつの沖縄』(2)の著者で、沖縄の政治・社会状況に深く関与したメッセージを送り続けている。

物語を要約すると、主人公・金城夏子は沖縄戦の最中、集団自殺しかけた際、シャッターを切った従軍カメラマン/ハイマン・ゴールドキャッスルと互いに当人同士とは知らず、基地の側の「カフェ・ライカム」で出会い、間もなくして息子ハイマンが生まれる。しかしハイマンは朝鮮戦争に従軍中、記憶を失い、息子の顔を見ることもなく、音信が途絶える。しかしベトナム戦争で砲弾を浴び失神し、その失神の最中、沖縄戦・朝鮮戦争・ベトナム戦争の情景が無意識に脳裏をよぎり、失神から覚めると、実に18年ぶりに夏子との記憶も甦る。一方、夏子は、彼女を取り巻く祖父母、それに幼友達、またカフェで働く女たちと、たくましく戦後を生き抜く――。

これが『カフェ・ライカム』の骨格である。つまりこの作品は、戦争・記憶・愛の真実に至るドラマである。ところで夏子には、戦場で日本軍の隊長にレイプされたという無残な記憶があり、それは女の置かれたセクシュアリティないしジェンダーの力学を示唆、幕が下りれば、このドラマの内なるテーマである「弱者の果てしない祈り」が聞こえてくる。

『カフェ・ライカム』は、上里によると「沖縄北部をドライブ中、日本の繁栄の顔のような(沖縄本島の)西海岸、米軍占領の顔を残す東海岸に、強い無力感を覚えた。その怒りを原稿用紙にぶつけ、ひと夏かけて書き上げた」と言う。また上里は「芝生が広がる、美しく醜い植民地(3)に、私たちは慣れきってしまった。作品を通し、戦後を生き抜く沖縄女の重い情念を表現した」とも語る(4)。

一方、上里は、アメラジアン学校設立運動に積極的に関わり、中心的な役割りさえ担った。そこでまた上里は、国際結婚をした何組もの女性たちや、その家族たちと深く交流した。そのため『カフェ・ライカム』には、そのさい接したアメラジアン家族の苦い現実や教訓が反映されているのは確かである。それは私が「舞台の最後は、メロドラマ的でしたね」と、彼女にメールした際、「アメラジアンへの応援歌でもありますから」と、答えたのと色濃く重なる。

それゆえ『カフェ・ライカム』は、単なる現実のシミュレーションではない。全く、戦後沖縄の実際を独特な視点で切り取った斬新な戯曲である。上里は、夜のネオンにまぎれて生き抜いた者たちの視点から「一見、明るい戦後沖縄の闇」をあぶり出し、それを「戦争・ジェンダー・記憶(ないし忘却)」というモチーフに集約。その上、メタ構造を用い、モチーフと巧みに融合させている。

 『カフェ・ライカム』は、一見、甘いラブストーリーにも見える。それは、朝鮮戦争で記憶を失った報道カメラマン/ハイマンと、かつて沖縄戦の最中、日本軍の隊長に犯され、集団自決さえ仕掛けた夏子が、癒されることのない戦争という暴力の痛みを共有する者と理想の愛へと結節するからである。

ところでこの稿では、「戦争・女・記憶」というモチーフ/文脈の中で『カフェ・ライカム』を位置づけ、この作品の意義を明らかにしたい。そのため沖縄の劇作家・知念正真の『人類館』(5)およびイタリアの劇作家ピランデルロの『未知の女』(6)を通して、これらのモチーフに関する類似と差異を検討し、その上で『カフェ・ライカム』において、とりわけ記憶というモチーフが作劇上どのように機能したか論じてみたい。なお最後に上演についてもコメントしておきたい。

      『カフェ・ライカム』のモチーフと背景

全六幕からなる『カフェ・ライカム』は、全編を通して戦争(基地)が大きな位置を占めている。そのため、終戦直後から日本復帰までの27年間、つまり米軍による沖縄占領時代がこの作品の舞台である。この占領時代27年間とは、「占領」という事態、それだけでも異常な事態なのに、沖縄は再び戦争を体験する時代だった。朝鮮戦争、ベトナム戦争の後方基地として、直に「生活の場」で戦争を追体験したのである。生活の場とは、基地で働くか、基地の周りに雨後の竹の子のように建った怪しげなバラック小屋で生きる糧をあがなうか、それが沖縄の戦後だったからである。まさに沖縄の戦後は、人間として生きるのではなく、エサに有り付こうとする生き物のようでさえあった。例えば戦後の沖縄の人には多かれ少なかれ「戦果」(7)の経験がある。夜陰に乗じて米軍基地に忍び込み、物資を荷車に積んだり、担げるだけ担いだりして盗み、それが闇物資として流れたが、この「物盗り」たちに罪の意識はなく、ケラケラ、昨夜の「戦果」を自慢し合ったりしていた。それが『カフェ・ライカム』の時代である。

        『カフェ・ライカム』のライカムは、Ryukyu Command(琉球軍司令部)の略称Rycomのカタカナ表記/ライカムに由来する。つまりこの作品は、琉球軍司令部の略称を「カフェ・バー」の名称に当て、なお作品のタイトルとしている。当を得た標題である。というのは、「ライカム」なる四文字は米軍占領時代のカオスを象徴的にまとった名称であり、例えば、ライカムがあった北中城村屋宜原のバス停は今もライカム前、坂はライカム坂であり、実にこのカタカナ四文字は当時を髣髴し、なお余りあるからである。また、ライカムは在琉米軍の象徴的存在であり、作者上里は、在琉米軍の存在から派生した事柄の総体的象徴として『カフェ・ライカム』を捉え、ライカムの背後の闇を見据えたのであろう。それはライカムが、作品『カフェ・ライカム』において一貫したコンテキストをなしているからである。

    『人類館』の地平と『カフェ・ライカム』の独自性

戦争とジェンダーや記憶のモチーフは、戦後沖縄現代演劇作品の中で繰り返し登場する。その最も重要な先行作品が1976年『新沖縄文学』に発表された知念正真の『人類館』(第26回岸田戯曲賞受賞)である。『人類館』は沖縄の文芸作品の中で常に取り上げられるが、その事実は『人類館』の世界(本土対沖縄の構造)が今もなお変わらない現実であることを示唆している。

1903(明治36)年、大阪で内国勧業博覧会が開かれた。その「学術人類館」にアイヌ・朝鮮人、それに琉球人二人(辻の尾類=遊女)が展示陳列された。知念はその歴史的事実を戯曲として書き下ろし、日本国内に潜む差別の構造と、時の政府・学者や知識人らによる暴力的なまでの日琉同化政策の背後の闇を暴いた。それが戯曲『人類館』である。

 私は先ほど「人類館の世界は今もなお変わらない」と書き留めたが、1903年から40年後の沖縄戦では、日本軍は県民の生命・財産を保護するどころか、住民は軍務の妨げ・またはスパイとして集団自決すら迫った。そして1903年から101年後の2004年現在、在日米軍基地の75%がなお沖縄に存在する。それは、本土の沖縄への視線は、人類館のころと「なんにも変わっていない」という、広大な基地そのものによる、壮大な直喩ですらある。

1982年(アメリカ留学中)私は演劇科の院生で、MAプロジェクトの一環として、英語に翻訳された『人類館』を演出した。その際、作品分析の手がかりになったのは不条理演劇の代表作、イオネスコの『授業』である。あらゆるシステム(政治・教育・宗教・文化・ことば)の暴力的機能の循環が際限なく続く『授業』の構造は、まさに『人類館』の「強者(日本・アメリカ)によって人間の尊厳が繰り返し暴力的に収奪される循環構造」そのもので、私は演出の現場で「『授業』と『人類館』の重なり」を痛く再認識した。

『人類館』では、主人公の調教師が「沖縄の復帰なくして日本の戦後は終わらない、と言った総理大臣おりましたが、彼らにとって、戦後どころか、いまだに戦争は続いているのであります」(8)と言うように、登場人物(調教師ふうな男・陳列された男・陳列された女)の台詞は戦前/戦中/戦後が、時空を越えて飛び交い、「学術人類館の闇」「沖縄戦の地獄(集団自決,スパイ容疑の暴力や殺戮…)」「米占領下の暴力的軍政や米兵の凶悪事件…」が同位相・同時代的に語られている。つまり作者・知念は、沖縄の現実(状況)は「繰り返される戦争・暴力装置の中に象嵌されている」と認識し、時系列を無視したのである。

事実、沖縄は1972に復帰した後も、日本とアメリカのコロニアルな位置位相に貼り付けられていることに、変わりはない。例えば鵜飼哲は『人類館』を論じたエッセイで「思えば沖縄は、回帰に取り付かれた島ではないか」(9)と、明治12年の琉球処分以降、繰り返される処分の歴史を簡潔に書き留めたが、鵜飼は、日本政府の合意による戦後27年間の米軍占領時代を第二の琉球処分、1972年の核基地つき日本復帰を第三の琉球処分、そしてさらに、米軍事政策へのあられもない追随から、沖縄への負担をいっそう強める昨今の状況を第四の琉球処分、と指摘している。このたび重なる「処分」は、第一の琉球処分そのものが、武力による琉球王国の日本併合であり、比喩的に言えば、それ自身が侵略であり政治的レイプである。そして以後、沖縄は日本国の囲いものとなり、大戦後は日本とアメリカの囲いものになっている、それが沖縄の現在である。

イオネスコの『授業』では、文化(ことば)・宗教の権威者である教授が個人レッスンの女子学生をレイプし殺す行為が繰り返される。そして教授が女子学生をレイプし殺すたびに、教授宅の女中は教授の腕にカギ十字のナチス腕章をつける。言うまでもなく普段に教授の地位と称号は知と権威の象徴である。その教授が『授業』では絶対者の象徴/カギ十字をあてがわれる。それゆえ教授はレイプや殺人に何の躊躇もない。弱者をいたぶる権力(魔力)を手にしてこその絶対者だが、絶対者は弱者をいたぶることによって手にした権力を確認し、かつ権力(魔力)に陶酔するのであろう。見事な暴力の循環構造である。

その同じ権力の究極の象徴が『人類館』では天皇陛下である。もちろん、沖縄(人)を支配し人間性を犯す権威を具体的に付与されているのは、政治家および役人・日本軍将兵…であり、米軍占領後は米軍将兵である。『人類館』の配役は「調教師ふうな男」と「陳列された男(以下男と呼ぶ)」「陳列された女(以下女と呼ぶ)」の3人で、男と女は、あまたの被支配層の象徴的存在として、1人で何役も演ずる。例えば男は、日本人/沖縄人、部隊長/鉄血勤皇隊や郷土防衛隊、教師/男子生徒の対比構図の中で被支配者を演ずる。そして男は、支配層/被支配層は反転し転化し得る循環構造のただ中にあることを示唆する。

一方、女は実際、大阪の博覧会では「じゅり」だが、戯曲『人類館』では娼婦・米軍家庭のメイド・女子挺身隊員(ひめゆり)・妻・母・老女・女子生徒と、ジェンダーがまつわり登場する。そして女は、男と違い支配層に反転し得る契機がない存在として描かれる。それは、天皇を頂点とするヒエラルキー的現実では、男(主体)に対し女なる存在は徹頭徹尾、客体であり、支配/被支配の循環構造は閉ざされているからである。舞台では、コザの町の売春婦が米兵に真っ裸にされ、首を絞め殺される(台詞で暗示)。つまり女なる存在は客体の果て、フロイド的マゾヒズムの対象であるばかりか、究極には命さえ収奪される存在であることを『人類館』は示唆している。そして今日もまた、戦争を孕む基地の周りに、客体の究極の存在である女たちが目につく。

ミシェル・フーコーは「平和時にも人間は戦争を繰り返しており、実際の戦争はその最たる表象だ」と指摘している(10)。沖縄において暴力装置のシステムが日本国家やアメリカ国家の恣意の下に日常的に機能している事実は、フーコーのこの認識を裏づけるものである。そして戯曲を手にするかぎり、知念も上里も同様な見解である。上里は明快に「基地は植民地の象徴であり」「有事の軍隊は、ミサイルを発射して人を殺戮する。そして、平時の軍隊は魂を撃ち抜く…。その暴力は常に女性と子供に向かっている。その社会の柔弱な者に」(11)と述べている。

ではなぜ『カフェ・ライカム』は、書かれなければならなかったのか? それはまず、知念は『人類館』で「日本・アメリカ・沖縄」三者の歴史的、ジオ・ポリティカルな構図を描き、そこで沖縄が戦争に巻き込まれたのは、日本の沖縄にたいする琉球処分と同化政策の果ての必然と捉え、同時にまた「同化」という二字の抱え持つ差別の修羅を描き、その暴力的なヒエラルキーの中心に「天皇」を明確に据え置いた。それに対し、上里の『カフェ・ライカム』は『人類館』で知念が書き足りなかった戦後沖縄を、女を中心に女の視点から描いたところに、その特徴と意義がある。上里は『人類館』を十分咀嚼した上で作劇したであろうことは、『カフェ・ライカム』の底を流れる基調トーン(通奏低音)からうかがえる。例えば、日本への厳しい眼差しやパロディータッチの天皇メッセージなど、知念と上里の目線は幾重も重なる。一方、知念が権力/ヒエラルキーの最下層に置いた女のジェンダー/セクシュアリティを、上里は女の主体と客体を別の視点で捉え返す明確な意図があったものと考えられる。

さらに上里の視点は、グローバルに女性ゆえの戦争被害へのパラダイムにも、鋭く踏み込んでいる。それゆえ、『カフェ・ライカム』では、『人類館』には書かれ得なかった戦後沖縄のディテールが網羅され、戦争の記憶やジェンダーの問いかけが新たに付与されている。

  『カフェ・ライカム』の世界

        『カフェ・ライカム』では、戦争はまず、沖縄戦を生き残り、生きるためにバラック小屋のカフェを開いた老夫婦・金城高男と妻カメとの対話の中で浮き上がってくる。大きなガジュマルの木で蝉が意気盛んに鳴いている。サンサンサンとけたたましく鳴く蝉・サンサナーを見上げて、老夫婦は語る。

「ひるまさーよ、あんしなあ、うふぉく、生ちぬくとーる」(珍しい、こんなにたくさん生き残っているなんて) 「あんすくとぅ、いちむしのあるっかーじ、むる、死じゃがやーんち思たしが、うっさるさんさなー、まあんけぇ、くわぁっきてぃ うたがやー」(ほんと、生き物全て死んだと思っていたのに、こんなにたくさんの蝉、どこに隠れていたのやら)

蝉時雨に圧倒されるよう、老夫婦はこう驚嘆した。無理もない。 沖縄住民の3人に1人が戦死した沖縄戦の熾烈さが、老夫婦のことばから伝わってくる。生き物全てが死んだと思った戦争だった。その中で生きのびていた蝉(サンサナー)の鳴き声は、老夫婦には「やあさんどー、やあさんどー、ギブミー、ギブミー」と聞こえた。この方言表記の台詞は、何気ないやり取りのようだが、戦争、そして当時の時代状況を浮上させるのに、またとない台詞で、作者の魂が憑依したような台詞である。蝉でさえ「やあさんどー、やあさんどー、ギブミー、ギブミー」(ひもじい、ひもじい、何かくれ)と泣き叫ぶのだ。実にこの台詞は、戦後沖縄の姿をむき出しにした台詞である。そして蝉時雨のバラック小屋では、米兵と沖縄女性の「国際交流(性の交流)」が始まっていた。

この「国際交流」について、例えば土佐弘之は、ジェンダー的視点から論じた国際関係論『グローバル/ジェンダー・ポリティクス』で、「『安全弁』としての『非公式外交官』として米兵に売春する彼女たちは、『エキゾティックな女』(セクシュアリティの対象であると同時にオリエンタリズムの対象)であり、かつ日本においては無視され差別されている日本の他者としての沖縄のジオ・ポリティカルな位置を表象している」(12)と指摘する。

では、土佐の指摘を念頭に、両作品(『人類館』と『カフェ・ライカム』)に立ち戻ると、知念は『人類館』で「アメリカ館のニグロが食事の後、日本娘を紹介しろってきかないんですよ。(中略)日本女性の危機を救えるのは、あなたをおいてはいないんです!(中略)日本の防波堤になっていただきたい」(13)と主人公の調教師に、露骨にジェンダー・ポリティクスな発言をさせている。そう、沖縄は日本の防波堤なのである。また上里は、戦時中、日本兵に犯された夏子を、侵略され焼きつくされた沖縄にたとえ、「女」を政治力学に従属する存在として描いている。

         さて『カフェ・ライカム』の幕開けで、高男オジーとハイマンは、同じ名前で登場する。つまり、金城高男の金はゴールド、城はキャッスル、高男の高はハイ、男はマンで、この名詞の断片を一つにすると、ハイマン・ゴールドキャッスルとなり主人公が立ち現れる。そしてこの、ことば遊びのような偶然過ぎる名前の一致が、夏子の祖父母とハイマンの親密感を深める契機となる。また親密感を覚えるいま一つの要因として、西洋人と見まがう高男オジーの風貌と、「浮原島」にオランダ船が漂着した話を結びつけ、面白おかしく語られる。もちろん「浮原島」うんぬんは作者の創作だが、歴史的にも無理な設定ではない。ペリー来琉以前にオランダ船など異国船が沖縄近海で遭難したり、バジルホールのように寄港したりしたのは事実だからである。宮古島ではウランダ家(ヤー)なる家さえある。

それゆえ、この作品ではオランダ船が沖縄近海で遭難し、そのオランダ船の船員が島の女に産ませた子供、それが高男オジーの母親という設定となっている。それで劇中では、当時のヨーロッパの主導権争いの経緯や、さらに(オランダ・中国・日本・そしてアメリカが)混血を生み出した歴史を浮上させ、沖縄がパックス・アメリカーナに至った状況と経緯が、英語・沖縄語・日本語のチャンプルー(混合)で語られる。配役に混血がいて、さらに沖縄の日常が、ことばの多重性(沖縄語・日本語・英語)、人種の多重性(沖縄島民・日本人・アメリカ人)状態なら、台詞もチャンプルーにする。計算し尽くした作劇である。

ところで、沖縄の人が話す日本語はウチナーヤマトゥグチである。また英語とてウチナーアメリカグチであろう。全くこのような異言語(多言語)との格闘と親和こそ、ポストコロニーアルな状況であり、それこそクレオール現象である。そのような状況の中で書かれた『カフェ・ライカム』では、例えば金城オバーが「あいえーやー、ふんぬ」と、ため息まじりに発語する沖縄語に、作者は「あれまあ」と日本語訳をつけているが、「あいえーやー」に込められたオバーの諦観まで「あれまあ」では伝わらない。作者にとっても苦し紛れの日本語訳だが、いずれは翻訳という橋渡しは不用であろうか。いま沖縄で、若い世代は沖縄語を話さない。もう沖縄語の死は秒読み状態である。その際は「ことば」に込められた民族の魂も、南島の限りなく明るい陽ざしの中へ、かき消えるであろう。

「あいえーやー、ふんぬ、イキガとぅイナグぬするくとぅや、まあぬ国ん、いぬむんやさ」(あれまあ、男と女のすることは、どこの国でも同じだね) 「クトゥバちかてぃどぅひらーりーさ、うんぐとぅばあね、ようべえが、ちゅばーんけえ、あーすしふか、ねえらんしが」(ことばが通じてつきあえるもんさ、そんな場面では弱い者が強い者にあわせるしかないね) 「わったーや、クトゥバん、イナグん、取らってるうがやー」(私たちは、ことばも女も取られているのかね)

老夫婦は蝉時雨の中、戦争の傷跡を語り合い、高男オジーは、よく知られた「世替わりの歌」を三線で奏で始めた。

「唐ぬ世から 大和ぬ世 大和ぬ世からアメリカ世 あんしん変わゆさ くぬウチナー」

ひょっとすると、この二行に沖縄の近現代が濃縮されているのかもしれない。また、そのような歴史を生き抜いた民族の心底さえ、語り尽くせるかもしれない。唐ぬ世から大和ぬ世、大和ぬ世からアメリカ世、アメリカ世から大和ぬ世。この歴史は、弱い者ゆえ強い者に囲い込まれ、従属する時間の回廊であった。いや、弱い者ゆえ時には強い者に身をすり寄せて生きざるを得ない歴史であった。沖縄のため息が歴史の闇の中から聞こえてきそうでさえある。しかし沖縄の民は、息をひそませて生きる存在であることは、より認識していた。それはこの二行が皮肉にも証明している。この歌は自虐の歌ではない。己を風刺し、それを笑って歌うしか仕方がない者が、苦難の底から汲み上げたバイタリティーそのものである。かつて沖縄の夕暮れ時は、巷に三線の音が流れた。そして暮らしをパロディー化した歌が、明日を生きる糧のように、三線に乗って家々の石垣に沁み込んで行った。それが沖縄近現代の夕間暮れである。

『人類館』では「世替わりの歌」は、出だしの二行をチョンダーラーの念仏歌に取り込み、面白おかしく歌わせるが、この悲喜劇的な『人類館』の笑いと通低する視線と作劇は『カフェ・ライカム』にも貫かれている。例えば「遊戯性にとむ登場人物の命名・英語と沖縄語の語呂遊び・解釈のミスマッチを笑いに転化する手法・シニカルに沖縄の歴史と現実を突き放して見据えるスタンス」などに、両作品を貫く意思のような一本の竿を見ることができる。 蝉がけたたましく鳴く(交尾の合唱の)その下で

「イナグ、イキガ、たっくわてぃ、戦、終わとーんちむやさ」(男と女、くっついて、もう戦争 終わったつもりだね)  「さんさなーぬ、ちむ、わかいんな」(蝉の心が分かるの?) 「木うてぃ、たっくわっとーいさに…いなぐ、いきが、いぬむんやん」(木の上で、くっついているさァ 人間も同じだよ)

この老夫婦の「蝉も人間も同じ」と言い放つ会話は、占領軍の米兵と沖縄女が「たっくわてぃ(くっついて)」いるありさまの比喩だが、それだけではない。老夫婦が孫の夏子と(生きのびるために)始めた性を売る営みを「正当化する手立て」ともなっている。そしてもうそこに、暗いじめじめした感情の軋轢はない。諦観と三百六十度変わった沖縄の時勢、それに普遍的な(性の)自然性が、オジーをそう納得づけたのだろう。

しかし夏子は、沖縄戦を生き残ったものの、心の半分は死んだように米兵の相手をしている。老夫婦によると

「あぬ日本兵…わしりーるたみ…アメリカーんけぇ、しがとぅるはじ…」(あの日本兵…忘れるため…アメリカ人にしがみついているようだ)

あの日本兵とは、かつて夏子をレイプし、かつオンリーのように夏子を扱った、あの日本軍部隊長である。そのため『カフェ・ライカム』では、実際には舞台に登場しないものの、強圧的な日本軍および日本兵の象徴として位置づけられ、さらに劇中、台風警報の形で悪ふざけのように挿入される「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」というメッセージを発した彼の人同様、沖縄に痛みをもたらした根源的象徴として描かれている。つまり夏子は、神(天皇)に忠実な日本軍の部隊長(権力の代行者)によって「半分、死んだように生きている」わけであり、それゆえ夏子は近現代を「死んだように生きてきた」沖縄民族の命運の象徴とも言える。

また「あらゆる暴力の根源的・原型的な暴力である戦争」(14)は、国と国の殺戮を正当化するが、そこでは、殺すことは正義であり、大量殺戮は勝利のための英雄的行為として褒めそやされる。そして、国家意思の貫徹は、国民を国家意思という巨大な歯車と大儀という歯車によって圧殺することによって貫徹される。そのため、沖縄戦では12万人余の一般民衆が天皇制日本の犠牲となった。しかも日本の二級市民(サブ日本人)として。そうした状況の中、戦場で夏子が無理強いされたSEXは、否応なく戦争の犠牲となった二級市民の姿と重なる。結局、夏子が「半分死んだように生きている」のは、無残に死んだ12万人余の二級市民の、この世の姿でもある。

それにしても、『カフェ・ライカム』に登場する女性たちが、底抜けに明るいのは、救いといえば救いである。きっと彼方に夢があるのだろう。彼女たちは、かなり露骨に性器や性ビジネスのありようを沖縄口で口にする。例えばチンチン・タニ・ヤックヮン・ホーミなど。それは彼女たちが性器的身体と分離したジェンダーを生きているという証左か、あるいは、極めて現実的な「SEXを売る」という行為をパロディー化することによって、自己救済機能が働くからであろうか。なお性を臆面もなく口にするとはいえ、「女とはセックスである。セックスはまさに暴力である」(15)というコンセプトとの重なりは、『カフェ・ライカム』には見られない。

しかし、留意したいのは、作者がヘテロセクシュアリティとともに、ホモセクシュアリティにかなり視線を向けていることである。夏子を慕うバーテンダーの守は、女装してカウンターに立つ。守は身体自体は男だが、女装した姿は夏子、また胴体は男で、頭(意識)は女だと自ら言う。つまりそれは両性具有の表象で、場所をたがえハイマンのことばの中にも出てくる。ハイマンはイーブン・ラブに両性具有の姿を見る。とはいえ進化の現在、理想の愛でも両性具有は難題である。ただ根拠はともかく、イメージとして男女平等の原点をそこに見ることは可能だろう。
 
 『未知の女』が投げかけるもの――記憶の呪縛と解放

以下続きはNoteで読んでください。



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