(薩摩の侍の衣裳で踊っていますね。そして日本舞踊の扮装です!)
実は奈良原知事はかの有名な貞奴の旦那だった時期があるのですね。沖縄の那覇には妓楼に妾を囲い、そこで歓迎の宴を催したのですね。儀助さんはその妓楼で辻の芸妓たちが演じる組踊や琉球舞踊を堪能したのです。
チェンバレンはジュリ馬を実際見学しています。ジュリ馬の祭りを阻止したモダニズムの沖縄の女性運動家は明治大正時代のジュリ馬について歪曲していますね。
チェンバレンは那覇の劇場で「親あんま」(うやんまあ)を見てそれを記録していますね。そのおかげで現在沖縄では、上演可能なのですね!チェンバレンは尚家の王子さまたちと会見もしているのですが、奥様方は絶対に表にでて顔を出さないのですね。
薩摩侵攻の時の傷の深さが感じられます。上流階層の女性たちは内に秘匿され、子供を生み育て、機織に精を出したのでしょうか?遊ぶ性、解放区は遊里にあったのですね。琉球ヘタイラたちが美の体現者だったのです。
冠船芸能は「贄の芸能」の一つだったのかもしれませんね。世阿弥の芸能がまた「牲の芸能」であった要素もあるわけですからー。
宗主国へオモネル芸能ですね。歓待、慰撫するための芸能=国家芸能があったのですね。見せる芸能、自ら味わう芸能、共同体の神をもてなす芸能もあります。