(女性だけの劇団「うない」の沖縄芝居)
演劇は、様々な芸術形式の中で最も公的で、最も明白に政治的な形式である。(すくなくともそうありうる)のです。演劇はある社会の生活が公的にその社会の成員に示される場であり、その社会が前提していることが提示され、試される場です。演劇という場において、その社会の価値観が吟味され、その神話に承認が与えられ、そのトラウマが現実の象徴となるのです。したがって演劇はしばしば詩がそうであるように、外部の事象に対する「一個人の感受性」の反応ではありません。また、たいていの小説がそうなりがちなように、現実社会を描いた一断片や空想を「私的に」享受することでもありません。演劇は公的なイヴェントなのであり、公的な関心事に関わるものなのです。--演劇はその性質からして、美学的な虚空の中で深遠な芸術的感受性を経験する場といよりも、むしろ政治的なフォーラムであり、政治的に働く媒体なのです。(スコットランドの演劇人、ジョン・マグラスのことば)
そして演劇そのものが社会が自らの姿をそこに映し出しながら自らを定義し直す場であり、そこは作り手のみならず観客も参加するパブリックなフォーラムなのである。劇場はまさに物理的なそうした空間である。
それ自体が社会的であり、それゆえ政治的な存在でることを免れえない『劇場』という文化装置が(同時代)に向けて何を発信することが可能なのか?
演劇とは何?
劇場とは何?
劇場と社会はどう絡み合っているのだろうか?
劇場は社会の文化装置であり同時に記憶装置である。パブリックなフォーラムであるという認識もうなずける。それでは「国立劇場おきなわ」は、どんな役割をはたしているのか?
琉球王府時代からの組踊を上演し、近代以降の沖縄芝居や現代の新作組踊を上演しているが、琉球舞踊も古典音楽も披露される場。そこは琉球王府時代から現代に至る沖縄の舞台芸術を社会に開いて見せる場であり、互いに交流し、文化的アイデンティティーを再確認する場でもある。文化伝統の保存・継承・発展が可能な場であり、新たに現在を照らす創造/想像空間であり未来への礎でもある。「わたしとは何か」個々が多層的なアイデンティティーを確認する場でもある。琉球・沖縄のナショナリズムがにわかに沸騰する場でもありえる。政治的でありパブリックなフォーラムが推進される場でもある。集団の意識・無意識が舞台の花になりそれを共感しえる空間・場でもある。
しかし、演劇や芸能を上演する劇場がどう社会と関わっているのか、その伝統芸能(組踊)の原型を追求する時、現在の国立劇場おきなわがもっと論議されてもいいと考える。さらにこの間の沖縄における劇場がどのように推移してきたのか、どんな劇場が存在したのかも興味深い。
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3月11日、県立博物館・美術館3階で「劇場と社会」のシンポジウムを開催します。時間は2-6PMです。
入場無料です。基調講演は天野文雄先生で、パネラーは幸喜良秀先生、高江洲義寛先生、狩俣恵一先生、鈴木雅恵先生、コメンテーターは板谷 徹先生です。よろしくお願いします。
演劇は、様々な芸術形式の中で最も公的で、最も明白に政治的な形式である。(すくなくともそうありうる)のです。演劇はある社会の生活が公的にその社会の成員に示される場であり、その社会が前提していることが提示され、試される場です。演劇という場において、その社会の価値観が吟味され、その神話に承認が与えられ、そのトラウマが現実の象徴となるのです。したがって演劇はしばしば詩がそうであるように、外部の事象に対する「一個人の感受性」の反応ではありません。また、たいていの小説がそうなりがちなように、現実社会を描いた一断片や空想を「私的に」享受することでもありません。演劇は公的なイヴェントなのであり、公的な関心事に関わるものなのです。--演劇はその性質からして、美学的な虚空の中で深遠な芸術的感受性を経験する場といよりも、むしろ政治的なフォーラムであり、政治的に働く媒体なのです。(スコットランドの演劇人、ジョン・マグラスのことば)
そして演劇そのものが社会が自らの姿をそこに映し出しながら自らを定義し直す場であり、そこは作り手のみならず観客も参加するパブリックなフォーラムなのである。劇場はまさに物理的なそうした空間である。
それ自体が社会的であり、それゆえ政治的な存在でることを免れえない『劇場』という文化装置が(同時代)に向けて何を発信することが可能なのか?
演劇とは何?
劇場とは何?
劇場と社会はどう絡み合っているのだろうか?
劇場は社会の文化装置であり同時に記憶装置である。パブリックなフォーラムであるという認識もうなずける。それでは「国立劇場おきなわ」は、どんな役割をはたしているのか?
琉球王府時代からの組踊を上演し、近代以降の沖縄芝居や現代の新作組踊を上演しているが、琉球舞踊も古典音楽も披露される場。そこは琉球王府時代から現代に至る沖縄の舞台芸術を社会に開いて見せる場であり、互いに交流し、文化的アイデンティティーを再確認する場でもある。文化伝統の保存・継承・発展が可能な場であり、新たに現在を照らす創造/想像空間であり未来への礎でもある。「わたしとは何か」個々が多層的なアイデンティティーを確認する場でもある。琉球・沖縄のナショナリズムがにわかに沸騰する場でもありえる。政治的でありパブリックなフォーラムが推進される場でもある。集団の意識・無意識が舞台の花になりそれを共感しえる空間・場でもある。
しかし、演劇や芸能を上演する劇場がどう社会と関わっているのか、その伝統芸能(組踊)の原型を追求する時、現在の国立劇場おきなわがもっと論議されてもいいと考える。さらにこの間の沖縄における劇場がどのように推移してきたのか、どんな劇場が存在したのかも興味深い。
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3月11日、県立博物館・美術館3階で「劇場と社会」のシンポジウムを開催します。時間は2-6PMです。
入場無料です。基調講演は天野文雄先生で、パネラーは幸喜良秀先生、高江洲義寛先生、狩俣恵一先生、鈴木雅恵先生、コメンテーターは板谷 徹先生です。よろしくお願いします。